中村佳穂、君島大空らサポートする西田修大が振り返る、ギターとの出会いから音楽家としての目覚めまで

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2020年03月31日 12:01  リアルサウンド

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写真西田修大(写真=西村満)
西田修大(写真=西村満)

 中村佳穂、石若駿、君島大空、角銅真実……現在日本の音楽シーンを面白くしている気鋭の音楽家のライブを観に行くと、そこには必ずギタリスト・西田修大の姿がある。吉田ヨウヘイgroupのメンバーとして本格的なキャリアをスタートさせ、休止期間を挟む約7年の活動を経て、2019年2月バンドを脱退。現在は前述した名前をはじめとした様々なアーティストのライブやレコーディングに参加し、精力的に活動を続けている。ジャズを軸としたクロスオーバーがここ日本でも徐々に広がり、優れたプレイヤーたちがコレクティブな動きを見せる中にあって、西田のギターヒーロー然とした佇まいは確かな存在感を放ち、彼に対する注目度は日増しに高まっていると言えよう。今回はそんな西田が初めてこれまでのキャリアを振り返り、今後の展望までを語ったロングインタビューを前後編に分けてお届けする。(金子厚武)


(関連:【写真】西田修大インタビューの様子


●「ジョン・フルシアンテはまさにヒーロー」


――最初にギターを手にしたきっかけから教えてください。


西田:高校まではテニス部で、結構真剣にやってたんですけど、最後の夏の大会で肩を壊しちゃって、これから受験ってタイミングで、鬱屈としてた時期があって。で、もともと親父の影響でエリック・クラプトンが好きだったんですけど、地元の広島にクラプトンが来ることになって、観に行ったんです。そうしたら、なんかもう嬉しすぎて、1時間半くらいずっと泣いちゃって。それで親父にお願いして、ギターを買ってもらったのが最初です。大学はもともと東京に出るつもりだったから、「東京行ったらバンドやりてえ」って思いながら、家でずっと「Crossroads」の練習をしてました(笑)。


――海外のブルージーなロックが入口だったわけですか?


西田:クラプトンから派生して、スティーヴィー・レイ・ヴォーンとかジミ・ヘンドリックスとか、いわゆるギターヒーローが好きでした。高校の同級生の中にバンドをやってるやつらがいて、高3くらいでレッチリ(Red Hot Chili Peppers)とかレイジ(Rage Against the Machine)も好きになったんですけど、それまではひたすらブルースロックと、あとはR&Bですね。母がダンスの先生で、振り付けのためにブラックミュージックをよく家で流していて、そういうのを聴くことが多かったです。


――で、実際に上京して、大学の軽音サークルに入ったと。


西田:一緒に上京したやつと一緒に音楽サークルを見て回って、自分が入ることになるBEAT POPS研究会の部室にいたときに、たまたまOBのboboさんが来たんですよ。そのときはまだスネアが何かもわかってないような状態だったけど、初めてboboさんのプレイを間近で見て……眩しかったり、風が強いと、目が開かなくなるじゃないですか? ずっとああいう感じで、「すげえ!」と思って。なので、あの人に憧れたのがミュージシャンになろうと思った最初のきっかけだった気がします。それからは地下の部室に籠って、みんなで音楽を聴いて、練習して、あのサークルは自分にとってデカかったですね。


――当時はそれこそレッチリやレイジのようなミクスチャーをやってたわけですか?


西田:レッチリとレイジは「もういいだろ」ってくらいやりました(笑)。あとサークルの2個上の先輩の代がいわゆるオルタナ、Sonic Youth、At The Drive-In、Fugazi、Dinosaur Jr.とかが好きな人が多くて、自分も好きになったり。NATSUMENもめちゃくちゃ好きで、AxSxEさんも大学の先輩なんですけど、ベースの山本さんがサークルのOBで、大学1年のときに一緒にレッチリをやってもらったり、すごく影響を受けました。


――ギタリストとしての影響源で言うと、まずはやっぱりジョン・フルシアンテ?


