『堂本兄弟』『FNS歌謡祭』に息づく“ショーの精神” フジ音楽番組演出スタッフに聞く、生演奏とコラボにこだわる理由

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2020年03月28日 08:01  リアルサウンド

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フジテレビ番組演出・浜崎綾氏

 音楽の魅力を広く伝えるメディアとして、大きな機能を果たすテレビの音楽番組。CD全盛期に比べて番組数が減少する中、それぞれ趣向を凝らした番組づくりが行われている。そんななかでも、注目すべき番組に焦点をあてていく連載「テレビが伝える音楽」。第9回では、先日放送され大きな注目を集めた『緊急生放送!! FNS音楽特別番組 春は必ず来る』にて総合演出を手がけた浜崎綾氏にインタビュー。同特番や『MUSIC FAIR』について聞いた前編に続き、今回の後編では音楽番組の制作者としての歩みを『堂本兄弟』、『FNS歌謡祭』の2番組のエピソードを中心に振り返ってもらった。(編集部)


(関連:『春は必ず来る』演出スタッフに聞く、FNS音楽特別番組までの10日間 テレビがいま、エンタメ業界にできること


■16年のテレビマン人生はKinKi Kidsと共にある


――浜崎さんのこれまでのキャリアについて教えてください。


浜崎:私は入社1年目から音楽班に配属されたので、フジテレビに入って以降、ずっと音楽番組を担当しています。


――もともと音楽番組の担当を志望していたのですか?


浜崎:学生時代はバンドでドラムをやっていて、本当はバンドで大成したかったという思いもあります。フジテレビの最終面接の日も、下北沢CLUB251というライブハウスで自分のバンドのライブがあって。ライブで着る服と機材をロッカーに入れて、スーツを着て昼間面接に行って、すぐ下北に戻りました(笑)。最終面接はその日中に合否連絡が来ることになっていて、「電話が来てもライブ中だったら出られないな……」と思っていたのですが、ちょうどリハと本番の間に電話がかかってきて内定が出ました。当時バンドでお世話になっていたレコード会社の人も、就職活動中は「会社員になるなんてつまんない大人になるんだな」と言っていたのに、内定先がテレビ局と聞いた瞬間「今すぐ就職しなさい」と後押ししてくれて(笑)。就職するならテレビの音楽番組の制作かレコード会社と考えていました。


――学生時代から音楽漬けの毎日だったんですね。


浜崎:そうですね。「大学時代なにやってた?」と聞かれたら「バンドとバイト」としか言えないですね。すごく典型的なダメな大学生でした(笑)。


――音楽を好きになったきっかけは?


浜崎:母親が音楽好きで、松任谷由実さんの大ファンだったんです。洗脳のように生まれる前からずっと聞かされていて、ユーミンの曲がかかれば全曲歌えるくらい、曲を刷り込まれて育ちました。母親が自宅のリビングでライブのビデオを流していたこともあって、映像と音楽への興味はずっと自分の中にあって。映像の仕事がしたいという思いも無意識のうちにありましたね。たとえばMVの監督のような仕事に就きたいとも思っていました。


――フジテレビに入社して、最初に担当した音楽番組は?


浜崎:『堂本兄弟』です(『LOVE LOVE あいしてる』の後継番組として2001年スタート。その後『新堂本兄弟』となり2004年9月まで放送)。私の16年のテレビマン人生はずっとKinKi Kidsと共にあると言っても過言ではないくらい、KinKi Kidsに育てていただきました。2004年入社なので、『堂本兄弟』になって数年の頃にADとして番組に配属されました。ちなみに『堂本兄弟』のスタッフの多くが『FNS歌謡祭』のスタッフです。そのことからも『堂本兄弟』は、フジテレビの中でバラエティ番組ではなく音楽番組として捉えられていたということが伝わるかと思います。


――具体的にはどういったお仕事を担当していたのですか?


浜崎:バンドをやっていたので、当時の番組プロデューサー・きくち伸さんは「音楽のことがわかるやつ」と私のことを思っていたようで、AD1年目から吉田建さん(音楽監督・ベーシスト)と一緒に音楽制作を任されていました。披露する曲のサイズやアレンジ、女優の方が歌うことも多かったので、持ち歌ではない曲のキーの設定を考えたり。生演奏での音楽作りを叩きこまれました。建さんとのやりとりでは千本ノックのように鍛えられましたね。いま思えば、生演奏ならではの知識やノウハウを早い段階から手にすることができたのはすごくラッキーでした。


