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音の聞こえない世界に生きる“ろう”の写真家が「うた」と出会った瞬間

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2020年02月22日 11:30  AERA dot.

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写真齋藤陽道さん。LGBTや障がいのある人たちを多く撮った写真集「感動」で注目を浴びた(撮影/写真部・小山幸佑)
齋藤陽道さん。LGBTや障がいのある人たちを多く撮った写真集「感動」で注目を浴びた(撮影/写真部・小山幸佑)
“ろう”の写真家が、嫌いだった「うた」と出会うまでを記録したドキュメンタリー映画『うたのはじまり』(2月22日よりシアター・イメージフォーラムほか順次公開)がすばらしい。“うた”って何? 声を聞くって? 人との関わりって? 根源的なことをさまざま考えさせてくれる作品だ。

【写真】七尾旅人さんと齋藤さん親子

*  *  *
 ろうの写真家は齋藤陽道(さいとう・はるみち)さん。2010年に第33回キャノン写真新世紀優秀賞を受賞し、11年に発表した写真集「感動」で広く注目を集めた。俳優・窪田正孝のフォトブックや、森山直太朗、Mr.Childrenらミュージシャンたちも多く撮り、エッセイや漫画を手掛け、障害者プロレス団体『ドッグレッグス』で“陽ノ道”のリングネームで活躍するレスラーでもある。

「うた」に出会うまでの物語は、教会で聖歌隊が美しいコーラスを響かせ、彼女らに向かって聞こえない齋藤さんが「声?どんな音?誰に向かって歌っているの?わからない」と何度も言う場面から始まる。飴屋法水さんが演出する公演「雪が降る。声が降る」に齋藤さんが14年、出演したときのものだ。

 そこで齋藤さんに初めて出会った監督の河合宏樹さんは大いなる魅力を感じ、追い始める。まだ“うた”というテーマはおぼろげだった。

 そして、場面は次に、齋藤さんの妻で、同じく写真家の盛山麻奈美さんの出産という劇的なシーンに変わる。河合さんはここから“映画”にできる、と思ったそうだ。

「齋藤さんと出会ったのは公演のときで、本格的に撮影をしたいと衝動になったのは、出産の撮影をしていたときに齋藤さんから『この子は泣いたの? どんな声で泣いてるの?』と産声について聞かれたのに答えられなくて、自問自答したことからです。最終的には齋藤さんが子どもを思って言った『自分の喜びに忠実であって欲しい』という言葉が聞けたときに、映画にできるなと確信しました」(河合宏樹さん)

 赤ちゃんは産まれた時にどんな声で泣くのか? それを、ろうの人に伝えるのは言われてみれば確かに難しい。日常、私たちは当たり前に声を発し、声を聞き、理解した気持ちになっているが、果たして本当に理解しているのだろうか? 聞こえることに満足し、分かったつもりになってるだけじゃないのか?と、言われて改めて考える。

 あなたの声ってどんな音? そして、その声が歌う『うた』ってどんな音? それは何? 捉えるのが難しい大きなテーマを得て、河合さんは齋藤さんと共に歩みながらじっくり時間をかけて撮影を重ねていくことになる。河合さんはこれまでも、ミュージシャンやパフォーマーなど表現する人を追った映像作品を作ってきた。

 映画には齋藤さんのお母さんも登場する。我が子の生い立ちを語るが、生まれたときに耳が聞こえないことが分かった齋藤さんは相手の口の形から言葉を読み取り、その口の形をまねることで言葉を発する「口話」を学びながら一般の学校に通ったんだそう。すると、当然そこでは音楽の授業もある。「象さん」の歌の3拍子のリズムや発音をきちんと表現するよう無理やり叩き込まれたりして、音楽を嫌いにさせてしまったとお母さんは悔やむ。

 齋藤さん自身も「音楽の授業はなにもしないで座っているだけ。小学5,6年のときから先生も見放したみたいで、(うたの)テスト発表のときもしなくていいことになって、ずっと黙ってぼんやり座っているだけ。ぼくにとって音楽はただの振動でした」と映画中で河合さんに答えている。

 ところで映画中、齋藤さんと河合監督の対話が紙とペンで交わされる。今回も同様にして齋藤さんに話を聞いた。青いサインペンと黒いサインペンで交互に書く。インタビュールームにはペンの音とカメラのシャッターの音だけが響いていた。

■齋藤さんへのインタビューは筆談で

――子どもの頃から学校や日常で発音することは苦しかったですか?

「きれいに言えてるかな?ちゃんと聞き取れてるかな?ということばかり考えていて、話の内容を楽しむということがほぼなかったです。発音すること自体がどうも悲しいものでした」

――聞こえない自分の気持ちを表す、自分を表現することは大変でしたか?

「大変、までも辿りつけてなかったですね。何がわかっていて、何がわからないのかということもわからない中、ぼんやりヒマをすごしていたので……。自分のきもちとかみあう言葉がないと、自分の苦しみもわからないんだなーと思います」

 言葉がないと概念は生まれない。ぼんやりと生きていた少年時代を、映画の中では「うまく話せない、聞けない僕はダメだと思ってました」と齋藤さんが答えるシーンもある。十数年前まで日本の教育では、手話は禁止され、口話が基本とされていた。

――じゃ、写真に出逢うまではぼんやりとした中に住んでいたかんじですか?

