こんにちは、保安員の澄江です。
テレワークなどとは縁のない職種に就く私たちは、新型コロナウイルス感染拡大による緊急事態宣言が発令されて以降も、普段と変わらず現場に入っています。人混みの中で不審者を探し出し、捕捉時には被疑者に密着。事務所まで被疑者に寄り添って連行して、密室としか言えない事務所や警察署の取調室で事後対応に追われているわけです。まさに3密(密閉空間・密集空間・人との密接)の状態にしか身を置けないような状況で、マスクを外して深呼吸できる場所などありません。本音を言えば、のどにガラスが刺さるような痛みは味わいたくもないので、自宅で静かに自粛していたいところです。しかし、お客様である商店が営業されている以上、私たちが休むわけにもいきません。この不安定な情勢化にあって、通常業務につけるだけでもありがたい。そう思うようにして、日々の業務をこなしています。
一部の商品を除いて、ようやくに買い占め行為は落ち着いてきましたが、売場関係者の疲弊は限界を越えているように感じます。マスクの争奪戦は相変わらずで、開店待ちの行列は、もはや見慣れた光景となりました。入荷がない旨の告知が店頭に貼り出されているにもかかわらず、その行列が絶えることはありません。店員さんにマスクの入荷日を問い合わせて、不明だと答えられた70代と思しき男性が、在庫を隠し持っているのではないかと店員さんに詰め寄る場面も目にしました。マスク未着用の来店者に対する風当たりも強く、その人が咳払いをひとつしようものなら周囲の人から睨まれるといった具合に、どこの売場も殺伐しています。ただでさえ身の危険を感じる仕事である上、咳ひとつ自由にできない雰囲気の中で自然と緊張しているのか、普段より疲れが酷く、休日には近くの整骨院に行って体のバランスを整えていただきました。本当は近所の天然温泉にも浸かりたいのですが、営業を自粛されているため、自宅の小さな湯船にバブを沈めて堪えています。
今回は、この自粛期間中に捕らえた女装万引き犯について、お話したいと思います。
当日の現場は、都内南部に位置する総合スーパーY。商業ビルの地下にあるタイプのお店で、生鮮食品を含む食料品のほか、酒や日用品、ドラッグストアコスメなどを扱う中規模スーパーです。近くに公営ギャンブル施設があることから、職業不詳に見える怪しい方々が数多く来店されるのが特徴で、1日あたりの捕捉率が高い現場のひとつでもあります。ワンフロアの広い店内は、単純ながらも死角が多い構造で、盗ろうと思えばなんでも盗れる状況にあると言えるでしょう。この日の勤務は、午前10時から午後6時まで。バックヤードにある事務所まで入店の挨拶に伺うと、どことなく、くりぃむしちゅーの上田晋也さんに似た顔馴染みの店長が、開口一番に言いました。
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「おはようございます。今日入りますので、よろしくお願いいたします」
「あ、どうも。今日はさ、出入口にあるアルコールとトイレのペーパー在庫にも注意してくれる? 出すたびに、やられちゃって、参っているの」
トイレットペーパーの一つひとつに、店の名前が書いてある状況を見て、どこか恥ずかしさを感じるのは私だけでしょうか。一連の買い占め騒動以降、店の備品であるトイレットペーパーやアルコール液のプッシュボトルを持ち去る備品泥棒が増加しており、どの店も対応に苦慮しています。
「最近、すごく多いんですよ。なにかで固定しないと、すぐに持っていかれちゃいますよ」
「そうだよねえ。ちょっと忙しくて、すぐにはできないから、今日はよろしくね」
「承知しました。ほかに注意することは、何かございますか?」
「ああ、そうだ。今日のレース、コロナの影響で無観客なんだってさ。だから、いつもより落ち着いていると思うよ」
この店は、レースの開催日に合わせて私たちを導入されています。この日のレースは無観客開催ということで、いつも見られる職業不詳の方々の姿は現場になく、目につくのは自粛の準備に勤しむ家族連ればかり。勤務の後半に入っても現場は落ち着いたままで、特に気になる人は見つけられず、平和な雰囲気に包まれていました。
(今日は、ないかもしれないわね)
