戸田恵梨香が私たちに灯した炎 『スカーレット』最終週が描いた“特別な1日”

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2020年03月28日 12:41  リアルサウンド

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『スカーレット』写真提供=NHK

 『スカーレット』(NHK総合)最終週「炎は消えない」で描かれたのは、それぞれの幸せのカタチ、そしていつもと変わらない1日だった。


参考:戸田恵梨香、年齢を重ねていく佇まいのすごみ 異色作な朝ドラ『スカーレット』を走らせ続けた動力


 タイトルバックをラストに持ってくるという特別な演出もなく、いつも通り始まった第150回。武志(伊藤健太郎)の白血病の症状は、味覚障害、脱毛と目に見えて進行しているのが明らかであったが、それらを打ち消すほどの充実した輝く毎日が最終週では映し出されていった。


 刻一刻と迫る死を前に、武志がワークショップ「今日が私の1日なら」で書いた「いつもと変わらない1日は特別な1日」という言葉。幸せとは私たちが当たり前に吸っている空気のように目に見えづらく、人それぞれに幸せのカタチがあるからこそ言葉にもしづらい。「幸せ」とパッとインターネットで検索して出る答えは、「幸福であること」「心が満ち足りていること」となんとも抽象的だ。


 喜美子(戸田恵梨香)と武志にとっての幸せ。それは、抱きしめたくなるほどに愛おしい互いの存在だ。第1回で登場したびわ湖が最終回では再び登場しているが、喜美子の武志への“ギュ〜”も第103回以来。八郎(松下洸平)が家を出て行ったその意味をまだ理解していない武志に、大好きという思いを伝えるため、喜美子自身の気持ちを慰めるための“ギュ〜”だった。最終回では、作陶をする穏やかな日常の中での“ギュ〜”。


 最終週において、武志の病状は細かく伝えられることはなく、この喜美子と抱き合う親子のシーンが、武志にとって最後の姿となる。脚本によっては、最終章にて武志が白血病と必死に闘う壮絶な姿を描くこともできただろう。けれど、『スカーレット』が伝えたのは目の前に横たわる死の未来ではなく、目の前にある見えづらい“生きる”ということだった。


 人の思いは伝わっていく。ちや子(水野美紀)から草間(佐藤隆太)、草間から武志へと伝っていったエールのバトンが、武志から大崎(稲垣吾郎)へと感謝の気持ちとして力強い握手になっていったように。喜美子、ついには武志にも陶芸において越されてしまった八郎は、深野(イッセー尾形)がかつて若い絵付け師の弟子になるためにと向かった長崎で再び陶芸家を目指すことを喜美子に告げる。生前、武志が喜美子に気恥ずかしくて言えなかった「俺を産んでくれてありがとう」という言葉とともに。


 それにしても、川原家の縁側ではいろいろなことがあった。常治(北村一輝)も一緒に川原家みんなで食べた西瓜、マツ(富田靖子)との苺、八郎との蜜柑。家族団欒の一方で、喜美子と八郎との別れ話も、縁側には記憶として残っている。けれど、最後に喜美子と八郎が頬張る蜜柑には、希望の未来が見えた。「また会って話しような」と残す八郎の言葉からは、これからも変わらず続いていく2人の関係性が見えると同時に、挫折して帰ってきた八郎に喜美子が笑って喝を入れる姿もいいなと思えてくる。


 『スカーレット』は、喜美子が穴窯で一心不乱に炎と向き合う姿で幕を閉じる。これも第1回の冒頭のシーンとリンクした部分であるが、違うのは再び一人となった喜美子がこれからを生きていくという、揺るぎない強さを戸田恵梨香の表情から感じられることだ。『スカーレット』は、特別な派手さこそないものの、演者の細かな演技、丁寧な脚本、愛情のこもった作品作りによって、キャラクターの心情の機微がより鮮明に感じ取られる朝ドラであった。物語はここで終わってしまうが、喜美子や武志たちから我々に灯された炎は消えない。(渡辺彰浩)


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  • 命と釜の火がリンクしているようでぞくぞくしました。骨髄バンクの斡旋まではなかったけれど、深読みしたくなりました。
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