ーー『堂本兄弟』は、KinKi Kidsのアーティストとしての歩みを振り返る上でも特別な番組でしたよね。


浜崎:そうですね。『LOVE LOVE あいしてる』には、お二人がギター演奏を学んでいく成長ヒストリーの要素もありましたが、私が入社した頃には光一さんも剛さんもすでに譜面で会話ができていました。キーの変更もその場ですぐ対応していましたし、完全にいちミュージシャンでしたね。堂本ブラザーズバンドに参加する手練手管のメンバーたちとも音楽に関する話をしていました。


――『堂本兄弟』ならではの演出面での工夫はありましたか。


浜崎:少し変わっているのですが、テレビでは放送されないスタジオワークの演出に強いこだわりのある番組でした。きくち伸プロデューサーが繰り返し言っていたのは「テレビ収録である以前に客前のライブショーなんだ」ということで。たとえば、バラエティ番組では本番前に若手芸人が前説で場を盛り上げますが、コンサートやショーではやらない。「お客さんがいる以上、そのスタジオはショー。どうやって演者が登場して収録がスタートするのかは演出だ。ちゃんと考えろ」ということを言われていました。前説のブラザー・トムさんが吉田建さんを呼び込み、建さんがベースでメロディを奏で始め、ドラムの村上”ポンタ”秀一さん、ギターの高見沢俊彦さんが登場して……というように、だんだん一つの曲の中で音が厚くなっていく。曲の盛り上がりとともにお客さんのボルテージもあがっていったところでKinKi Kidsが登場。二人が歌って番組が始まるーー『堂本兄弟』の収録スタートはそんなふうに構成していました。しかし、その演出はあくまで会場にきたお客さんのためにやっていたことだったため、すべては放送されていません。音楽番組にとってすごく大事な“ショーの精神”を学ばせてもらいました。


――『堂本兄弟』終了後、浜崎さんは『KinKi Kidsのブンブブーン』で初めてバラエティ番組を担当したとのことですが。


浜崎:『堂本兄弟』から『ブンブブーン』への流れは、KinKi Kidsにとってもすごく大きな転換点でした。二人は音楽を大事にしているから音楽番組をやり続けたい気持ちもある中、ロケバラエティに挑戦することになって。私も同じタイミングで音楽番組の担当からいったん外れて、2014年から2015年の1年間は『ブンブブーン』だけを担当していました。制作者として自分にとっても大きな転換点になったと思います。


――『堂本兄弟』はいまでも年末の特別番組として例年放送されています。KinKi Kidsのお二人の音楽に対する思いもあって実現しているのですね。


浜崎:二人にとって「他のグループと自分たちが何が違うのか」の圧倒的な答えが音楽なんだと思います。俺たちは自分たちで曲も作るし、演奏もするし、コンサートだって音楽を一番大事にしている、と。なので“KinKi Kidsの軸に音楽がある”という気持ちは強いのではないでしょうか。『堂本兄弟』に配属されたのはたまたまでしたが、そういうお二人と長らくお仕事をさせていただいているのは本当にありがたいことです。


――KinKi Kidsと過ごしてきた中で、お二人の変わった部分・変わらない部分はそれぞれありますか。


浜崎:常に変化しているし、頑なに変化しないところもあります。KinKi Kidsは15、16歳のときからテレビのトップスターで、私も小・中学生のときから二人の活躍を見てきました。お二人と仕事をし始めて数年経って、ふと自分と年齢がそんなに変わらないことに気づいて驚きましたね。あまりにも完成されていて達観しているというか。ずっとその印象は変わらないです。ただ、お二人も40代になり、「アイドルとしてこうしなければならない」ということから解き放たれて自由になったなというのは最近感じています。


――ちなみにKinKi Kidsの楽曲で一番好きな曲は?


浜崎:私は「シンデレラ・クリスマス」が好きで、ずっと番組でも歌うことを提案してきたのですが、「地味じゃない? テレビ的じゃないよ」と断られ続けていたんです。でも、3年ほど前にようやく番組で披露することができました。(『2016 FNS歌謡祭』第2夜放送)やっぱりいい曲だなと思ったし、あのときは嬉しかったですね。


■『FNS歌謡祭』が生演奏とコラボにこだわる理由


――浜崎さんは『FNS歌謡祭』の演出も担当していますが、こちらはどのような方向性を目指して作られてきた番組なのでしょうか。


浜崎:『FNS歌謡祭』は入社以来ずっと担当してきましたが、『FNS歌謡祭』にしても『僕らの音楽』にしても、フジテレビの音楽班が一番こだわってきたのが生演奏とコラボレーションです。番組を見ていた人しか見ること・聴くことができない特別なものを提供したいという思いを詰め込んだ番組ですね。