西田:ですね。レッチリはホント大好きで、ブートを500〜600枚持ってて、「『LIVE AT BERLIN』の「Scar Tissue」のソロが好き」とか言ってコピーしてて(笑)。当時はただただかっこいいと思って聴いてたんですけど、何でそんなに好きだったのかを今考えてみると、あの人めちゃくちゃギターヒーローで、めちゃくちゃ弾けるけど、全然動かずに何も弾かないときもあるじゃないですか。それが全部、その音楽に求められてることをしてるというか、あそこまで徹底してやってる人は他にいないなって。しかも、結構気分でそれをやってるんですよね。「今日はテンション高いから弾きまくっちゃおう」みたいな、それも正解な気がするんです。そういう自分が思うロックギターのかっこいい要素が詰まってる人だったので、ジョンはまさにヒーローですね。


――トム・モレロに関してはどうですか?


西田:あの人はとにかくプレイに思想が強い気がしてて、あの人の足元って、結構シンプルなんですよね。ブースター、イコライザー、ワウ、ワーミー、ディレイ、フェイザーくらい。「それらをいかに柔軟に使って、どれだけのサウンドを作れるかだ」っていうことを彼は常に言ってて、だから、「これ一発踏んだら変な音になります」みたいなのって、彼のプレイにはほぼなくて。彼のプレイには思想があって、実践があって、そこには層があるから、安易に近づけない強度がある。エフェクターを使うことは全然悪いことじゃないし、僕も大好きですけど、エフェクターともちゃんと楽器として向き合って、そこに自分のフィジカルと思想を合わせてアウトプットしてる。そういうところが好きなんですよね。


――吉田ヨウヘイgroupの吉田くんもサークルの先輩で、西田くんが大学4年生の頃から一緒に活動を始めたそうですね。吉田ヨウヘイgroupに参加することで、プレイスタイルにはどのような変化がありましたか?


西田:吉田ヨウヘイgroupは管楽器もコーラスも分厚くあるものを最初から目指していて、リズムも隙間の多いシンプルなものよりは、複雑に構成しようとしていた曲が多くて、それこそレッチリやレイジはギターが中心にあることが多い音楽ですけど、吉田ヨウヘイgroupは特に初期において、ギターはアンサンブルの中心ではなかったんですよね。言ったら、なくても成立する、余剰ではあるんだけど、でもあった方が絶対にいいっていうものを目指して、アプローチをいろいろ考えるようになりました。それはずっと自分の核になっています。


――吉田ヨウヘイgroupには「ジャズ」というキーワードもあったわけですが、西田くんはいつ頃からジャズに興味を持つようになったのでしょうか?


西田:それまではあまり意識して聴いてなかったんですけど、吉田さんに教えてもらったり、ほぼ同時期に柳樂さん(ジャズ評論家の柳樂光隆)にも会ったので、いろいろ教えてもらったりして。ただ、未だに結構そうなんですけど、「ジャズを聴いてる」って感覚では聴いてなかったかもしれない。教えてもらったのも、いわゆる最近のジャズというか、当時インプットしたのはよりフォーキーだったり、よりR&Bの解釈が入ってたりするもので、単純に新しい音楽を聴いたときのワクワクがあったんですよね。今思うと、当時は何を聴きたいかよくわからなくなってて、「何か面白いのないかな?」って思ってたときに、すごく新鮮で、刺激になったんです。


――ギタリストで言うと、影響が大きいのはやはりWilcoのネルス・クライン?


西田:ネルスがめちゃくちゃ好きになったのはその時期ですね。もともと大学生の頃はそんなにピンと来てなかったんです。でも、吉田ヨウヘイgroupをやり始めて、「こんなギターが弾けたらベストだ」って思うギターを弾いてたのがネルスだったんですよね。なので、「あの人からもっと影響を受けたい」と思って、いっぱい聴いて、ライブも観に行って、とにかくそのスタイルを追いかけました。


――ジャズマスターを使うようになったのも、ネルスがきっかけだったんですよね?


西田:完全にそうです(笑)。今日も持ってきてるジャズマスターは、吉田ヨウヘイgroupでフジのルーキーに出るちょっと前に見つけて、「フジ決まったら買う」って言ってて、ホントに出れることになったから、5年ローンで買って。去年君島(君島大空合奏形態)とまたルーキーに出た時に、払い終わりました(笑)。


――改めて、ネルスのどんな部分に特に惹かれたのでしょうか?


