「母を見ると、もう別人だった」ギャーっと叫んで暴れる姿に、娘は……介護の修羅場

1

2020年04月19日 21:02  サイゾーウーマン

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

サイゾーウーマン

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。シングルマザーの春木直美さん(仮名・53)の話を続けよう。

(前回はこちら:「おじいちゃんが救急搬送された」心不全の父と脳梗塞の母ーーひとり娘が背負った介護の現実

 両親が続けざまに倒れ、介護が必要になったある日、母の八重子さん(仮名)が室内で転倒。大ケガをしたのをきっかけに、デイサービスを嫌がるようになった。そんな中、今度は父の謙作さん(仮名)がベランダで転倒し、頭に大ケガをしてしまう。全治1カ月の傷を負った。

がんばらない母に優しくできない

「父のときは娘が仕事だったので、私が仕事先に頭を下げて通院に付き添いました。その後のケアをするのにヘルパーさんをお願いしたかったのですが、ケアマネは相談にも乗ってくれなかったし、父は他人を家に入れるのを好まないので、体が不自由な母に父の傷の手当をしてもらうような状態でした。それでも母がいてくれてよかったと思います。私なら、父の大きな傷を見て気を失ったに違いないでしょう」

 ところが、謙作さんのケガが落ち着くにしたがって、再び八重子さんの精神状態が悪化した。

「母が退院したときには、自分のことは自分でできるまで回復していたはずだったのに、デイサービスに行く以外は動こうとしない。食べることばかりに貪欲で、マヒは進んでいく。1日中寝てばかりいる姿を見て、私は母に文句を言ってしまったんです。『なんでリハビリもしないで、1日寝てばかりいるの?』と。がんばらない母に優しくできませんでした」

 八重子さんは脳梗塞やケガが原因でウツになっていたのではないかと、直美さんは振り返る。

 八重子さんに厳しく当たる一方で、仕事に行こうとする直美さんに、八重子さんは「悔しい」「なんで私だけがこうなるの!?」と泣き叫んでモノを投げつけた。修羅場だった。

 直美さんは、もう一度八重子さんに生きる喜びを与えたいと思った。脳梗塞で入院した病院の理学療法士にリハビリをしてもらえば、再びリハビリへの意欲が湧くのではないかと考え、手続きを進めていた直美さんだったが、八重子さんの様子がおかしいことに気づいた。

「リハビリしてもらえるよと言っても、あまり喜ばないんです。さらに頭がぐちゃぐちゃしていると言い出しました。ある日私が仕事から戻ると、父が『母の様子がおかしい』というんです。母を見ると、もう別人でした。呂律は回らないし、ギャーっと叫んで暴れるばかりで、立つこともできませんでした」

 救急車を呼ぼうとしたが、幼い孫を謙作さんに任せることに不安があり、娘のひとみさん(仮名・27)が仕事から戻るのを待つしかなかった。

「ようやく病院に連れていったところ、また脳梗塞を起こしていたことがわかりました。そのうえ十二指腸潰瘍にもなっていて、出血していることもわかり、その治療を終えてからでないと脳梗塞の治療はできないとのことでした。これらの治療を終えて再びリハビリ病院に転院したところ、今度はてんかんの発作を起こしたんです。20年くらい前に良性の脳腫瘍で手術していたんですが、その後遺症ということでした」

 直美さんは、目まぐるしいこれらの経緯を鮮明に覚えているらしく、メモを見ることもなく話し続ける。聞いているこちらが混乱するほどだから、立て続けに両親を襲う病気やケガが自分の身に起こったとしたら、どれほど大変なことだっただろう。仕事だけではない。孫の面倒まで見つつ、よく乗り切ったものだと驚くが、これはまだ序章でしかなかった。

 

前日のランキングへ

ニュース設定