「16才で高校にろう学校を選んで、手話と出会いました。目で話すことばに出会って。でも、まだ、自分のことばとしてなじまず……。もっといろんな人と出会いたい『音声がきれいに話せないとコミュニケーションできない』という自分のこりかたまった思いをほぐしたい、という願いがいつもありました。それでたまたま写真を通して、その願いをかなえるようになりました。そこからはクッキリとしてきましたね」

――写真を撮ることは、語り合い、自己表現、何かを見つけることなんでしょうか?

「このどれもあてはまるんですけども、ぼくが『いいなー』と思う写真はたいてい、『あ、こういうコミュニケーションもあるのか』という驚きをもたらしてくれた瞬間があります。『関わりの幅が広がった瞬間』を僕は必要としているのだなと思っています」

――関わりの幅が広がったのは具体的にどういう撮影だったか、1つ2つ例を教えてもらっていいですか?

「ALSの人の撮影で、眼の動きでPCに文字を入力してやりとりしたりとか、こどもが海で全身でたわむれている瞬間を見ながら、全身で感じることで世界を知っていったんだよなーということを思い出したりとか」

――それは聞こえなくても、写真を撮ることで世界を実感として感じ取ることができたということですか?

「はい」

 聞こえなくても、関わりの拡がりを、写真を撮ることで得た。触ること見ることなど全身で感じ取るコミュニケーションは、聞いて、分かったつもりになっている私たちよりずっと深いものだ。齋藤さんの写真を見ると、そう感じる。

■結婚、そして子どもが生まれ


 そして、齋藤さんはろう学校で出会った、同じく写真家の盛山麻奈美さんと結婚し、樹くんが産まれた。

 映画は斎藤さんと盛山さん、樹くんのあたりまえの生活を映し出していく。洗濯物を干したりとりこんだりたたんだり。斎藤さんが麻奈美さんの髪の毛を切ったり。料理を作り。飼っているカエルにエサをあげて。樹くんにおっぱいをあげて、おしめを変える。麻奈美さんもろう者だが、樹くんは耳が聞こえる。樹くんは音楽が大好きで、手拍子にあわせて足踏みして踊ったりもする。

 齋藤さんの中で、声を発すること、「うた」に対する思いが徐々に変わってくる。

「発音することへの気持ちを、子どもがやわらげてくれたと思います」(齋藤さん)

 そして、ごく自然な形で齋藤さんに「うた」が産まれる。かつて音楽はただの振動で、発音することが悲しみだったのが樹くんと共に過ごすことで「うた」が湧き出てくる。

「音楽を想うことはずっとやっていました。宇宙を思うように、とほうもないものを眺める感じで音楽を考えてきてはいました。なんか楽しいんですよね。ただ、うたは『つくる』ものだと思っていて。それがこどもと接するうちに、まず、心からあふれるものがやっぱりあって。そのあふれるもののままに声に出して、またそれに子どもが反応してくれて、うれしくなって、また出していって、というくりかえしでいたら、自然と。思ってもなかったですね。うたはあふれ出るものだと知りました。今は、遠くにあるものだと思っていた“うた”というものが、自分の中にもあったんだという素朴な発見にしんしんとうれしいばかりなんです」(齋藤さん)

 しんしんとうれしいばかりのうたは、映画の中では音楽家の七尾旅人さんに「つくりものではない、本当のうたです」と言わしめる。

 齋藤さんにうたが生れたその瞬間、カメラのこちら側にいる河合さんも共に喜ぶ。河合さん自身、「うた」に対する思いが齋藤さんに依って変わったという。。

■誰の中にも「うた」はある

「僕にとって『うた』は自分を救ってきたものでした。思春期の頃、たくさんの『うた』を聞いて鬱々とした気持ちを晴らし、励ましてもらっていました。それが撮影をして齋藤さんと一緒に『うた』について考えるうちに、自分の中にも『うた』はあるし、自分も人に与えられるし、それは誰しもが持つ本能的な力なんだと思うようになりました」(河合さん)

 そう、「うた」は誰しにもある。決して“ろう”の齋藤さんだから特別に湧き出てきたのではなく、誰の中にも「うた」はあるのだ。

 しかし、言葉とはなんと足りないものだろうか。湧き出る歌の半分も、その感動を語ることはできない。もどかしい! だから映画を見てほしい。まだ自分の中の「うた」に気づいてないのなら、なおさら見てほしいと思う。

――それにしても齋藤さん、音楽家たちをおおぜい撮影していますが、うたを自らの中に持ってから、写真は変わりましたか?

「もともと音楽家を撮影する際には、歌詞や音楽の中身といったことをも含めてしまうと、音楽を愛して撮影する人にぼくがかなうわけもないので、音楽の表面上のことではなく、その大元の、大樹としての『にんげん』にフォーカスしてきました。なので、撮影には変化は一切ありません」

 すばらしい写真も映画の中で数多く見ることが出来る。それも言葉やうた、コミュニケーションについて考えさせてくれるのだ。

●和田静香(わだ・しずか)/1965年、千葉県生まれ。音楽評論家・作詞家の湯川れい子のアシスタントを経てフリーの音楽ライターに。趣味の大相撲観戦が高じて最近は相撲についても書く。著書に『スー女のみかた 相撲ってなんて面白い!』『東京ロック・バー物語』など。

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  • 以前音楽療法の勉強をしていた時骨伝導で音を聴く講義があったなあ。 聴力を失った音楽家が何人かいたけれど、ベートーヴェンとかもそうやって作曲していたから。
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