西田:ネルスもWilcoの中ではいないと音楽の骨格が成立しない人ではないと思うんです。でも、それがないとかなり寂しいし、それがあるから曲が輝く。例えば、ノイズがうるせえから、逆に歌詞に耳がフォーカスされちゃうとか、そういうアプローチがものすごくできる人だと思ったんですよね。ジョンもそういうところはあると思うけど、ネルスは自分にとってよりわかりやすくそうだった。「歌を生かすギター」とか「曲を生かすギター」みたいなのってあるじゃないですか。それってイメージ的には間引いた感じになると思うんですけど、ノイズがめちゃくちゃ鳴ってて、その中でボーカルが一節だけフッと聴こえて、めっちゃいいなって思ったり、「何でこんな盛り上がってるところでそんな盛り上がんないの?」みたいなのにウワって思ったりもして。頭で考えると、「歌を生かす」「曲を生かす」って、ついスマートな感じになっちゃうけど、そのイメージを大きく変えてくれたんです。


●「(CRCK/LCKSは)勝手に作ってた限界を壊してくれた」
――吉田ヨウヘイgroupの知名度がどんどん上がっていく中で、「音楽で食べていく」みたいなことを考えるようになったのは、いつ頃だったのでしょうか?


西田:それこそ「ミュージシャン」っていう職業を最初に意識するようになったのはboboさんとの出会いなんですよね。大学3年のときにboboさんがくるりでフジのグリーンに出て、そのとき「お前も来いよ」って、連れ回してくれて、「グリーンで演奏すると、後ろまでほんとみんな嬉しそうで、あんなの初めて見た。お前も見てえだろ?」みたいなことを言ってくれたり、夜までずっと一緒に飲んでて、「じゃあ、俺苗プリ帰るから。おまえキャンプだろ? まあ頑張れよ」みたいな(笑)。


――あはは(笑)。


西田:そうやって憧れを持たせてくれたので、その頃から「音楽で」っていうのは思ってたんですけど、今思えば、まだ覚悟みたいなものは緩かった気がします。吉田ヨウヘイgroupに関しても、Wilcoがひとつの理想だったから、バンドとして「こいつらが揃えば最強」でありつつ、それぞれも自立した音楽家である、みたいなのが一番かっこいいとよく話してて、ずっと意識はしていて。でも……おそらく3年前くらいまでは、その気持ちがまだドライブし切っていなかった気がしますね。


――吉田ヨウヘイgroupは2016年に一度活動休止をして、その後に新体制で再始動したわけですが、そのタイミングでいろいろ考えたこともあっただろうし、その頃から対バンの幅も広がって、今一緒に活動してるミュージシャンたちとの出会いも経験する中で、徐々に音楽家としての決意みたいなものが固まって行ったのかなって。


西田:ホントにそうだと思いますね。吉田ヨウヘイgroupで3枚目を出して、その後に休止をしたんですけど、当時は結構やり切った気持ちで、「次は何をやればいいんだろう?」と思って、それを見つけられないのを人のせいにしちゃってるような部分もあったんですよね。で、結局我慢できなくなってすぐに復活したんですけど(笑)、その年の年末に「Mikiki忘年会」っていうイベントがあって、TAMTAMとかWONKも出てたんですけど、そこでCRCK/LCKS(以下、クラクラ)と出会ったことがホントに大きくて。12月に対バンして、1月にバイトをやめたんで、それは完全にクラクラのせい(笑)。


――何がそんなに衝撃だったのでしょうか?


西田:まずライブがめちゃめちゃかっこよかったし、バンドとしても、メンバーそれぞれの魅力や完成度もすごかった。俺はそれまで勝手にくすぶってて、まだやれることがいろいろあるってわかってるのに、「どうすりゃいいんだ?」って思いこんじゃってるようなところがあったんですけど、「こんなにやれることあるんだ」って、勝手に作ってた限界を壊してくれたというか。あとは、それまでバンドをやってる中で、きっと少し斜に構えてる部分があって。


――というと?


