『M 愛すべき人がいて』登場人物のモデルとなった人物は? 90年代の音楽シーンとともに解説

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2020年05月09日 06:01  リアルサウンド

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『M 愛すべき人がいて』(c)テレビ朝日/ABEMA

 平成の歌姫・浜崎あゆみとエイベックス社長・松浦勝人(当時専務)との出会いと別れを描くドラマ『M 愛すべき人がいて』(テレビ朝日×ABEMA)。原作は小松成美の同名小説。綿密な取材をもとにしているが、そこにさらにフィクションの要素を加えてドラマ化している。


 エキセントリックな登場人物のセリフや演技などが話題を集めているが、ここでは舞台となった90年代の音楽シーンの様子や、登場人物のモデルとなった人物やアーティストを紐解いていきたい。


【写真】隻眼の秘書を演じる田中みな実


■アユとマサの出会いの場「ヴェルファーレ」


 ファーストカットは2001年の渋谷の風景。この年はアーティスト・浜崎あゆみの最初の絶頂期と言っていいだろう。初のベストアルバム『A BEST』のリリース(劇中でも109ビルに広告が出ている)、4大ドームツアーの実施、日本レコード大賞初受賞、前年に続いて2年連続CD売上200億円を突破している。


 物語は浜崎が上京して芸能界デビューした1993年にさかのぼる。劇中ではアユ(安斉かれん)が中谷プロダクションに所属してドラマなどに出演する様子が描かれるが、浜崎が実際に所属していたのは松田聖子や酒井法子を輩出したサンミュージック。中谷社長(高橋克典)は原作小説には登場しない。サンミュージックの社長・相澤秀禎は芸能界では稀なほどの人格者として知られていた。エイベックスが町田から本社を南青山に移転したのもこの年。


 松浦がモデルのマックス・マサ(三浦翔平)とアユが出会ったディスコ「Velfine」のモデルは、六本木の巨大ディスコ「ヴェルファーレ」。エイベックスが1994年にオープンしたもので、地上3階、地下3階、総床面積1500坪を誇るアジア最大級のディスコだった。松浦もオープニングのテープカットに参加している。松浦の記憶によると、ネーミングはヴェルサーチとフェラーリの合体だったとか(ブログ 2006年12月15日)。ドラマではヴェルファーレの象徴だった大階段が再現された。


 当初はジュリアナ東京の流れを汲むユーロビートやパラパラが中心だったが、その後はテクノやトランスなどの流行発信地となった。エイベックスはオープン直後から毎週のように新人アーティストのライブイベントを行い、MAX、安室奈美恵、浜崎あゆみ、倖田來未、EXILEなどが出演していた。


 原作小説で松浦と浜崎がヴェルファーレで出会うのは浜崎が17歳のときだから1995年ということになる。その後、1996年の年末にサンミュージックとの契約が切れ、ニューヨークでボイストレーニングを受けるのが1997年。デビューは1998年4月である。


■松浦勝人と小室哲哉


 「velfine」のステージでライブを行っていたダンス&ボーカルグループ、USGのモデルはエイベックス邦楽第1号グループだったTRF(当時はtrf)。演じているlolがカバーした「BOY MEETS GIRL」はドラマと連動したアルバム『avex revival trax』に収録されている。


 そのUSGをプロデュースした輝楽天明(新納慎也)のモデルとされているのが小室哲哉。所属していたユニットTM NETWORK(以下、TMN)の活動が終了した1994年からプロデュース活動に専念し、小室ブームとも呼ばれる社会現象を起こした。劇中で200万枚を売り上げた「スーパージャングル」は、213万枚を売り上げたH Jungle with tの「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント」のことだろう。


 松浦と小室の出会いは、エイベックスがまだ町田にあった1992年。「TMNでユーロビートのカバーCDがつくれないものか?」という松浦のアイデアに当初、小室は及び腰だったとされる。その後、小室がダンス番組『ダンス・ダンス・ダンス』(フジテレビ系)で見初めたSAM、全国各地のマハラジャで行っていた新人オーディションに現れたYU-KIを組み合わせたユニットtrfをエイベックスからデビューさせた。「TK RABE FACTORY(略してtrf)」の名付け親は松浦である。業界の前評判は「絶対に売れない」というものだったが、1993年から売れ始め、翌年には早くもミリオンセラーを達成。松浦は「初期のエイベックスで、trfが売れたときほど嬉しかったことはない」と振り返っている。ここからエイベックスの快進撃が始まった。


