「キャッシングで借金、病院代もない」50代無職夫婦と80代老母の“八方塞がり”――「8050問題」の現実

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2020年03月22日 22:02  サイゾーウーマン

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サイゾーウーマン

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。

 小田誠さん(仮名・52)は、両親が離婚したあと、長らく音信不通だった母親の介護中に相談に乗ってもらっていた松永理恵子さん(仮名・50)と結婚した。お互いに初婚。50歳になってようやく迎えた春だった。

 福祉関係の専門職として活躍してきた理恵子さんと結婚するという小田さんに、友人たちは「母親を最期まで責任をもって介護したご褒美だ。神様はちゃんと見てくれていたね」「逆玉の輿だ」と祝福してくれたという。

 そんなとき、今度はこれも長く音信不通だった父親が倒れたという連絡が来た。母の介護がようやく終わって、理恵子さんと人生を再スタートしようというときに、これ以上身勝手な親に振り回されたくなかった。「もう生活保護でもなんでもいいので、役所で好きなようにしてほしい。自分はもう引っ越すので何もできない」と言って、理恵子さんの住む都内に逃げるように越したのだった。

(前編はこちら)

こんなに優秀な女性が私の妻に

 追ってくる暗雲を払いのけるように、理恵子さんと暮らしはじめた小田さんは、もっと厳しい現実に直面する。

 年齢もあって、正規雇用の仕事はなかなか見つからず、非正規で働くしかなかった。これは小田さんもある程度は覚悟していたことだった。理恵子さんをサポートできればいいくらいのつもりだったからだ。

 この頃、理恵子さんはこれまでの業績が認められ、ある私立大学の教員に推挙されていた。

「私も誇らしかったですね。こんなに優秀な女性が自分の妻になってくれる。これまで50年間一人でいたのも悪くなかったと、自分の幸運に浸っていたくらいでした」

 だが、そんな幸福も長くは続かなかった。

 理恵子さんは勤務先の大学を牛耳っていた教授たちから、ひどいパワハラを受けたという。「長い物には巻かれろ」ができない理恵子さんの性格が災いした。着任して1カ月もたたないうちに休職、そして数カ月後には退職に追い込まれてしまう。ひどい鬱だった。

「彼女が退職したとたん、生活に困窮するようになりました。私の仕事もろくにない状態なのに、都内の高い家賃は払い続けられません。彼女の療養もかねて、家賃の安い近県に引っ越そうということになりました」

 理恵子さんの実家に戻り、二人で同居させてもらうという方法も考えたというが、それはかなわなかった。理恵子さんの実家には、義弟が住んでいたからだ。

 義弟は勤めていた大企業を辞め、小田さんいわく「怪しげなベンチャー」を立ち上げたが、うまくいかなくなって自己破産。妻とも離婚して、実家に戻ってきていたのだ。

「そうした経緯もあるからか、私たち夫婦には攻撃的で、まともに会話もできません。妻はそれで鬱がひどくなってしまった。とても私たちが妻の実家に同居させてもらえる状態ではないんです」

 肝心の義母も、かわいい息子が帰ってきて、二人で暮らせるのがうれしいようだと小田さんはいう。とはいえ、義母にとっても、娘と息子が放っておけない状態であることは心痛に違いない。

 だからか、小田さん夫婦は近県に引っ越したあとも、たびたび義母に家賃や生活費を援助してもらっているのだ。

「お恥ずかしい話ですが、こちらに来てから何度も家賃を滞納しては、どうにも都合できなくなって、そのたびにキャッシングで借金したり、義母から借りたりしている状態なんです」

 理恵子さんの病気にも波があり、とてもまだ働くことのできる状態ではない。薬も欠かせないという。

「正直、病院代もきつい。私もいろんなことに自信がなくなってしまいました。日払いの仕事を見つけては働いているんですが、電車に乗っただけで体調が悪くなるんです。『プライドを捨てて、介護の仕事でも何でもやってみたらどうか。この人手不足で資格はなくても採用されるはずだ』と友人にも言われましたが、今の気力体力では続けられる気がしない。妻の主治医からも『あなたも鬱にならないように気をつけて』と励まされましたが、私まで病院に行くお金もない。友人が都内の仕事を紹介してくれたこともありますが、都内まで出かける金もないんです」

 もはや生活保護受給を考えるレベルだろう。このままでは共倒れだ。

「市役所に生活保護の相談にも行きました。でも今の家賃が生活保護の上限を超えているので、引っ越しすることが条件だと言われました。基準の範囲内の住まいなら引っ越し代も出せるというんです。生活保護が受けられれば病院代もタダになるので、今よりずっと楽になるのは間違いない。しかし、妻は引っ越しして環境が変わるともっと病状が悪くなるから引っ越しはできないと言っています。私には説得する自信もないし、実際、無理に引っ越して鬱が悪化するのは目に見えているので、難しいでしょう。結局ここで生活保護の話もストップしてしまっています」

 八方塞がりとはこのことだ。いざとなれば義母という助けがあることを、小田さん夫婦も役所の担当者も見越しているからかもしれない。だが、義母だって80代だ。いつまでもあてにできるわけではない。

 小田さんは、あれこれ考えることもできなくなり、「こうしなさい、と言ってくれる司令塔がほしい」と力なく笑う。

 「逆玉の輿」とからかわれた幸福なときは短かった。

「父を見捨てたバチが当たったのかもしれないと、最近思うようになりました。妻と結婚できたときは、母の介護をやったおかげだと思ったのに……」

 「8050問題」――50代の引きこもりや職のない子どもを、80代の親が支えるという構図が社会問題になっている。小田さんの場合、80代の親1人に対して、40から50代の子どもが3人。この現実の前に言葉も出ない。

「もっと私が死に物狂いで仕事を探すしか、解決の道はないんですよね……」

 歯車はどこで狂ってしまったのだろう。それでも、一人で苦しむより、小田さんのそばに理恵子さんという家族がいてよかったと思うべきなのだろうか? 小田さんと別れてからも、ずっと考えている。

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