藤原紀香、新型コロナ感染拡大に「地球よーごめんね」……「誰も傷つけない」発言の妙

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2020年04月03日 00:02  サイゾーウーマン

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サイゾーウーマン

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「地球よーごめんね」藤原紀香
「藤原紀香オフィシャルブログ」(3月27日)

 「お祝い」と「お悔やみ」というのは、オトナになると避けて通れないものになるが、芸能人や有名人の場合、これらの義理事が「自身のアピールの場になる」という側面も否定できない部分があるだろう。大スターが結婚した場合、また亡くなった場合など、芸能人など各界の著名人がコメントを発表し、それをメディアが取り上げることで、自分にスポットが当たるからである。

 お祝いとお悔やみ、どちらも言葉を選ぶ必要があることに違いはないが、より難しいのはお悔やみではないだろうか。そんなつもりはなくても、不謹慎だったり、不道徳と受け止められる発言をすると、深い悲しみの中にいるご遺族をさらに傷つけることになる。だからこそ、難しいと言えるし、もっと言うとお悔やみを言う側の“本質”のようなものが見える気がしてならない。

 タレントの志村けんさんが、3月29日、新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった。所属事務所は志村さんが感染と入院をその前に発表していたが、誰もが回復を信じていたのではないか。それだけに、国民が受けたショックも大きく、こういう不測の事態に、「この人って自分のことしか考えていないんだなぁ」と真底思わされたのが、小池百合子東京都知事のお悔やみコメントだ。

「まず、謹んでお悔やみを申し上げたいと思います。志村さんと言えば、本当にエンターテイナーとして、みんなに楽しみであったり笑いを届けてくださったと感謝したい。最後に悲しみとコロナウイルスの危険性について、しっかりメッセージを皆さんに届けてくださったという、最後の功績も大変大きいものがあると思っています。お悔やみ申し上げます」

 志村さんは「新型コロナウイルスは怖いんだよ」と国民に伝えるために、亡くなったのではない。ご本人も回復を望んでいたと思うが、新種のウイルスを前に、医師団も志村さんもなすすべがなかったのだろう。人の死を“功績”と変換してしまうあたりに、小池都知事の情のなさが露呈し、やはり彼女が自分のことしか考えていないと思わされるのだ。

 小池都知事は同25日の会見で、「感染爆発の重大局面」として、平日はなるべく家で仕事を、夜の外出は控えて、週末も不要不急の外出は取りやめるように促している。また同27日には「接待を伴う飲食の場で、感染を疑う事例が多発している。ナイトクラブやバーなどの入店を、当面控えてほしい」と呼びかけた。一言でいえば、なるべく家から出ないような生活をしてくれ、ということではないだろうか。

 しかし、同29日放送の『サンデー・ジャポン』(TBS系)によると、渋谷や原宿は若者が激減しているものの、目黒川沿いには桜を見たい若者が集まっていた。自治体は花見自粛の看板を出しているが、若者たちはスマホで桜を撮影している。20代のある女性は「ずっと通勤で混んでいる電車を使っていて、今更自粛って言われても……」といった具合に、危機意識は薄いようだ。

 もちろん若者全員が同じ考えだとは思わないが、小池都知事が再三、三密(換気の悪い密閉空間、大勢がいる密集場所、間近で会話する密接場面)を避けるように呼び掛けても、どこか他人事だった人はいただろう。しかし、志村さんという国民的大スターが亡くなったことで、新型コロナウイルスの怖さが身に染みて、なるべく外出を控えようと思う人も増えるはずだ。それで感染爆発が抑えられれば、国民の安全な生活が保たれることはもちろん、それを主導した政治家としての小池都知事の手腕を示すアピール材料になるのではないか。こうやって考えていくと、「最後の功績」が誰のための言葉かと言えば、小池都知事本人のためではないだろうか。

 結果を出すのが政治家の宿命とは言え、人の死を軽視するような発言は、聞いていて気持ちのいいものではない。それに比べると、なんとも間が抜けていて、いい感じなのが、藤原紀香の新型コロナウイルスに関する記述だ。特定の人物へのお悔やみの言葉ではないのだが、新型コロナウイルスが世界中に大きな被害をもたらしていることに関し、“お気持ち表明”をしている。これもまた言葉選びが難しいものと言えるだろう。

 同27日、紀香はブログに「オリンピックが延期となりました。コロナが依然として猛威を奮いまくっています。こんなこと、誰が予想したでしょう」とつづっている。新型コロナウイウスを「目に見えないものとの闘い」とし、「目に見えないものといえば、ウイルスだけでなく、これまで自然や動物の声を、人はちゃんと聞いてきたのだろーか(中略)地球よーごめんね、そしてありがとう」と結んでいる。

 おそらく、紀香はウィルスを環境破壊によってもたらされる公害かなにかだと思っているのだろうが、それは違う。ウイルスや細菌と人類の付き合いは非常に長く、人類はこれらと戦いながら、生き延びてきたとも言える。

 例えば、最近、日本でも爆発的に罹患者が増えている梅毒は、まだ断定されていないものの、15世紀の終わりに、コロンブスが新大陸から持ち帰ったという説が濃厚である。新大陸を発見すれば、新たな領土、奴隷、農作物が手に入るという利点がある。しかし、梅毒のように不必要なものをもらってしまうこともあるわけだ。新型コロナウイルスが最初に発見されたのは、中国の武漢市だが、そこから中国全土、世界各国に広がっていった。グローバル化が進むと、貿易や旅行がしやすくなるなどいいことが増えるが、その一方で伝染病など好ましくないものをもらってきしまうリスクも高まると言える。コロンブスの時代も現代も構造的には変わらないと言えるだろう。

 理論で言えば、紀香の書いている「地球よーごめんね」は的外れである。しかし、紀香のこの文章は誰も傷つけない。加えて、ちょっとズレているという意味で面白くて、話題性もあるのでネットニュースにもなる。だが、炎上するほどではない。

 「話題になる」という芸能人としてのお仕事を果たしながら、越えてはいけない一線を越えることはない。紀香ってやっぱり、芸能人として、すごいと言わざるを得ない。

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