「野球の夢。プロの誇り。」 中日・京田陽太が背負う使命

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2020年04月24日 11:50  ベースボールキング

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ベースボールキング

中日・京田陽太
◆ 試合数減を受けて…

 トーンの低かった声が少しだけ明るくなった。


 4月17日に行われた日本野球機構(NPB)の代表者会議で、レギュラーシーズンの試合数減、交流戦中止が決まった。

 これを受けて、私は中日・京田陽太内野手(26)に電話した。目的は、活動休止中の様子を知りたかったのがひとつ、もうひとつは竜の選手会長が球界に身を置く存在として、NPBのスローガンをどう捉えているのか聞きたかった。


 「お疲れ様です。試合、減っちゃいますね。交流戦もなくなっちゃいますね。楽しみでしたけど、ウイルスの感染拡大が止まらないですし。仕方ないですね」

 これが、京田の最初の言葉。

 話題は、名古屋市内の自宅で過ごす日々、子育てに移る。退屈だとは言わない。家事にフル回転する妻の大変さを知る機会になった。ただ、プレーヤーとして「試合がない、できない」という物足りなさはどうしたってつきまとう。


◆ 「野球の夢。プロの誇り。」

 そこで、本題に入った。「NPBのスローガン、知っている?」。少しだけ間があった。2、3秒……。機転を利かせただけかもしれないが、声の調子が変わってきた。


 「知っています。試合前にスタジアムで流れています。『野球の夢。プロの誇り。』です」

 NPBのホームページに「普遍的な思い」と記されてあるこのスローガン。2016年から続いている。 


 「野球の夢。」は、国民的スポーツとして老若男女に夢と元気を与える。「プロの誇り。」は、見るものを魅了する高い技術の保証。全選手がその使命を負っている。

 「プロ野球選手として大切にしておかなきゃいけない。きちんと覚えておく必要があります。頭の片隅に置いておくことが、開幕日が決まったときに、心のスイッチを入れられるかどうかに関わってくると思います」

 勝負の連続のシーズン中を思い出したのか、それともスローガンを担う一員としての役割を思い出したのか。声のトーンは高くなっていた。


 ちなみに、スローガンは2004年に始まっている。プロ野球70年の節目だった。

 このときは「日本プロ野球70年」。そこから「フルスイング!プロ野球」、「すべては歓声のために」、「すべては歓声のために」―世界一からの挑戦―、「野球力」、「野球とは、」、「ここに、世界一がある。」、「覚悟〜なぜ、あなたはここにいるのか〜」、「心をつなぐこのプレー」、「NEW PLAY BALL!あたらしい球史をつくる」、「この1球に未来を懸けて」…。球界再編による楽天球団の誕生、侍ジャパンの世界一など球界に起こった出来事を反映しながら変遷してきた。

 その後、2016年から「野球の夢。プロの誇り。」は続いている。





◆ 「スタンドへ行ってみますか」

 思えば、無観客での練習試合が行われていた3月中旬だった。京田は練習前の時間を見計らって「初めてです」という右翼スタンドに足を踏み入れている。座ったり、立ったり、歩いてみたり。

 「打点を挙げた後にみなさんは名前を呼んでくださいます。ショートまでかなり距離があるし、内野手はみんな遠い。レフトだって距離があります。小さくしか見えない選手に対して、大声を張り上げてくださっていた。ありがたい限りです」


 彼は自分で「スタンドへ行ってみますか」と言った。高額チケットのバックネット裏でもなく、家族や関係者が集まる内野席でもない。右翼席は応援を仕切り、比較的安いチケットを握りしめた子どもたちが走り回る一角。

 スタンドへ行くのは、平時であれば思いつかない“一線”だったかもしれない。今回、その一線を越える行動に出た。ベンチや打席から離れた場所へ歩き出す背中を見ながら、「大人な選手だな」と思った。


 新人王で幕開けした2017年から、キャリアは4年目になった。選手会長の肩書は今季から。京田を指名した前任の福田永将内野手(31)は「あいつしかいないと思った」と言った。

 新型コロナ感染拡大で世間は暗い。ストレスもたまる。休止期間は各選手が抱く本音をあぶり出す期間かもしれない。ただ、負の一面には目を向けても仕方がない。中日にはチームや球界を思う京田がいる。今はそれが救いになる。


文=川本光憲(中日スポーツ・ドラゴンズ担当)

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