「雑誌SK」アーカイブ|マンチェスター・シティ スーパークラブの作り方【前編】

0

2020年04月04日 17:13  サッカーキング

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

サッカーキング

写真16年にグアルディオラが監督に就任して以降、クラブとして右肩上がりの成長を遂げるマンチェスター・C[写真]=Getty Images
16年にグアルディオラが監督に就任して以降、クラブとして右肩上がりの成長を遂げるマンチェスター・C[写真]=Getty Images
[サッカーキング No.004(2019年7月号)掲載]

プレミアリーグ記録を次々と塗り替え、圧倒的な成績で連覇を達成──。
独創的なプレースタイルを持つこのチームの始まりは、3年前にさかのぼる。
2016年夏、イングランドにやって来たジョゼップ・グアルディオラは、
タレント集団だったマンチェスター・シティをスーパーチームに作り変えた。
しかしそれは、この巨大なクラブを構成する要素の一つでしかない。
国際的な市場を開拓しながら、地元マンチェスターを発展させ、
最先端のアカデミーで若い才能を育て、女子チームを欧州の強豪にした。
全方位に投資を続ける彼らが目指すものは、プレミアリーグの覇権よりも、
あるいはチャンピオンズリーグのタイトルよりも、はるかに大きい。

文=クリス・フラナガン
翻訳=加藤富美
構成=寺沢 薫
写真=ゲッティ イメージズ

 エティハド・スタジアムから数百メートルのところにあるマンチェスター・シティのトレーニングセンターを訪れたのは、2016年の初秋だった。そこで取材スタッフは予想外の歓迎を受けることになる。黒づくめの男から、あばらに強烈なパンチをお見舞いされるとは……。

 この乱暴なボクサーの名はジョゼップ・グアルディオラ。にこやかに握手を交わしたあと、仲のいい友人同士がよくやるような感じで、こちらの胸をドスンと突いてきた。元フットボール選手にどれだけの腕力があるのか、分かっていないらしい。

 笑顔でインタビュールームに入り、親しげな感じで再び握手する。グアルディオラは最初から、相手を自分の側に引き寄せる方法を知っていた。知性とカリスマ性によって支配されたその空間で、彼に魅了されずにいるのは難しい。

 会話の糸口を探っている間に、カメラマンがシャッターを切り始めた。「あごに手を置いて、考えているポーズを」とリクエストすると、「そんなポーズはわざとらしいよ!」と言って笑いながら、言われたとおりに神妙な表情を作ってみせる。会ったばかりなのに、我々はまるで旧友のようにリラックスしていた。ピッチサイドや記者会見で見せることのない、オープンでフレンドリーな一面は、彼が本物のリーダーである証なのかもしれない。

 2016年、シティに到着した彼はすぐさま、選手たちと温かい信頼関係を築き(そう、初対面の我々のように)、それは結果となって表れた。就任後最初の10試合にすべて勝ち、得点は30を数えた。1年目は無冠に終わったものの、2年目の17−18シーズンはプレミアリーグ初の勝ち点「100」という圧倒的な成績でリーグ優勝を果たした。続く18−19シーズンはプレミアリーグ連覇とともに、イングランド史上初となる国内3冠を成し遂げた。

 この結果を見るだけで、マンチェスター・シティの成功に必要なラストピースがグアルディオラだったことは、誰の目にも明らかだろう。思い返せば2008年9月、タイ前首相タクシン・チナワットからシェイク・マンスールがクラブを買収して以降、このクラブをめぐるすべての動きは「グアルディオラの就任」という一つの目的のために展開されてきた。建設に1億5000万ポンド(約210億円)が費やされた大規模なトレーニングセンター、「シティ・フットボール・アカデミー」は、世界で最も尊敬を集め、最も革新的な指揮官の到着を待ちわびていた。

「本当に……驚いたよ」

 3年前、初めてこの施設を見たグアルディオラは、短い言葉で感想を表現していた。その時点で、シティには他のクラブがうらやむほどの戦力がそろっていた。前監督のロベルト・マンチーニ、マヌエル・ペジェグリーニが一度ずつプレミアリーグを制し、15−16シーズンにはチャンピオンズリーグで初の準決勝進出と、それなりの成果も収めている。しかしグアルディオラの登場は、前任監督たちとは比較にならないインパクトをもたらした。シティのフットボールはとてつもないレベルに到達し、彼らに導かれるように、リーグ全体の水準も上がった。

 あるいはこうも言えるだろう。グアルディオラとシティは、現在進行形でフットボールの歴史を変えている、と。
グアルディオラがシティにやって来た日
 グアルディオラは就任が発表される2週間も前に仕事を始めたという。