 音楽の「正しさ」で言えば売られているCDが一番正しい。正しいという表現が合っているかはわからないですが、歌のピッチも正確で、リズムの縦線も合っていて、演奏も間違えていない。色々なパートの音のバランスもトラックダウンして完璧なものになっているものがCDですよね。なので、正しいものを聴きたかったらCDを聴けばいいと思うんです。


 でも、人間は正しいものに感動するかといったらそうではないのではないかと。感情が高ぶって音程がずれたとか、音のバランスは悪くても妙に演奏がエモーショナルだとか、誰かと誰かが一緒に歌った化学反応で100点だったものが300点になるようなミラクルが起こるとか、そういう特別な何かが起こる土壌を提供したいという気持ちがあります。音楽は揺れというか……歌い手や演奏している人の気持ち、その日のコンディション、空気感でグッとくるし、感動を呼ぶんです。だから私は生演奏やコラボが好きだし、フジテレビはそれを提供したい。『FNS歌謡祭』ではそういったことをずっと突き詰めてきました。


――たしかに『FNS歌謡祭』は番組オリジナルのコラボレーションが毎回大きな話題を呼んでいます。


浜崎:手間と労力で言ったら普通の10倍はかかります。まず誰と誰でこの曲をやったらいいんじゃないかと発想して交渉する。やることが決まったらこの曲のこのパートはAさんが歌って、ここはBさんが歌って、このパートはBさんがハモりましょう。ハモるんだったらこういうラインはどうですか、と詰めていく。照明や映像の演出ももちろん考えますし、事前リハーサルも行います。譜面を書いてもらってリハーサルをして、そのアーティストに歌割りを覚えてもらう。いま音楽番組で本番日とは別にリハーサルをやっている番組はほとんどないと思います。『MUSIC FAIR』と『FNS歌謡祭』くらいなんじゃないかなと。


――いわゆる番組演出よりも一歩進んだ、演者側に入り込んだ仕事が多いということですね。


浜崎:そうですね。音楽を作る部分に入り込むので『FNS歌謡祭』でいえば武部聡志さん、『堂本兄弟』でいえば吉田建さんといったプロのアレンジャーに譜面に落とし込んでいただきますが、根幹の発想の部分はこちらが担っているので、ある程度の音楽の知識がないとできないことではあるかもしれません。


―― これまで『FNS歌謡祭』でも様々なコラボレーションを手がけてきたと思いますが、その中でも特に印象深いものがあれば教えてください。


浜崎:三谷幸喜さんとAKB48の「Beginner」(2013年放送)、平手友梨奈さんと平井堅さんの「ノンフィクション」(2017年放送)のインパクトは大きかったですね。


――三谷幸喜さんとAKB48のコラボの経緯は?


浜崎:三谷さんはもともと『堂本兄弟』でご一緒したのがきっかけです。『堂本兄弟』では事前にゲストにお会いしてトーク、曲の打ち合わせをしていたのですが、歌ってみたい曲、好きなアーティストについて聞いたときに三谷さんから出てきたのがAKB48「Beginner」で。意外すぎて私には完成形が見えてなかったんですけど、三谷さんにはしっかり見えていたようで、実際にコラボしてみて「こういうことか!」と納得しました(笑)。 あれはもう三谷さんの才能の賜物だと思いましたね。


ーー平手友梨奈さんと平井堅さんについては?


浜崎:平手さんがコンテンポラリーダンスのようなもので何かを表現したいということで。そこで私が選んだのが平井さんの「ノンフィクション」でした。すでに平手さんの中には振付をする人のイメージもあり、CRE8BOYのruiさんという方にストーリー性のある素晴らしい振りをつけていただきました。今でも覚えているのが、リハーサル室で繰り返し平手さんがその振りを踊っていて、毎回全力なので途中の膝を地面につく動きで膝が真っ青なアザになっていたこと。その鬼気迫る様子は口を挟む余地もなく、氷を買いに行って手渡すことくらいしかできませんでした。


――「ノンフィクション」のコラボレーションは印象に残っている視聴者も多いのではないでしょうか。その翌年、平井さん自身も平手さんからインスピレーションを受けて「知らないんでしょ?」という楽曲を完成させてしまったほどです。


浜崎:そのお話は平井さんから聞きました。私たちが提供したものがアーティストにとって活動や創作の刺激になるなんて、こんなに嬉しいことはないです。アーティストの方々にも流してできない何かが『FNS歌謡祭』にはあるのだと思いたいですね。「相手は100でくるから150で返さなきゃ」「じゃあ200で返さなきゃ」という相互効果がものすごいものを生み出す。それを体感できたときが、もっとも嬉しく、やりがいを感じる瞬間ですね。


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