“禁欲”ルールのリアリティーショー『ザ・ジレンマ』 体当たり系ドキュメンタリーとしての楽しさ

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2020年05月02日 10:02  リアルサウンド

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『ザ・ジレンマ:もうガマンできない?!』Netflixにて独占配信中

 「バカタレー! お前ら大金を使(つこ)うて何やっとんじゃ〜!」。心からそう思う瞬間がある。心の作画が『はだしのゲン』になってしまう時がある。何の話かというと、Netflixオリジナルのリアリティーショー『ザ・ジレンマ:もうガマンできない?!』の話だ。


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 『ザ・ジレンマ』は、性欲が極めて強い美男美女を集め、南海のゴージャスな孤島で共同生活させるリアリティーショーだ。いわゆる『テラスハウス』系統だが、特異なのは「禁欲」がルールになっていること。キスはもちろん、体への接触や性行為はルール違反と見なされる。そしてルールを破った者が出れば、その行為の代償分だけ賞金10万ドルが少しずつ減額される。しかし……。


 結論から書くと、『ザ・ジレンマ』は恋愛リアリティーショーとしては失敗している。この手の番組は、まず明確なルールが必要だ。次に魅力的な登場人物が必要になる。『ザ・ジレンマ』には、どちらもない。ルールはコロコロ変わるし、そもそも冒頭に示すべき「最終的にこうなった人が優勝」というゴールが明示されていないのだ。これはリアリティーショーとして致命的な欠陥である。視聴者は番組をどの視点から見ればいいのかサッパリ分からない。いわゆる天の声的に語られる「成長せよ」というメッセージも、押しつけがましく、説教くさい印象がある。酷評されているのは仕方がないと思うが、それでも私がこのリアリティーショーを楽しんでしまったのは、自分と全く異なる価値観の人々が題材になっているにも関わらず、どこか身につまされる部分があったからだ。


 この番組に出てくる人間は、私とは正反対の人間だ。つまり顔がよくて、恋愛経験が豊富で、性行為が趣味な人間たちである。ハッキリいって、彼ら彼女らの思考回路が前半はサッパリ理解できなかった。キーボードを担いで登場し「エリーゼのために」を弾き出す人物をはじめ、見た目も中身もクセが強すぎるし、確実に一緒にいたら疲れるタイプだ。というか、性行為やキスをしたら減額というが、逆にいえばそれらを我慢すれば10万ドルもらえるのである。自分を慰める行為も禁止だが、“15の夜”ならいざ知らず、1カ月くらい余裕である。いくら何も聞かされずに島に連れてこられたとはいえ、「1カ月の禁欲で10万ドル」、このおいしすぎる話に拒否反応を示す理由が分からない。しかし、彼ら彼女らは我慢できないのである。速攻でルールを破り、キスをして3000ドルを失う。当のカップルは「やっちゃったよ〜」とヘラヘラ笑い合っていて、私の心の作画は、たちまち『はだしのゲン』である。しかし一方で、真顔でブチギレている人間もいた。「会計」というアダ名をつけられる、超ムキムキのケルスだ。


 私はまず、このケルスにものすごく同情してしまった。そしてこの人は私の期待を裏切らず、番組を通じて真面目に禁欲を続けるのである。全8話を通じて、出てくる映像は筋トレばかり。そりゃそうだ。10万ドルのためなら、我慢するのが普通だろう。もちろんこれはリアリティーショーで、Netflixという巨大なプラットフォームで配信されるコンテンツだ。ここで大暴れした方が話題になるし、そこから有名人としてブレイクできるかもしれない。しかし、彼はそこまで大胆になれなかった。この堅実さに、妙な親近感を抱いてしまった。なので、メンバーが「行為」をやらかして減額が発生する度に、彼の目がドンドン死んでいくのが気の毒でならなかった。


 一方、ハリーとフランチェスカというカップルも忘れ難い。2人は恐らく本作の主人公格だ。ハリーはオーストラリア出身の男性で、モデルのような容姿だが、アホの擬人化といった雰囲気をまとっている。先ほどから「ヘラヘラ」という表現を使っているが、そのほとんどはコイツのせいだ。そしてハリーとくっついたり、くっつかなかったりするフランチェスカ。こちらもなかなかの曲者で、時には「みんなを困らせてやれ!」とルールをブチ破る。危険思想の持ち主だ。この2人がまぁ酷い。10万ドルをガンガン減らしていき、何なら「ルールを破るのって楽しくない?」などと持論を展開する始末。心が『はだしのゲン』になる主な理由は、こいつらのせいである。前半のうちは、完全にこちらの心はゲン、2人は町内会長だ。しかし……。見ていくうちに、ちょっとずつ2人への印象が変わっていった。ルール違反を繰り返す2人を見るうちに、少しずつ2人の心理が理解できてくるのである。


 これはリアリティーショーなので、必ず“やらかした”後に、自分たちの行為についてカメラの前で弁解する場面が設けられる。「どうかしてたんだよ」「もうしないよ」と言いつつ、すぐに失敗する。そして「でも、ここで我慢するのは逆に不健全じゃないか?」「体の相性だって大事じゃないか」とルール違反の言い訳を並べるのだが……こうした自己正当化を並べる2人を見るうち、実は私も多かれ少なかれ、似たようなことをしているなと考えてしまうのだ。性行為ではないが、たとえばブックオフでちょっと高い本を買うとき、「ここで買ったら今月のやりくりが困るぞ」と分かっていても、「後悔するくらいなら、ここで買っておこう」「ここで変に我慢するのは逆にダメ」そんなふうに言い訳が無限に湧いてきて、結局は買ってしまう。私はそういう経験をたくさんしてきた。性行為とブックオフは全然違うが、心理状態的には同じである。このため当初は『はだしのゲン』で言うところの町内会長に見えていた2人が、次第にムスビくらいの距離に思えてくる。「覚醒剤はやめろ」と心配するような感じで、「ち、ちがう。これはただのスキンシップじゃ」とイチャつく2人に、「フランチェスカ、うそをつけっ」と応援してしまっていた。実際、最後の最後、心なしかハリーからアホの擬人化オーラが消えていたときなんて、ちょっと感動しましたからね。


 そんなわけで、本作はリアリティーショーとしては失敗作だろう。何しろほとんど全編に渡って筋トレしかしていない人もいるのだから。しかし、自分をコントロールできない人にとって、これはけっこう親近感の湧く内容かもしれない。それに全部で8話しかないし、いきなり「日本の文化・Shibariで精神的に繋がろう」とSMの縛り講座が始まったり、謎の展開もある。グダグダな深夜バラエティを見ているような面白さと、ちょっとだけ身につまされる感覚。恋愛的な駆け引き一切なし、一種の体当たり系ドキュメンタリーとして楽しめた。とりあえず、私の心の中の『はだしのゲン』が「そうか、お前らもお前らで大変なんじゃのう……」と優しい目をして、振り上げた凶器のゲタを地に置いたのは事実である。(加藤よしき)


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