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突然の「契約却下」も… 新人選手が春季キャンプで直面した“人生の厳しさ”

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2020年02月18日 16:00  AERA dot.

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写真ロッテ時代の小島弘務 (c)朝日新聞社
ロッテ時代の小島弘務 (c)朝日新聞社
 今年も各球団のキャンプ地では、佐々木朗希(ロッテ)、奥川恭伸(ヤクルト)ら期待のルーキーの話題で持ちきりだが、ルーキー時代のキャンプで、今も語り継がれる“伝説”をつくったのが、1999年、西武に入団した“平成の怪物”松坂大輔である。

【写真】「平成で最もカッコいいバッティングフォーム」はこの選手!

 キャンプ地・春野は初日から1万人を超えるファンが詰めかけ、お目当ての松坂が練習場を移動するたびに、約100人の報道陣やファンの群れがゾロゾロ。こんな調子では、移動もままならない。

 そんな松坂を守ろうと、森繁和コーチが知恵を絞り、“伝説の大脱出作戦”が行われたのが、球団史上最多の1万5000人が来場した2月14日だった。

 練習終了後、ブルペンの出口前で、ファンたちが松坂を待っていると、ブルペン横のプレハブから背番号18のユニホームを着た選手が走り出てきた。「松坂だ!」。約100人の報道陣が大慌てであとを追い、ファンたちも続いた。その後ろで投手陣が「大丈夫か? 一人で!」「頑張って走れ!」と声援を送るなか、背番号18は全力疾走で約800メートル離れた陸上競技場へと向かっていく。だが、“追っ手”たちが息を切らしながら陸上競技場に到着したとき、松坂の姿はどこにも見当たらず、背番号18のユニホームだけがトラックの上に脱ぎ捨ててあった。

 実は、松坂に成りすまして走っていたのは、3年目の谷中真二だった。思いがけず影武者に指名された谷中は「背格好が似てる? イヤ、(年齢の近い)小石沢(浄孝)は太っているんで、僕しかおらんかった」と説明。投手陣たちが声援を送っていたのも、周囲に本物の松坂と信じ込ませるための陽動作戦だったのだ。

“影武者”谷中が報道陣やファンを引き付けている間に、本物の松坂は、谷中のウインドブレーカーを羽織り、黒いサングラスと深めにかぶった帽子の変装姿で出口から現れると、堂々と帰っていった。作戦成功!「うまくいきました」と安堵した松坂だったが、影武者を務めた谷中には「本当に申し訳なかったと思います。やらされる先輩は絶対嫌だったと思うので」とすまなそうだった。

 その西武は、90年のキャンプでは、前年12月にドラフト外で入団した小島弘務が協約違反で球団との契約を無効にされる事件もあった。

 86年春、平安(現龍谷大平安)から駒大に入学した小島は、同年秋に中退し、1年のブランクを経て、社会人の住友金属に入社したが、大学中退ではなく、高卒選手として登録されたため、在籍2年目の89年のドラフトでは指名禁止リストに掲載されていた。だが、西武は、小島が高校を出て3年以上経過していることから、契約可能と解釈して、ドラフト外で入団させた。

 年明け後、背番号14を着けて2軍のキャンプに参加した小島は、阪神との練習試合にも登板。1軍昇格を目指し、練習に励んでいた。ところが、キャンプ終盤の2月20日、西武の“強行突破”を問題視したパ・リーグが「契約却下」を通告してきた。

 西武は小島を球団職員(練習生)にする妥協案を出したが、これも認められず、「移籍も含めて永久に西武とは契約できない」という厳しい処分が下る。キャンプ中にプロアマ問題のとばっちりでハシゴを外された小島は「どうしていいのか、自分ではわかりません」と途方に暮れた。

 そんな矢先、救いの手を差し伸べたのが、「小島に悪いことをした。絶対にまたプロに入れてやる」と決意した根本陸夫管理部長だった。「西武球団として面倒を見るのが駄目でも、オレが個人的に世話をするならいいんだろう」とコミッショナーに断りを入れたうえで、自宅に小島を下宿させ、一人で練習させたのだ。

 9カ月後のドラフトで中日に1位指名された小島は、1年目に先発、リリーフとして24試合に登板、6勝5敗の成績を残している。

 キャンプの練習後、ルーキー左腕がそばアレルギーで倒れる事件が起きたのが、04年のヤクルトだ。

 2月2日、浦添の1軍キャンプに参加していたドラフト6巡目ルーキー・佐藤賢が最後のメニューの3000メートル走を終えて、球場の風呂場で汗を流そうとした直後、突然めまいを起こして、その場にうずくまった。

 先輩投手のアドバイスで入浴を控え、しばらく洗い場で仰向けになっていたが、脱水症状やじんましん、視野狭窄などの症状が出て、血圧も上が50近くにまで下がる危険な状態に陥った。落ち着いたところを見計らって、病院に搬送され、アナフィラキシーショック(全身性のアレルギー)と診断された。医師は「キャンプ続行も可能」と判断したが、命にかかわるケースもあるので、球団は大事をとって帰京させた。血液検査の結果、練習前にそばを食べたことが原因のそばアレルギーと判明する。
 
 太めの体とユーモラスな風貌とメガネをかけた姿から“球界の高見盛(現東関親方)”の異名もとった話題のルーキーとあって、この事件はスポーツ紙の1面トップで報じられ、高見盛が師匠の東関親方(元関脇・高見山)から「激励(見舞い)に行ってこい」と命じられるひと幕も。

 その後、「運動前にはそばを食べません」と球団に誓約書を提出してチームに復帰した佐藤は、同年は貴重な左の中継ぎとして21試合に登板。8年間プレーしたあと、現在は打撃投手としてチームを支えている。(文・久保田龍雄)

●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2019」(野球文明叢書)。

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