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阿部勇樹の悔恨「オシムさんが倒れたのは自分の責任だと思っている」

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2020年02月18日 06:12  webスポルティーバ

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私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第13回
サッカー人生を劇的に変えた運命の出会い〜阿部勇樹(3)

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 阿部勇樹が「監督が危篤」という報告を受けたのは、イビツァ・オシムが倒れた翌日だった。関係者から連絡が入って、面会謝絶の状況だと聞いた。

「連絡をもらった時は、驚きましたよ。とにかく『無事であってほしい』と思ったし、早く『無事だ』という報告を聞きたかった。すぐにでも病院に行きたかったけど、面会謝絶なので、行っても会えないし、モヤモヤしながら自宅待機していたのを覚えています」

 オシムは、もともと心臓に持病を持ち、高血圧でもあり、健康面には不安を抱えていた。この時は、深夜にプレミアリーグの試合をテレビで観戦したあとに倒れ、緊急搬送された。

 意識が回復するまで、10日以上かかり、ようやく危篤状態から脱した。その後、容態が安定し、面会もできるようになった。

 2007年に、ジェフユナイテッド市原から浦和レッズに移籍した阿部は、その頃、FIFAクラブW杯に出場。準決勝まで駒を進め、カカやアンドレア・ピルロをはじめ、クラレンス・セードルフ、ジェンナーロ・ガットゥーゾ、アレッサンドロ・ネスタら多彩なタレントを擁するミランとも戦った。

 その試合が終わったあと少しして、阿部はその報告を兼ねて、オシムが入院する病院を訪れた。

「(オシムの)病室を訪れた時は、なんか変な汗が出て、すごく緊張しました。会うのが久しぶりだったせいもあったのか、(ジェフで)キャプテンになって、みんなに『休みをもらってこい』と言われて、監督室に行った時のような緊張がありました。

 でも、顔を合わせると、『どうだった、ミランは?』って聞かれて(笑)。病気で寝ている状況でも、サッカーを見ていてくれたようで、うれしかったですね」

 病室では、最後までサッカーの話ばかりしていたという。

 そしてその後、オシムは「この状態では戦えない」と、日本代表監督を辞任した。阿部が描いていた、オシムと一緒にW杯を戦うという夢は、ここで潰えてしまった。

 阿部は、オシムが倒れたことに、ずっと責任を感じていたという。

「アジアカップで優勝していれば……」

 阿部は天を仰ぐようにして、そう言った。

 2007年7月のアジアカップ。3連覇がかかっていた大会で、日本はグループリーグを順当に突破し、決勝トーナメント1回戦ではオーストラリアとのPK戦に及ぶ死闘を制した。

 ただ、同大会でセンターバックでプレーした阿部は、自らが満足できるプレーがなかなかできず、悔しい思いをずっと抱えていた。実際、グループリーグから無失点で終える試合が1つもなかったのだ。

 迎えた準決勝のサウジアラビア戦、日本は2−3で敗れた。その試合で、阿部はゴールを決めたものの、3失点を喫したことに大きな責任を感じていた。そして、日本は3位決定戦でも韓国に敗れ、4位に終わった。

「アジアカップでは、自分がいいプレーができなくて……。準決勝では3失点して、サウジに負けてしまったし、韓国にも敗れた。その結果を含めて、いろんな面でオシムさんに大きな負担をかけてしまった。

 あそこで優勝できていれば、オシムさんが倒れることはなかったかなと、勝手に思っていました。それは、今も変わらない。オシムさんが倒れてしまったのは、自分の責任だと思っています」

 阿部は、その時の気持ちをずっと抱えたまま、今までプレーしてきた。

 2009年1月、オシムが日本を離れ、オーストリアに帰国する時、阿部は成田空港へ駆けつけた。空港にはジェフのサポーターなどを含め、300人以上もの人が集まっていた。その中で阿部は、万感の思いを込めて、オシムを見送った。

 オシムと阿部の”師弟関係”は、今も続いている。日本を離れたあとも、阿部はオシムのもとを何度か訪れて、プレーヤーとしてあるべき姿について助言をもらったり、今後について相談に乗ってもらったりした。

 阿部は、キャリアの晩年を迎えつつある。アテネ五輪をともに戦った仲間たちも、次々に引退していっている。

「オシムさんと会った時、指導者についての話もしたんです。僕は、今までオシムさんをはじめ、多くのすばらしい監督に教えていただいて、ここまでやってきた。それを(将来を担う)選手に伝えていかないといけない役目があるのかなって思っている。指導者という道を考えつつ、(今後は)そういう目線でもサッカーをしていこうと思っています」

 阿部は、きっといい指導者になるだろう。若くしてキャプテンになり、さまざまな苦労を重ねてきたが、そのなかで、年長の選手ともうまくやって、懸命にプレーする姿を見せることでチームを引っ張ってきた。海外のクラブにも在籍し、そこでプレーすることの難しさ、楽しさも味わった。

 サッカー選手としての経験が豊富で、いろいろな引き出しを持っている。それは、監督を目指す者にとって、不可欠な要素だ。

 目指すのは、恩師であるオシムのような指導者だろうか。

「いや、オシムさんのようなスタイルのサッカーを、僕がやっても成功しない。僕は、オシムさんにはなれないですよ。でも(オシムから)学んだことはたくさんあるので、そこから”自分らしさ”というのを見つけていきたいと思っています」

 たしかに、オシムのサッカーは、オシムだけが導くことができるスタイルだ。ジェフでは、2006年7月からオシムの息子であるアマル・オシムが指揮を執り、同じスタイルを継承したが、うまくいかなかった。日本代表でも、オシムの後任となった岡田武史が、オシムのスタイルを継続していくことを明言したものの、機能させることができなかった。

「考えて、走るサッカー」――その言葉はシンプルだが、サッカーの中身はオシム独自の練習法と思考から生み出される、唯一無二のスタイルなのである。

 阿部が指導者になった際には、そのオシムのスタイルのエッセンスを取り入れつつ、自らのスタイルを構築していきたいという。そして、監督になるための助言を、オシムからももらっている。

「オシムさんからは、(指導者は)『いろんな世界のサッカーを見て、(今後)どう変わっていくのか、というのを考え、予測していかないといけない』と言われました。もちろん、監督になってからではなく、プレーしている今も、世界のサッカーを見て、これからはこういうことが求められていくんだな、というのを予測し、それを反映してプレーしていかなければいけないと思っています。簡単ではないけど、選手としても、監督になっても、そういうことを忘れずにやっていきたい」

 もともと阿部は、”ピッチ上の監督”という意識を持ってプレーしていた。これからも、そのスタイルは続けていく。そうして、オシムに言われたことをピッチ上で実行できれば、まだまだ成長できると考えている。それは、17年前に出会った時から変わらない。

 オシムの言葉はいつも、阿部を成長させてくれたのだ。

「オシムさんは、自分のすべてを変えてくれた人。それくらい大きな存在です。昔も、今も」

(おわり)

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