西田:例えば、あいつらと楽器の話で盛り上がって、「お前らホント音楽の話しかしねえな」って言われたときに、それまでの俺だったら「いやあ、ハハハ」みたいな感じだったと思うんです。でも、銘くん(井上銘/Gt)とか「そりゃあ、ギターに賭けてるんで」って、なんのてらいもなく言うし、小西(小西遼/Sax,Vocoder)とかも「まず練習っしょ」みたいな、めちゃくちゃ本気なのを、変に誇張する感じでもなく、ただストレートに出していて、それがめちゃくちゃ気持ちよくて。「働きながら音楽をやるのは違う」と思ったことはなくて、その方が自由を得られることも絶対あるし、やり方はそれぞれだと思うけど、でもそのときの俺は「こいつらとやっていくためにも、ずっと音楽だけやりてえな」って思って、そこから覚悟が強くなった感じですね。


――CRCK/LCKSには石若駿くんもいて、そこから彼のソロプロジェクトの「Songbook」への参加にも繋がったわけですか?


西田:駿と出会えたきっかけは一緒に岡田拓郎の『ノスタルジア』に参加したときでした。でもそのときはまだそこまで強い接点を持ったわけじゃなくて。クラクラとやったときがちょうど最初の『Songbook』ができたときで、家帰って聴いたらめちゃくちゃよくて朝まで聴き続けたんです。で、「めちゃくちゃよかった」って伝えたら、「今度ギター弾いてよ」って言ってくれて、一緒にスタジオ入って、飲みに行って、そこから仲良くなった感じですね。


――クラクラにしろ、WONKにしろ、ジャズ出身のミュージシャンがバンドを組んで、ライブハウスに入ってきたのがその頃で、その背景にはもちろん海外での新たなジャズの盛り上がりもあった。そういったシーンの変化をどのように感じていましたか?


西田:めちゃめちゃ感じてました。あいつらに会って、よく話すようになって、このままどんどん垣根がなくなっていって、ヤバいけど、面白いなって。でも、今は意外とそうでもないですよね。当時は2〜3年後にめちゃくちゃシーンが入り乱れてると思ってたけど、やっぱりそれぞれの感性があるから、いい悪いの話ではなく、今もそれぞれの国みたいにはなってると思います。全部シームレスに行き来してるかっていうと、そうじゃない。なので、当時思ってたほどには変わってないけど、あの火が今もちゃんと暖まってる感じはしますね。


――去年で言えば、石若くんのAnswer to Rememberや常田くんのmillennium paradeが始まったり、ジャズを軸としたクロスオーバーがよりオーバーグラウンド化している一方、もっと広い視点で観ると、確かにまだ「それぞれの持ち場」という印象が強いかも。


西田:結局今って「ジャズのミュージシャンがポップフィールドに入ってきた」とか「ジャズのミュージシャンがオーバーグラウンドな形態もしっかり作れるようになった」みたいな話じゃないですか。でも、ロックバンドをやってたやつが、彼らと交錯して、ガツガツやってるとかって、俺はまだそんなに見たことがなくて、俺が当時夢見てたのはそういうことも同時に起こっている状態で。最初にジャズを聴き始めたときの話と同じで、特別ジャンルを意識してるわけじゃないし、ロックバンド代表みたいな雰囲気を出すつもりも全然ないですけど(笑)、でも今は「クロスオーバーって言ってもらっちゃってる」みたいな感覚かなって。


――それで言うと、ロックを背景に持ちつつ、今ではジャズと強い接点を持っていて、もはやそれをいちいち言う必要もないような立ち位置にいる西田くんの存在はやはり貴重だと思います。だからこそ、今ジャンル関係なく面白い表現をしている音楽家のライブに行くと、そこには必ず西田くんがいるっていう状況になってるわけで。


西田:すごく思うのは、ただ「ジャンルは関係ない」っていうのと、「自分はこれが好きで、誇りを持っていて、だからチャレンジできる」っていうのは、全然違う話っていうか。クラクラと会って強く感じたのはやっぱり後者で、みんなプライド、誇りを持って勝負しているのを強く感じたから、自分もそういう風にやりたいと思った。それだけなんですよね。(後編に続く)


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