 まず、選手一人ひとりに電話した。そして、彼のことを知らない選手などいないはずなのに自己紹介から始め、自分がシティでの仕事をどれだけ楽しみにしているか、その理由を丁寧に説明した。グアルディオラは他の何よりも、選手といい関係を築くことを優先した。それがシティに栄光をもたらす第一歩だと考えていた。

 この電話に感銘を受けた選手の一人が、ラヒーム・スターリングだ。その夏、彼はユーロ2016のグループステージ初戦、ロシア戦でのパフォーマンスを酷評されていた。続くウェールズ戦ではハーフタイムで交代。大会前は期待の若手だったはずが、イングランドがラウンド16で敗れたあとは、“戦犯”の一人になっていた。

「心配ない。前を向こう」。グアルディオラは初めての電話でスターリングをこう励ましたという。「君は素晴らしい選手だし、私のチーム構想の中心だ。私のチームの一員である限り、私は君のために戦う」

 クラブハウスにいくつもある豪華なミーティングルームの一室で、スターリングはその日のことを振り返ってくれた。

「リヴァプール時代の僕を見て、素晴らしい選手だと思っていた、と言ってくれた。僕と一緒に仕事をするのが楽しみだとね。温かい人柄を感じたし、彼のもとでプレーをするのが待ちきれなくなったよ。つらい日々だったけど、あのメッセージのおかげで乗り越えることができた。そしてシーズンの初めには闘争心を取り戻していた」

 グアルディオラは、スターリングに隠されていたトリガーを引いたのかもしれない。新監督が就任して以降、スターリングは最初の10試合で5ゴール6アシストを記録する。そのままチームの主軸に定着し、グアルディオラの2年目には公式戦23ゴール、3年目には26ゴールと得点数を増やし、プレーも成熟した。今シーズンはPFA年間ベストイレブンと年間最優秀若手選手賞を獲得。今や“ペップ・シティ”の象徴とも言える選手になっている。

 2016年7月3日。CEOのフェラン・ソリアーノとフットボール・ダイレクターのアイトール・ベギリスタインは、練習場の外で黒塗りのタクシーを待っていた。やがてマイク・サマービーもそこに加わる。それは新しい指揮官が初めて出勤する日だった。

 タクシーを降りたグアルディオラは、まずアンバサダーのサマービー、そしてソリアーノ、ベギリスタインと握手を交わし、「どこかで見た顔だね」と言って笑った。サマービーとソリアーノは、グアルディオラがバルサで数々のタイトルを勝ち取っていた頃、クラブの要職を務めていた。ベギリスタインは1992年、バルサが初めてチャンピオンズカップを制した時のチームメートだ。

 グアルディオラは新しい職場を案内される途中で、U−10の練習風景に足を止めた。しばらく練習を見守り、スタッフに尋ねる。「この子たちはどんな練習をしている?」

 それは社交辞令ではなかった。グアルディオラは少年たちの成長に心から興味を持っていた。「メニューを教えてくれる? スキルの練習もしてる? そうか、よかった。ちゃんと両足を使ってる? 左足でコントロールして右足でパス、いいね。逆もやっている? うん、すごくいい」

 彼はトップチームの結果だけを追い求める監督ではない。すべての世代に自分の哲学を授け、確かな遺産を築いてからこのクラブを去りたいと考えていた。かつてヨハン・クライフがバルサでそうしたように。

 子供たちはグアルディオラの登場に(大人たちと同じように)興奮した。彼が練習場に姿を現しただけで、クラブ全体の空気が一変する。それが最高潮に達したのは、サポーターの前に登場した瞬間だろう。屋外のステージに招かれた彼は、数千人のファンから歓迎を受けた。彼が初めてファンに語りかけた場所として、クラブ側が用意したのはドアに閉ざされたプレスルームではなく、青空の下だった。

 クラブのCOO(最高執行責任者)を務めるオマー・バラダはその日のことをこう話している。「“シティズンの週末”という企画を立ち上げて、2万人のサポーターを招待した。我々の活動の中心には、常に彼らの存在がある。だから、彼らにも一緒にグアルディオラを歓迎してほしかった。グアルディオラは初日から、サポーターと強い絆で結ばれたんだ」

 うっすら涙を浮かべながらそう語るバラダも、グアルディオラとは旧知の仲だ。2011年にシティのフロントに入る前は、バルサでスポンサー担当の責任者を務めていた。在任中はバルサ初の胸スポンサーとなるUNICEFとの契約を結び、さらにカタール財団からの資金提供を取り付けている。

「当時のバルサはフランク・ライカールトとグアルディオラという優れた指揮官のおかげで、大きな成果を挙げていた。しかしシティのオーナーに聞かせてもらったプロジェクトは、バルサを離れてもいいと思えるくらい魅力的だったんだ」

