『ミッドナイト・ゴスペル』なぜ話題に? 新感覚アニメーションが可能にした、壮大なテーマの表現

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2020年05月26日 10:02  リアルサウンド

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『ミッドナイト・ゴスペル』 Netflixにて独占配信中

 4月よりNetflixで配信が始まったアニメーション『ミッドナイト・ゴスペル』が一部で大きな話題を集めている。ポップでグロテスクでサイケデリック、トリップ感満載の映像は幻覚症状を見ていると錯覚させられ、鑑賞中に少し危ない高揚感すら覚える。筆者は強烈な変性意識に襲われ、地面から足が浮遊したような気分になった。やや浮足立った気持ちをなるべく抑えつつ、本作の魅力について語ってみたい。


参考:ほか場面写真多数


・インタビューをアニメートした新感覚のアニメーション・ドキュメンタリー


 本作は、『アドベンチャー・タイム』で知られるペンデルトン・ウォードによる1話約30分、全8話からなるアニメーションシリーズだ。ウォードがダンカン・トラッセルというコメディアンが配信しているインタビュー形式のポッドキャスト『Duncan Trussell Family Hour』に触発され、そのインタビューをアニメーションにすることを思いつき実現した。基本的に1話完結で、トラッセル自身が主人公のクランシーを演じている。


 主人公のクランシーはスペースキャスター(ポッドキャスターの宇宙版)で、様々な平行世界へシミュレーターを通して訪れ、そこで出会った人々にインタビューするという筋書きだ。そのインタビュー内容は、過去に配信されたトラッセルのポッドキャストから取られている。


 その平行世界は様々な理由で滅亡の危機に瀕しているという設定だ。ゾンビが大量発生していたり、地表が水に沈んでいたりと様々なシチュエーションを幻惑的なアニメーションで描き、そこでクランシーがとんでもない目に遭いながらユーモア混じりにインタビューを続けてゆく。インタビューのテーマはゲストに応じて様々で、薬物依存症のスペシャリストや作家、瞑想のプロや冤罪で死刑判決を受けた人物から、トラッセル本人の母まで多彩な顔ぶれだ。


 ペンデルトン・ウォードは、ダンカン・トラッセルのポッドキャストを高く評価しており、2013年ごろから聴いていたという。ウォード曰くとラッセルは「瞑想について2時間通して面白おかしく語れる」センスを持っているそうで、そんな彼のトークにアニメーションをつけたら面白くなるのではないかと思ったそうだ(参照:Light at the End of the Apocalypse: Pen Ward & Duncan Trussell Preach ‘The Midnight Gospel’ – ANIMATION MAGAZINE)。


 実際のインタビューからアニメーションを起こしているという点で、本作はアニメーション・ドキュメンタリーの一種と言えるだろう。映像の記録性・事実性に依拠する従来の実写ドキュメンタリーは、カメラの目の前で起こっていないことを観客に提示することは困難であった。しかし、アニメーション・ドキュメンタリーは、過去の記憶などの主観的イメージを映像で再構築することによって、より鮮烈に証言者の体験を共有させることができる。アリ・フォルマンの『戦場でワルツを』で一躍有名になった手法・ジャンルだが、近年では実写のドキュメンタリー作品でも一部にアニメーションを導入してこの効果を狙う作品も増えている(日本の最近の作品だと『プリズン・サークル』や『i −新聞記者ドキュメント−』など)。


 本作も過去に収録されたインタビュー音声が事実性を担保し、その音声内容を主観的なイメージで映像を構築し、イメージを拡大することに成功している。


・多彩なゲストの顔ぶれ


 本作のアニメーションとしての効能の前に、バラエティに富んだゲストについて紹介しておこう。本作はダンカン・トラッセルのポッドキャストインタビューから作られたことは上述したが、300回以上ある配信の中から8本が厳選された。1話では『Celebrity Rehab with Dr. Drew』などの番組で知られる依存症の専門家ドリュー・ピンスキー、2話はキリスト教についての著書を持つ作家アン・ラモットとラグー・マーカス、3話ではかつて3人の男児を殺害したとして死刑判決を受け、後に冤罪が立証されたダミアン・エコールズ(映画『デビルズ・ノット』のモデル)などがゲストで登場する。


