平松政次、山田久志、門田博光……実は「入団拒否した」選手たち

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2020年05月26日 17:10  AERA dot.

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写真現役時代の山田久志(C)朝日新聞社
現役時代の山田久志(C)朝日新聞社
 ドラフトには過去に様々なドラマが見られた。意中の球団に指名されず「入団拒否」の道を選んだ選手も。現役の選手では阪神・福留孝介、西武・内海哲也、広島・長野久義、巨人・菅野智之がプロの指名を断り、社会人野球や浪人の道を選択している。下記の選手たちはいずれも名球会入りしたスーパースターだが、1度目のドラフト指名で入団を拒否している。もし、入団していればプロ野球界の歴史が変わっていた可能性があっただけに、人生の決断が興味深い。

・平松政次(大洋=現・DeNA)72歳 1965年秋のドラフトで中日の4位指名を拒否
※通算201勝196敗16セーブ、防御率3.31

 切れ味鋭い高速の「カミソリシュート」を武器に歴代2位の巨人戦通算51勝をマークした。平松は岡山東商高3年時に春の選抜大会に出場。39イニング連続無失点の大会新記録を樹立して優勝している。同年秋のドラフトで中日から4位指名を受けたが、入団を拒否して社会人野球の日本石油へ。66年に大洋の2次ドラフトで2位指名を受けた時も入団保留して日本石油でプレーし、67年8月に大洋に途中入団した。

・谷沢健一(中日)72歳 65年秋のドラフトで阪急(現・オリックス)の4位指名を拒否
※通算打率3割2厘、273本塁打、969打点、42盗塁

 首位打者2回、通算2062安打の天才打者。巧打の中距離打者だったが、30歳を超えると長距離打者に変貌(へんぼう)を遂げて本塁打を量産。84年には自己最多の34本塁打を放った。習志野高(千葉)で甲子園出場はならず、阪急にドラフト4位で指名されたが、早大に進学。東京六大学リーグで通算打率3割6分、18本塁打をマークした。69年秋のドラフト1位で中日に入団。意中の球団は巨人と言われていたが、中日で17年間主軸打者として活躍した。

・山田久志(阪急)71歳 67年ドラフトで西鉄(現・西武)の11位指名を拒否
※通算284勝166敗43セーブ、防御率3.18

「史上最高のサブマリン」と称され、アンダースローでプロ野球最多の通算284勝をマーク。最多勝3回、最優秀防御率2回、最高勝率4回を獲得し、阪急黄金時代のエースとして活躍した。能代高(秋田)から社会人野球の富士製鉄釜石へ。サイドスローからアンダースローにフォーム改造して素質を開花させると、67年秋のドラフト11位で西鉄に指名されたが入団拒否。翌68年秋に阪急にドラフト1位で指名された。当時腰痛だったため、富士製鉄釜石に残ってリハビリを続け、69年8月に阪急に途中入団した。

・門田博光(南海=現・ソフトバンク、オリックス、ダイエー=現・ソフトバンク)72歳 68年秋のドラフトで阪急の12位指名を拒否
※通算打率2割8分9厘、567本塁打、1678打点、51盗塁

 567本塁打、1678打点はいずれも日本野球機構(NPB)史上3位。40歳になった88年に44本塁打、125打点で2冠王を獲得し、89、90年も30本塁打以上をマークして「不惑の大砲」と呼ばれた。天理高(奈良)から社会人野球のクラレ岡山に進み、68年秋のドラフト12位で阪急に指名されたが入団せず。なお、この年の阪急は「ドラフト史上最高の大豊作」と呼ばれ、1位に山田久志、2位に加藤秀司、7位に福本豊と後に名球会入りする3選手が指名されて入団している。門田は翌69年秋のドラフト2位で南海から指名を受けて入団した。(牧忠則)

※週刊朝日オンライン限定記事

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  • 藤沢公也をわすれてはいけない。
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