【今週はこれを読め! エンタメ編】"最後の文士"の告白〜岩井圭也『文身』

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2020年04月29日 20:12  BOOK STAND

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『文身』岩井圭也 祥伝社
主人公の庸一は、最初に就職した工場で自分の名前の漢字を聞かれて「凡庸の庸」と答えた。しかし、実際には凡庸どころの話ではない。須賀庸一という人間は、まぎれもなく希有な存在だと思う。

 「最後の文士」として知られた庸一が亡くなったとき、喪主を務めたのは娘の明日美だった。庸一の妻であり明日美の母であった詠子は、毒性のある殺鼠剤を服用したことが原因で亡くなっている。当初自殺として処理された彼女の死は、庸一が〈深海の巣〉という作品を発表したことによって世間の注目の的となった。その短編が、庸一が詠子を殺害したことをほのめかす内容だったからだ。結局真相は藪の中。しかし、もともと父親の無頼なふるまいを許せなかった明日美との間の亀裂は、決定的なものとなる。現状を見かねた母方の親戚に引き取られて以来ずっと、明日美は庸一とは接触のないまま生きてきたのだ。感情を押し殺して父親を見送った彼女のもとに、葬儀の1週間後の日付の受付印が押された「須賀庸一」からの郵便物が届く。中身は、〈文身〉と表題のついた手書きの原稿用紙の束だった...。

 本書は、父と娘の物語であると同時に、兄と弟の物語でもある。庸一が自らの人生を振り返って書いたと思われる〈文身〉の冒頭で、彼は高校2年生。成績優秀な中学3年生の弟・堅次(「堅実の堅」)に対しては、複雑な感情を抱いていた。両親は、「町はずれの遊園地」と揶揄されるような底辺校に通う庸一に対しては暴力をふるうか無関心な態度で接するかで、堅次にばかり期待をかけている。それでも兄弟仲は悪くなく、たびたび学校をサボって映画館へ足を運ぶ堅次につきあう庸一。頭脳明晰でありながらあらゆることに倦んでいるようにみえる堅次は、ある日庸一にとんでもない提案を持ちかける。堅次が映画館で最も熱心に観ていた映画は、第二次世界大戦下のドイツで収容所からの集団脱走を試みる捕虜たちの姿を描いた『大脱走』。脱走に成功した「トンネル王」と呼ばれる捕虜たち(ダニーとウィリーのふたり組)のように、この息が詰まるような人生から抜けだし、兄弟ふたりで新たな道に踏み出そうと堅次は考えていたのだった。ほんとうにうまくいくのか危ぶみながらも利発な弟を頼みにしている庸一は、協力を約束する。そして昭和38年12月1日、計画実行の第一歩として、堅次と庸一は展望台のある浜辺へと向かった...。

 詳細は読んで確かめていただくとして、東京で再会した庸一と堅次は、ふたりでひとりの作家として生きて行く道を選ぶ。私小説を書くためには「仕事もない、生活力もない、それでもペンと紙だけは死んでも手放さん」という作家像を作り上げなければならないと主張する堅次と、自らを型にはめるように生きる庸一。私小説に書かれていることがすべて現実のできごとというわけでもないと思うのだが、彼らは執拗なまでに小説の内容を実体験としてなぞることにこだわる。一方でそこまでしてもなお事実と虚構が乖離していく部分もあり、読者にとっては読み進むにつれて何が真実なのかわからなくなっていく。それは明日美にとっても同じことだった。最後の最後に彼女が進もうとした先に待つものは、いったい何だろうか。

 著者の岩井圭也さんにとっては、『文身』が3作目の単行本。第2作『夏の陰』は、2019年6月12日更新の当コーナー(http://www.webdoku.jp/newshz/matsui/2019/06/12/130648.html)でも紹介させていただいた(よろしかったら、バックナンバーをお読みになってみてください)。『夏の陰』も骨太で読み応えのある小説だったが、本書はさらに重厚さを増した作品となっている。家族に対する愛情と嫌悪、信頼と猜疑、受容と拒絶。引き裂かれる思いは、同じ家庭に育ち秘密を共有してきた者同士だからこそ強くなる。弟からもらった「虹の骨」を宝物として持ち続けた兄。嘘で塗り固めた人生を生きながら、美しい虹を追い求めてしまう気持ちはわかるような気がする。そんな共感など、必要とされていないものかもしれないけれど。

(松井ゆかり)


『文身』
著者:岩井圭也
出版社:祥伝社
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