 シティに職場を移したバラダは、クラブが2008年に開始したプロジェクトを推進するポジションを任された。シェイク・マンスールがクラブを買い取り、カルドゥーン・アル・ムバラクが会長に就任して以降(両者とも拠点はアブダビに置いている)、クラブはあらゆる面で成長を続けてきた。17−18シーズンの収益は過去最高の5億50万ポンド(約703億円)で、これは10年前の8700万ポンド(約122億円)の約6倍の数字だ。
世界的な戦略と地元へ投資
 バラダの功績は、クラブに利益をもたらしたことだけではない。彼は2016年9月にシティの専任となるまで、CFG(シティ・フットボール・グループ)全体のビジネスにも関わっていた。CFGはプレミアリーグのクラブであるマンチェスター・シティに加えて、MLS(メジャーリーグサッカー)のニューヨーク・シティ、オーストラリアのAリーグに所属するメルボルン・シティを傘下に抱える巨大な組織だ。他にも、Jリーグ・横浜F・マリノスの株式の20パーセントを所有し、ラ・リーガのジローナ、ウルグアイ2部のアトレティコ・トルケ、中国3部の四川九牛にも経営参加している。

 なかでもCFGが全額を出資するマンチェスター、ニューヨーク、メルボルンの3つのクラブは、すべて“シティ”をクラブ名に持ち、スカイブルーと白のユニフォームを身につけ、エティハド航空のサポートを受けて戦っている。CFG全体の世界的な成長を目的として、ブランドの統一感を確立するためだ。

「ヨーロッパのビッグクラブは世界中にファンの基盤を持っている。マンチェスター・シティには4億人のファンがいるが、その97パーセントは英国の外に住んでいる」

 バラダはそう言って、CFGのコンセプトを説明してくれた。「フットボールクラブは“ブランド”だ。その発展には国際化が欠かせない。我々はその観点からファンへのアプローチを考えている。デジタルメディアを駆使しているし、シーズンオフには海外のツアーを組んでいる。アメリカやオーストラリア、日本といった戦略拠点で実際にファンと触れ合うことが重要なんだ。珍しいビジネスモデルだと思う。今後、この組織がどう成長していくのか、楽しみで仕方がないよ」

 彼らがターゲットとしているのは、世界中に存在するフットボールファンだ。その点で、シティはライバルに大きく差をつけられてきた。今から20年前の98−99シーズン、シティは3部リーグのプレーオフを勝ち上がり、2部昇格を果たした。その同じ頃、同じ街に本拠地を置くマンチェスター・ユナイテッドはプレミアリーグとFAカップ、チャンピオンズリーグの3冠を達成して、世界的な人気クラブとなっていた。

 シティはそこから、最も楽観的なファンでさえ夢にも思わなかったようなペースで成長を遂げた。とはいえ、ツイッターのフォロワー数を見れば、まだまだ成長の余地がある。シティのフォロワー数は現時点(2019年5月下旬)で691万人。リヴァプールの1170万人、チェルシーの1273万人に遠く及ばない。アーセナルは1441万人、ユナイテッドは1934万人。スペインのクラブはさらにすごい。バルセロナは2972万人、レアル・マドリードに至っては3205万人だ。

 クラブの収益を見ても、世界的な監査法人『デロイト』が発表した「フットボール・マネーリーグ2019」によればシティは5位。上にはまだレアル、バルサ、ユナイテッド、バイエルンがいる。

 しかし、他のクラブの比較は無意味だとバラダは言う。

「我々の戦略は独特だからね。継続することが大切だ。目的は収益の額ではなく、組織として持続可能な成長を続け、その結果として成功を収めることだよ。我々は地域社会に深く根差している。世界に目を向けてはいるが、中心にあるのは英国に住む人々、特にマンチェスターの人々だ。彼らに美しいフットボールを見てもらいたいし、ハッピーにしたいといつも思っている」

 2008年以降、シティはピッチ内外で多額の投資を行ってきた。その中には、効果が疑わしい支出もあった。シェイク・マンスールがクラブの買収に同意する数時間前、ブラジル人のロビーニョを獲得するために費やした3250万ポンド(約45億円)のように……。しかし、ほとんどの投資は金額に見合う成果をもたらしたと言っていい。

 最も有効な投資は、間違いなく「シティ・フットボール・アカデミー」だ。2014年にオープンした巨大なトレーニングセンターには、1億5000万ポンドの建設費が投じられた。気の遠くなるような金額だが、この施設こそ、今後数十年にわたって多くの収穫をもたらすことになるだろう。ベルトコンベアーのように優れた若手を送り出し、クラブを支え続けるはずだ。

