“親子の受験”といわれる中学受験。思春期に差し掛かった子どもと親が二人三脚で挑む受験は、さまざまなすったもんだもあり、一筋縄ではいかないらしい。中学受験から見えてくる親子関係を、『偏差値30からの中学受験シリーズ』(学研)などの著書で知られ、長年中学受験を取材し続けてきた鳥居りんこ氏がつづる。
今年度の中学受験が滞りなく終了した。毎年、本番前後には、私の元に中学受験生の母たちからお悩み相談が殺到する。もちろん、終了後は多くの人がうれしい報告を寄せてくれるが、中には「死にたい」とまで思い詰める母の便りが届くこともある。
彼女たちは子どもの受験結果が望むものとは違いすぎて、意気消沈しているのだが、受験というものは、志望校への思いが強ければ強いほど、報われなかったダメージが大きいのだ。
本命校A中学の本番を受けなかった親子
かつて私に「死にたい」と訴えた麻友さん(仮名)のケースはこうだった。一人息子である純君(仮名)は小学校4年生からの受験勉強を経て、中学受験を経験した。麻友さんも夫も経験者ではなかったこともあり、受験勉強の日々が、こんなにも過酷であるとは思ってもみなかったそうだ。
「この3年間、純には好きな野球も無理矢理やめさせて、受験一辺倒の生活をさせてしまいました。全てはA中学合格のためだったんです。でも……」
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純君は、インフルエンザのために1月受験校を不戦敗。体調は戻ったものの、受験本番の空気を経験できぬまま2月1日からの本番に突入したという。
結果は次の通りだった。
2月1日午前B中学(偏差値56)不合格/午後C中学(偏差値50)不合格
2月2日午前D中学(偏差値55)不合格
2月3日午前B中学(偏差値58)不合格
2月4日午前E中学(偏差値54)不合格
2月5日午前B中学(偏差値62)不合格
2月6日午前F中学 (偏差値45)合格
8戦1勝6敗、1不戦敗。
私は聞いた。「あれ? 本命のA中学は3日が受験日だったよね? 受けなかったの?」と。すると麻友さんは嗚咽しながら、こう繰り返した。
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「私のせいです。私のせいなんです。もう、死んでしまいたい……」
つまり、こういうことだ。本命校だったA中学(偏差値64)の受験日は3日だけ。模試でのA中学への合格確率は40%くらいで、過去問10年分での勝率は五分五分だったという。一方で、B中学の合格確率は80%を超えており、過去問の感触もかなり良かったのだそうだ。そこで、麻友さんは、「早いうちにB中学から合格をもらい、さらにB中学より偏差値が低いC中学、D中学にも余裕で合格し、弾みをつけて、3日の本命A中学に挑む」というスケジュールを組んだという。
ところが、その歯車は、1日午後に受けたC中学の当日発表から狂い出す。まさかの不合格を抱えたまま、2日D中学を受験した後に、1日午前に受けたB中学の不合格を知り、さらに当日発表のD中学不合格が判明した。
「1日からの2日間で、塾から太鼓判を押されていた学校に続けて3校落ちたんです……。その翌日の3日は本命のA中学なのに、純は泣き続けていて、とても受けられるような状態には思えませんでした」
塾も安全策を考えて、3日は「B中学2回目受験」を強く推してきたという。迷いに迷ったそうだが、やはり、ここは塾の進言を聞くことにして、A中学受験をやめ、再びのB中学に挑むも、結果は不合格。
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「一番、きつかったのは3日の夜に純が『もう、どこも受かる気がしない』と言って、ご飯も食べずに寝たことです……。あれだけA中学を目指して頑張ってきたんですから、結果はダメでもA中学を受けさせるのが親の務めだったのではないか? って……。私が上手に誘導できなかったばかりに、後悔しか残らない受験になってしまいました。もう純には合わせる顔がありません」
合格切符というものは、これほど手にすることができないものか、と嘆くほどの受験になったが、純君は結果、6日のF中学に合格。麻友さんは手で涙を拭いながら、こう漏らした。
「私は言ったんです。『F中学、合格おめでとう!』って。でも、純はまったく喜んでいなくて、私としても1回も行ったこともない学校だったので、正直、まったくうれしくなかった。今も『ああ、ここなのか……。頑張った結果がここなのか……』って思いしかなくて、もう、いっそ死んでしまいたいって思うんです」
純君は「F中学には行かない。公立中学にも行かない」と言って、塞ぎ込んでいるとのことだった。目の前で「死にたい」と繰り返す麻友さんに、筆者はこんな助言をした。
「死ぬのはいつでもできるから、死ぬ前にF中学に行って、先生を呼び出して、私の伝言を渡してくれないか?」
後日、麻友さんは、その走り書きを持ってF中学に行ってくれたみたいだ。その後、純君はF中学に入学した。
あれから早くも6年の歳月が流れた。先日、F中学の校長先生にお会いした際に、純君の話が出た。
「彼は部活も頑張りましたし、学園祭でも実行委員として盛り上げてくれました。本人の努力もあって、推薦で慶應に入りました。りんこさん、あなたとの約束は果たしましたよ(笑)」
私が麻友さんに渡した走り書きは「校長先生。再生工場、期待してます。純君をよろしくお願いします」というものだったと記憶している。
私立中高一貫校にはそれぞれ校風があり、それに憧れて受験するのは、とても良いことだ。憧れの学校に入学できたら素晴らしいことだと思う。しかし、哀しいかな、第1志望合格者は、「5人に一人」と言われるほど狭き門なのである。
思いが届かなかった時、母は責任を感じて「死んでしまいたくなる病」に罹患しやすいのだ。立ち直るには正直、時間薬が必要だが、もし、心のどこかで助けを必要としているのであれば、同じような経験をした元中学受験生の母、あるいは私のように、数多くの事例を知っている人に「(死にたいくらい)つらい」と言ってみよう。
私はこの20年あまり、「死にたいくらいつらい」という母に、数多くお目にかかってきたが、その経験から言わせてもらうならば「雨が降った方が地は固まる」のである。なぜならば、どの私立中高一貫校も、伊達に存在しているわけではないから。たとえ志望校ではなくとも、縁のあった学校で腐らずに頑張ることにより、子どもの人生は開けると思っている。