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勤務終盤、退屈からくる眠気と闘いながら店の出入口を眺めていると、一見してホームレスに見える男性が、黄色いミニスカートと水色のハイヒールをはいた女装姿で店に入ってくるのが見えました。おそらくは60歳前後でしょうか。羽織っているブルーのスカジャンをはじめ、身につけているもの全てが薄汚れていますが、白いストッキングが筋肉質で細い脚を際立たせています。
(なにを買いに来たのかしら? どう見ても、お金は持っていなさそうだけど……)
そっと近づいて後を追うと、なにかで胸まで膨らませていた男性は、迷うことなく化粧品売場に直行していきました。恐る恐る表情を窺えば、つけまつげを接着剤でつけているのか、目の周りがバリバリになっていて、終始目をパチクリさせています。
(この人、どんな人なのかしら……)
するとまもなく、つけまつげセットとつけ爪セットを続けて手にした男性は、それを重ね合わせると、その場で躊躇することなく上着のポケットに隠してしまいました。続けて、いくつかの口紅とマニキュアを手に取って、それらもポケットに隠してしまいます。周囲を警戒することなく、平気な顔で犯行に及んでいるところを見れば、ずいぶんと手慣れているように見えました。
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(もう間違いないわね。暴れる感じはしないけど、態度を豹変させるかもしれないから気をつけないと……)
気付かれぬよう距離を置いて後を追うと、次に焼肉弁当とカップ酒を手にした男性は、それをおなかの前で抱えたまま外に出て行ってしまいました。地上出口につながるエスカレーターに乗り込んだ男性が、上階の床板を越えたところで声をかけます。
「お店の者です。そのお弁当とお酒、持っていったらダメですよ」
「あら、いやだあ。あんた、見てたの? お金ないし、これ返すから、許してくれない?」
まるで慌てることなく、意外なほど人懐っこい笑顔で応じた男性は、賞状を渡す時に似た動きで焼肉弁当とカップ酒を差し出しました。ガサガサの唇に塗られた真赤な口紅と、顔の中で浮いている水色のアイシャドウが、この男性の不気味さを際立たせています。
「それだけじゃないでしょう。全部出してもらわないといけないから、事務所まで一緒に来てもらえます?」
「ここで勘弁してよ。お金は、一銭もないし、全部返すから。ね、お願い」
「ダメですよ。さあ、行きましょう」
埒が明かないので、腰元を掴んで少し強引に歩き始めると、意外と素直に歩を進めてくれました。事務所までの道中に逃げられぬよう、気を逸らすべく、いくつかの質問をぶつけてみます。
「化粧品は、ご自分で使うためですか?」
「うん。コロナで、いつ死ぬかわからないから、きれいにしておきたくてね」
「お家は、あります?」
「そこの川に住んでいるのよ。ダンボールじゃなく、トタンの家なの」
そんな会話をしながら事務所に向かい、応接テーブルに盗んだ商品を出させると、計7点、合計8,000円ほどの商品が出てきました。話を聞けば、ここからほど近い河原で暮らしているという男性は57歳。一文無しの上に、身寄りはなく、商品代金を立て替えてくれるような人も用意できないと話しています。ふと、前に座る男性の顔を見つめれば、鼻がぺちゃんこに潰れており、鼻の頭が二つに割れていました。しばし、目を奪われていると、私の視線に気付いた男性が恥ずかしそうに言います。
「整形で失敗しちゃったの。安いとこはダメね。これで人生台無しよ」
その後、警察に引き渡された男性は簡易送致処分とされ、店内で実況見分を行うことになりました。犯行状況を明確にするため、盗んだ商品の陳列棚や商品を隠した場所、捕まえられた場所などを指差した写真が撮影されます。
「そこを指差したまま、こっち向いて」
「はい」
すると、あろうことか満面の笑みを浮かべた男性は、警察官に向かってピースサインを突き出して見せました。
「おい。お前、舐めてんのか?」
息子ほど年齢の離れた警察官に怒られた男性が、肩をすくめると同時に、胸が大きくズレておかしかったです。
(文=澄江、監修=伊東ゆう)