 インタビューテーマは、依存症や死、オカルトや魔術などのスピリチュアルなものから、瞑想の効用、仏教から葬儀などの死の産業についてなど、死や心の問題を扱ったものが多い。トラッセルのポッドキャストはより広範なテーマを扱っているが、本作ではこうした精神系の内容が選ばれている。


 そうした一連の内容を経て、最終話に登場するのは、死を間近に控えたトラッセルの実の母親である。このインタビューは彼女の死の3週間前に収録されたものだそうだ。


・アニメーションの原形質性が壮大なテーマに直結


 本作の最もユニークな点は、インタビュー内容とアニメーション映像の中で起きていることが一致していない点だ。例えば、映像ではゾンビを激しい戦闘を繰り広げながら、会話の内容は薬物の依存症についてだったり、食肉工場で肉にされそうになりながら、身近な人の死に直面することについて語り合ったりしている。音声と映像のイメージの乖離しているのだ。


 これについてウォードは「終末的な状況でも人は終末や自省的なことを語るとも限らない」のではないかと発想したそうだ(参照:Light at the End of the Apocalypse: Pen Ward & Duncan Trussell Preach ‘The Midnight Gospel’ – ANIMATION MAGAZINE)。音声内容をそのまま映像にするのではなく、鑑賞者のイメージを撹乱・拡大させるように自由な発想で映像を組み立て、音声と映像がせめぎ合うような作品になっている。


 本作は仮想世界を舞台にしていることもあり、主人公のクランシーは毎回異なるアバターをまとい、ほかのキャラクターたちも姿形を変幻自在に変えてゆく。『戦艦ポチョムキン』で知られるセルゲイ・エイゼンシュタインがアニメーションに見た「原形質性」が存分に発揮された映像だ。


 原形質性とはエイゼンシュタイン曰く「いかなるフォルムにもダイナミックに変容できる能力」のことで、ディズニーキャラクターたちが自由に足や手を伸ばしたり、別の生物を模倣したりする様に見出した概念だ。形状を自由に変化させるアニメーションのメタモルフォーゼの特殊性を指した言葉として一般的には解釈される。


 本作が驚くべき点は、このアニメーションのメタモルフォーゼを用いて、死と輪廻転生といった壮大なテーマに到達してみせるところだ。主人公のクランシーはアバターを変え続け、絶えず変化する世界の中で、戦争や死の産業、身近な人の死の話を通じて死とは何かを思索し、瞑想や仏教、オカルト魔術の話で精神のありかを探る。そして最終話で母の死に直面する。


 土居伸彰氏は、原形質性について、従来はビジュアルの変容を指すものとして用いられてきたが、エイゼンシュタインは本当はそうは語っていないと言う。ビジュアル自体が変容するというよりは、そのビジュアルを解釈する仕方が無数にあり、それは常に変容し得るものだということが本来の原形質性の意味するところなのだそうだ(参照:個人的なハーモニー : ユーリー・ノルシュテイン『話の話』を中心としたアニメーションの原形質的な可能性について)。


 本作は、キャラクターも世界も絶え間なく変容する。最終話では母と対話しながら主人公の姿は子どもから青年、老人へと変化し、さらには妊娠する。そして主人公が生んだ子どもは母親の生まれ変わりでインタビューは続いてゆく。何にでも変化しうるアニメーションがこうして輪廻転生へとつながってゆき、生命の神秘という宇宙規模のテーマへと拡大してゆく。音声だけなら身近な者の死という極めて個人的な事柄にとどまっていたものが、アニメーションの原形質性によって壮大なテーマと接続されてゆくのだ。


 ビジュアルの変容とともに多義的な解釈も存分に可能な作品で、いかなる意味にも固定されないという点で、エイゼンシュタインが語った本来的な意味における原形質性を持った作品と言えるだろう。ただのシニカルなジョークを連発するアニメーションではない、壮大な宇宙と生命の神秘の一部に我々自身も含まれるのだという変性意識を叩き込む驚異的な作品だ。 (文=杉本穂高)


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