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「介護をもう一度やらせてもらえる?」作家・落合恵子の“母との別れ”

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2020年02月27日 11:30  AERA dot.

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写真落合恵子さん (c)朝日新聞社
落合恵子さん (c)朝日新聞社
 親子の別れは必ずやってくる。その日のために子どもは何ができるのか。作家の落合恵子さんが、認知症だった母との別れを振り返る。

*  *  *
「つきあってくれて、ありがとう」

 落合恵子さん(75)は、2000年から7年間にわたる在宅介護の末、認知症の母を看取(みと)った。こう振り返る。

「1週間でいいから、(ここに)帰っておいで、と思うときがあります。母も私も、介護については初心者でした。つらかったのは他でもない母自身だったと思いますが、私も母の変化についていくのに大変で精いっぱいの日々でした。もし、今母が帰ってきたら、あのときよりきっと、もう少しゆったりとした介護ができるかもしれない。1週間でも1カ月でも、1年でもいいから、もう一度やらせてもらえる?と言いたい気持ちがあります」

 亡くなって12年経った今でも、あの病院で良かったのか、胃ろうは正しかったのか、と考える。

 母親と病院近くのバリアフリーの住まいに移ったときのことも、いまだに頭から離れない。当時ひとりで懸命に頭を悩ませ、結論を出した。

「あのとき、母自身はどうだったのかしら、と。30年以上暮らした家を去るとき、なんだか少し悲しそうでしたから。あまり自己主張をするタイプの人ではなかったので、それが今でも気になります」

 自伝的小説『泣きかたをわすれていた』(河出書房新社)では、母のために刻み食をつくるとき、何を食べているかわからないと思ってまず原形を見せた様子が描かれている。

「読者の方から、『あれだけされたら、悔いはないでしょう』と言われるときがありますが、悔いはたくさんあります。選ばなかったことへの悔い。その答えは出ません」

「妙な話ですが、いつかどこかで母に再会できたら、あのときどうだった?とか、言葉の向こう側にあった彼女の思いを聞いてみたい。私がアクセルを吹かしているとき、母は『そんなに前のめりにならなくて大丈夫よ』と思っていたかもしれません。『一生懸命はお互いちょっと疲れるよ』と言いたかったかもしれません。私がしたこと、したかったことも含めて、母の価値観に合っていたかどうかはわかりません」

 その答えは別として、落合さんはこう思う。

「何より、人生でかけがえのない人の、人生の最期に、同じ時空を過ごせたということに価値があるのだと考えたいです。愛する人との別れはこの上ない痛みを伴うものですし、悔いと無縁な別離はないでしょう。結局、たどり着くのは次のような感慨です。あのとき私は失敗もした。けれども一生懸命だったよね。ごめんね、でも、つきあってくれて、ありがとう」

(本誌・大崎百紀)

※週刊朝日  2020年3月6日号

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