くるりの『thaw』の熟成した「うまみ」が心を揺さぶる

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2020年05月26日 16:00  AERA dot.

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写真『thaw』のジャケット(提供:ビクター・エンタテインメント)
『thaw』のジャケット(提供:ビクター・エンタテインメント)
 コロナ禍で予定されていたコンサート・ツアーやイベントが延期・中止になる中、国内外のミュージシャンたちは思い思いに「今できること」に着手している。

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 弾き語りなどの生演奏をインターネットで配信したり、自宅録音の作品を「サウンドクラウド」のような音楽共有サービスを利用して公開したりと、家でできることをコツコツ続けている。海外ではそれらの売り上げを医療従事者らに寄付する動きが活発だ。中には過去のライブ映像のアーカイブを公開販売し、その売り上げを仕事がなくなったツアー・クルー(スタッフ)に寄付しようと試みるバンドもある。

 日本国内でも夏フェスなどが次々と中止になる中で、ビッグネームもインディー・アーティストも音楽家たちがとるアクションは様々。ただ共通するのは、まだまだもがき苦しみ、模索しながら、それでもなんとかやれることをやろうとしているということ。その行動力こそが今、尊い。

 20年以上にわたり第一線で活躍する3ピース・バンドの「くるり」の場合は急きょ、アルバムをリリースするという英断を下した。タイトルは『thaw』。4月に既にデジタルで11曲の配信が開始されているが、5月27日に発売されるCDにはこれに追加して全15曲が収録されている。

 「くるり」のメイン・ソングライターでボーカリスト/ギタリストの岸田繁によると、コロナ禍でツアーが中止になった後、すぐにこのアルバムの制作に入り、構想からわずか3週間でマスタリングまで終えたのだという。今作はこれまでの作品の中から未発表曲やオリジナル・アルバム未収録曲などを集めた企画盤。録音時期もマチマチだし、録音メンバーも異なる。

 メジャー・デビュー直前の1998年に録音された曲もあれば、岸田繁と交流のある又吉直樹が出演するNHK・Eテレの人気教養バラエティー番組『又吉直樹のヘウレーカ!』の主題歌(2018年)など近年おなじみの曲もある。いわば、約20年間の彼らの軌跡をちょっと違うアングルからたどれるバンド史作品になっている。

 だが、これは単に未収録曲、未発表曲を寄せ集めただけの作品ではない。もちろん、急激に世の中が変化していく今の状況に対して、音楽の現場でフットワーク軽く対応した、その行動力が何より説得力を持つ1枚ではある。一方、こういう主張もこの作品から感じ取れるのではないだろうか。「音楽は完成したら終わりというわけではない、時間を置けば全く違う意味を持つこともある」

 それは音楽を「熟成させることの大切さ」なのかもしれない。

 90年代半ばに京都の立命館大学の学生たちで結成した「くるり」は、間断なく活動を続ける中で、作品や曲ごとに全く異なるアレンジや作り方を試みてきた、新しいことに果敢に挑戦するバンドというイメージがある。近年は故郷・京都市で再び生活するようになった岸田が、地元の京都市交響楽団と組んでオリジナルのシンフォニーを作曲。Eテレの子ども向け番組『みいつけた!』の新たなエンディング曲「ドンじゅらりん」を作詞作曲したことも話題になった。40代に入ってもなお勢力的にトライし続ける様子は、中堅からベテランの域に差し掛かってきたバンドとして、驚くほど刺激的だ。

 けれど一方で、過去のキャリアやこれまでに残してきた曲を葬り去るのではなく、あくまでも今の自分たちと地続きであるということを常に意識したバンドでもある。新たな挑戦をしても活動の原点であるロックというフォルム、スタイルにずっとこだわり続ける姿勢は高く評価されてきた。録音やアレンジで未知の領域に踏み込んでも、活動当初から変わらぬ親しみやすいメロディーや曲構成を決して捨て去らないという一貫性により、世代を越えて多くのリスナーを獲得してきた。

 とはいえ、「変わらないことの美学」をただ貫いているわけではない。昔の曲も「変わる」のだ。大豆が時間をかけて発酵し納豆になっていくように、別のものになっていく。時間の経過とともに変化していく事実を楽しみ、愛でる感覚。それは加齢とともにヒューマンになったり、若い頃にはなかった深みが備わったりすることがあるという人間の在り方に似ている。

 昔作った曲、昔録音した曲も、今の目線や感覚で聴くと、作った当時には気づかなかった聞こえ方もする。このニュー・アルバム『thaw』は、そんな感覚の変化の「うまみ」を伝えているのではないだろうか。

 例えば、このアルバムでは最も古い録音になる98年の2曲「Giant Fish」「Only You」。特に、感情の向くままにシャウトし、ギターをゆがませ、ブルーズやオールド・ロックへの普遍的でひたむきな愛情を惜しみなく注ぐ「Giant Fish」は、まだ大学生だった頃の岸田、ベースの佐藤征史、当時のドラマーの森信行の無鉄砲な演奏が味わえるアルバム屈指の曲だ。

 だが、それをただ「当時の初々しさがまぶしい」といったノスタルジックな聴き方をしてしまってはもったいない。なぜなら、ここに収録されてようやく日の目を見たこれら過去の曲は、初々しさよりも、熟成した「うまみ」があるからだ。言い方を変えれば、録音をした後すぐさま公開されるだけがすべてではないということ。時間を置いてみたら、別の手応えがそこに誕生することもある。

 料理の世界には「寝かせる」という言い方がある。下ごしらえしたものを一晩寝かせると味が染み渡ってさらに美味しくなる、というような意味だが、それと同じ感覚が『thaw』の中にはあると言っていい。「うまみ」を引き出すには時間がどうしても必要な場合だってある。誰でも簡単に録音し、すぐさまネット上で公開できるようになった昨今、特に現在のコロナ禍ではそのスピードで届けられる音楽やカルチャーが多くの人を励ましている。けれど、時間を置くことで人の心を揺さぶることもあるのだ。(文/岡村詩野)

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