 その後、松浦と小室の関係は紆余曲折あるが、2009年に小室の5億円詐欺事件における公判に出席した松浦は「小室さんがいなければ今の自分も会社もなかった。ELT(Every Little Thing)やEXILE、浜崎あゆみ、倖田來未なども小室さんなしには生まれなかった。小室さんは僕の恩師です」と語った(産経ニュース、2009年3月12日)。ちなみに輝楽天明のルックスに悪意があるのではないかと問われた松浦は、「それはテレビ局や番組製作者が決めてる事なので僕にはなんの権利もありません」と返答している(松浦勝人Twitter、4月26日)。


■脱小室路線の第一歩、ELT


 輝楽に対抗心を燃やすマサがプロデュースする3人組ユニットOTF(「OVER THE FACT」というネーミングはこのドラマの姿勢の表れだろう)。モデルは96年デビューのEvery Little Thing(ELT)。マサがユニット結成を持ちかけた三ツ谷(Da-iCEの和田颯)のモデルは、ELTのリーダーでサウンドプロデューサーの五十嵐充だろう(2000年に脱退)。


 五十嵐は20歳のときに松浦が経営していた貸しレコード店「友&愛」の上大岡店のアルバイトに入り、その後店長になったが、店が立ち退きになったため、松浦に新しくできたスタジオの電話番を任されて食いつないでいた。ELT結成時は、五十嵐がバンドを組んでいた伊藤一朗を招くことを松浦が許可している(「デブでなければ」という条件付き)。最初の学祭ライブには松浦も足を運び、楽屋で一緒に泣いたという。その後、ELTはいくつものミリオンヒットを飛ばすビッグユニットへと駆け上がっていき、エイベックスの脱小室路線の端緒となった。


 なお、小松成美の原作小説ではELTの名前こそ出ないが、浜崎が「どのショップにも専務プロデュースの歌が繰り返し流れている」「ヒットメーカーとなったそのアーティストを羨ましいと思わない、と言ったら私は大嘘つきだ」と苛立ちを隠さない場面がある。


 マサの直属の部下・流川翔(白濱亜嵐)には特定のモデルはいない。ドラマでは彼がアユをスカウトしたことになっているが(正確にはアユがアピールした形)、原作小説ではヴェルファーレのフロアスタッフに声をかけられている。流川は貸しレコード店時代にマサと知り合って慕っているという設定だが、白濱亜嵐のボスであるEXILEのリーダー、HIROも松浦が貸しレコード店を経営しているときに知り合っている。


■あの個性的な人物のモデルとは?


 大浜社長(高嶋政伸)のモデルはエイベックスで社長兼会長を務めた依田巽だろう。海外とのパイプを持つ依田は、まだレコードの輸入業者だった初期のエイベックスで顧問として松浦らを支援。trfがブレイクした1993年に代表取締役に就任し、その後、筆頭株主になる。ELTがデビューする1996年頃について、松浦は「依田さんは、クリエイティビィティよりも売上至上主義に変わっていった」「依田さんが会社を支配」していたと振り返っている。実際、松浦はしょっちゅう依田と口げんかを繰り返していたという。小室路線からの脱却と、依田体制への反発が、浜崎あゆみを生み出す原動力になったと考えていいだろう。その後、2004年に松浦と依田は決定的に対立して一度は松浦が辞表を提出するが、浜崎が松浦を擁護して依田が社長を辞任した。


 ニューヨークでアユをしごきまくるエキセントリックなボイストレーナー、天馬まゆみ(水野美紀)のモデルとされるのは、実際に浜崎あゆみをニューヨークで指導したボイストレーナーの原田真裕美。腹からではなく「魂(ソウル)から」声を出せと指導するが、実際に「魂カウンセラー」「魂アドバイザー」という肩書きを持つ。原作小説には「マユミ」という名前で登場するが、それを読んだ原田は「超意地悪い、ビッチーでハラスメントやり放題、酷いレッスンする人なんです〜。『ひどーい!』私、そんな喋り方しないし、そんな事しな〜い!」と抗議の声をあげている(原田真裕美の魂ブログ/ Mayumi’s Intuitive Blog、2019年8月20日)。ドラマを観たら、どんな感想を抱くのだろう?


 今後は相川七瀬をモデルにしたと思しき冴木真希(Yup’in)の登場も予定されている。ということは、作詞作曲した織田哲郎をモデルにした人物も登場するだろう。90年代音楽と当時の音楽業界が好きな人は目が離せないドラマである。なお、隻眼の秘書・姫野礼香(田中みな実)のモデルは見当たらなかったことを付け加えておく。


※参考:芦崎治『avex way 1988〜2005』


(大山くまお)


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  • あの眼帯が博多通りもんに似てるって話題になってるのね。��̸�ΤҤ褳
    • イイネ!12
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