 施設見学を始めると、壁に掲げられたメッセージが目に入る。「我々は将来の基盤を作る。明日の試合を戦うスター選手だけではない」

 2008年9月、オーナーのシェイク・マンスールが口にした言葉だという。彼らのクラブ運営は、その言葉から一歩もブレていない。

 実際のところ、シティのユースアカデミーは着実に成果を上げている。U−18チームは2015−16シーズンに国内リーグ優勝を収め、FAユースカップでも上位進出の常連になった。U−16、U−14、U−10に至るまで、ジュニアチームのトロフィーを数えれば年間で軽く10個を超える。

「アカデミーからトップチームに安定して選手を送れるようになりたいね」。アカデミー・ダイレクターのジェイソン・ウィルコックスは言う。

 ライバルのユナイテッドは過去に“クラス・オブ1992”(デイヴィッド・ベッカムやライアン・ギグスを擁して1992年のFAユースカップを制した世代)を育て、クラブの黄金時代を築いた。シティも同じような展開を考えているのだろうか?

「それが目的だ」とウィルコックスは言う。「バルサも、ユナイテッドもそれを実現した。短期間で6、7人もスター選手を育てることができるかどうかは分からない。しかし、いずれは5000万ポンド(約70億円)の選手を育てたいと考えている」

 シティなら、5000万ポンドの若手選手を簡単に買えるのでは? 意地悪な質問をぶつけると、ウィルコックスは笑って答える。

「いい若手を獲得したらファンは大喜びするだろう。だからこそ、そんな選手を我々の手で育てようじゃないか。幸運なことに、グアルディオラは若手の起用に積極的だし、土曜の朝にはU−18の試合を見に来るような男だ。そういう監督がいれば、トップチームに昇格した選手もスムーズに練習に入ることができる」

 アカデミーに所属する選手の61パーセントはマンチェスター地方の出身者で、そのうち半数以上はマンチェスター市内の子供たちだ。「シティは地元選手を採用しないと批判されるが、数字を見てもらえば分かるよね」とウィルコックスは言う。「地元の才能は逃したくない。この街にはたくさんの才能が眠っている。リヴァプールに取られちゃ困るんだ(笑)」

 タレントを発掘し、アカデミーで磨き、トップチームで通用する選手を育てる。それがアカデミーの存在意義だとすれば、シティは本来の目的に忠実だ。「具体的に言えば、ダビド・シルバやヴァンサン・コンパニ、セルヒオ・アグエロに代わるような選手を育てることだ。難しいタスクだが」とウィルコックスは言う。

「不可能ではないよ」

 トレーニングジムの一つに足を踏み入れると、壁に「この1秒が勝負だ」というメッセージが鮮やかにペイントされていた。その対面にあるのはセルヒオ・アグエロの大きな写真。頭上には「93:20」という数字がある。

 そう、11−12シーズン最終節、QPR戦のアディショナルタイムでプレミアリーグのトロフィーを引き寄せた劇的なゴールの瞬間だ。これはシェイク・マンスールがオーナーとなってから初のリーグタイトルでもあった。

 アーセナルのファンが、1989年のリヴァプール戦でマイケル・トーマスが決めたゴールを決して忘れないように、シティのファンがアグエロの一撃を忘れることはない。マーネジング・ダイレクターのブライアン・マーウッドにとっても、このゴールが持つ意味は計り知れないという。マーウッドは元アーセナルの選手で、2009年からシティの要職を歴任してきた。

「1人退場して10人になった相手に逆転されて、1−2でアディショナルタイムを迎えた。もう終わりだとみんな思ったはずだけど、そこから追いついて勝ち越すなんてね。アグエロのゴールは永遠に語り継がれるよ。気の毒なのはエディン・ジェコだ。彼が同点ゴールを決めたことは、もう誰も覚えていないかもしれない(笑)」

 44シーズンぶりの劇的なリーグ制覇は、トロフィー以上の価値をクラブにもたらした。最大の“利益”は、フットボールファンからの信頼とリスペクトだったとマーウッドは言う。

「それまでは、どうせ金を使うだけと言われてきたからね。確かに我々は金を使った。だけど、その使い道が正しかったことが証明されたんだ。オーナーは投資によってクラブを変えたし、マンチェスターという街の運命も変えてくれた。フットボールの世界でもあまり例を見ないプロジェクトだよ。よく似たモデルがあるとしたら、ニューヨーク・レッドブルズとレッドブル・ザルツブルク、レッドブル・ブラジル、RBライプツィヒを所有するレッドブル・グループくらいだろう」

※この記事はサッカーキング No.004(2019年7月号)に掲載された記事を再編集したものです。
【後編】はこちらから

    あなたにおすすめ

    ランキングスポーツ

    前日のランキングへ

    ニュース設定