役者陣の渾身の演技が人間の本質を照らす。吉田修一原作の映画『楽園』が描くものとは

0

2020年04月01日 06:41  ダ・ヴィンチニュース

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

ダ・ヴィンチニュース

写真写真

 これまでも『悪人』『怒り』などの小説が、重厚な映画となって世に送り出されてきた作家・吉田修一。昨年、彼の小説である『犯罪小説集』のうちの二編を原作にした映画『楽園』が公開された。こちらも凄みのある雰囲気で、人間の業や”生きるとは”という問いを深く抉った一作だ。わかりやすい希望や明るいラストは描かれないが、かといって鑑賞後、孤独や絶望だけを残すものでもない。普段は考えるに至らない、人間の本質や他者と生きていくことについて思考を巡らせる機会をくれる作品になっている。


(C)2019「楽園」製作委員会

 本作の舞台はとある地方都市の限界集落。その集落のY字路で、小学校帰りの少女が忽然と姿を消した。その後少女の行方はわからぬまま12年の歳月が経過。当時Y字路まで少女と一緒に帰っていた紡(杉咲花)は罪悪感を抱えながら暮らしていた。夏祭りの準備をしていたある夜、紡は後方から来た車に驚いて転倒してしまい、運転席から出てきた中村豪士(綾野剛)に助けられる。豪士は偽ブランド品を売る母の手伝いをして暮らし、村人とはほとんど交流せず育ってきた青年だったが、この日をきっかけに2人は心を開き合うようになる。

 しかし夏祭りの夜、再びY字路で少女がいなくなる事件が発生。住民の疑いの目が、あることをきっかけに一気に豪士に向けられ、追い詰められた豪士は予想だにしない行動を取る。一方、その場を目撃していた田中善次郎(佐藤浩市)は、Y字路の先で愛犬とともに養蜂を営んでいた。しかしその養蜂で村おこしを計画する過程で村人との関係がこじれ、集落から孤立していく。次第に正気を失った善次郎は、取返しのつかない事件を起こしてしまう。

 この映画の解釈には、正解がない。12年前少女が消えた事件の真相をはじめ、多くの物事には作中、はっきりした答えが示されない。主演の綾野剛も「この映画は皆さんに託して、皆さんの中を通って初めて完成する」と語るように、観客の解釈に委ねる部分の多い映画であり、観た者は作品について考えているうちに、もっと大きな、人間についてや生きることそのものといったテーマを自ずと考えさせられる。




(C)2019「楽園」製作委員会

 あらすじだけを追うと陰鬱な空気がはびこる今作に光を照らすのは、主演の綾野剛をはじめとする役者の演技の奥深さだ。登場人物の表情の微妙な違いで受け手の解釈ががらっと変わるようなシーンも多く、制作陣は神経の磨り減る日々だったのではと公開当初も感じたが、今回Blu-ray&DVDの特典映像として収録された“メイキング「【世界】~映画『楽園』にて~」”を観て改めて、どのシーンも役者陣の深い考察と監督の妥協のない姿勢によって生み出されたものだとわかった。

 このメイキングには本編の中でも特に重要なシーンのいくつかが撮影される過程が収められており、役者がどう解釈して撮影に臨んだか、監督がどんなことを役者に伝えたかがインタビューも含めて語られている。特にラストシーン撮影時の綾野の「村人も母親も、誰も見てくれない自分を行方不明になった少女だけが見てくれたと豪士は感じた。そこに彼は楽園を見たのだと思う」という趣旨のコメントは、豪士について、さらにはこの作品について考える上での指標となる一言であり、この言葉を聞いた時、本編を最初に観た後に感じた靄のようなものがすっと晴れた気がした。他にもこの物語をさらに深く読み解くヒントが至る所にちりばめられており、ただのメイキングに留まらない充実した内容になっている。

 今作のタイトルを『楽園』にしたのは瀬々監督の案によるものだそうだが、彼らにとって、そして自分にとって“楽園”とは何を指すのか。繰り返し観る度に作品の世界にどんどん引き込まれる、味わい深い作品だ。

文=原智香


動画・画像が表示されない場合はこちら

    あなたにおすすめ

    ニュース設定