風俗スカウトマンで「有名大学の真面目」な彼との同棲――人気ヘルス嬢に芽生えた殺意【世田谷・学習院大学生刺殺事件】

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2020年05月30日 20:02  サイゾーウーマン

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サイゾーウーマン

世間を戦慄させた事件の犯人は女だった――。平凡に暮らす姿からは想像できない、ひとりの女による犯行。自己愛、欲望、嫉妬、劣等感――罪に飲み込まれた闇をあぶり出す。

 日曜夜の東京都世田谷区。小田急線経堂駅から南に延びる「農大通り」を歩いていた二人。ロングヘアで面長美人の女性は、すらっとした長身に、白いシャツと黒いパンツがよく似合う。男性も身長180センチを超える長身に、ペアルックのごとく白いシャツと、チェックのズボン。駅で待ち合わせをして、これから食事に向かう幸せな若いカップルのように、他人からは見えたことだろう。だが、二人は今日の出来事を楽しげに話すことも、手をつなぐこともなく、無言だった。

 たまたまその時間に居合わせ、二人とすれ違った女性が語る。

「女がカバンに手を入れて、何かゴソゴソとやっていました。私が二人とすれ違うときに、男が女に、何か罵るようなことを言ったんです。耳元で言葉を吐き捨てるような感じだった。その直後、二人はいきなりボコボコに殴り合いを始めたんです。女がアンテナのようなものを手にしているのが見えました」

 女性が向きを変えて歩き直そうとしたとき、長身の男が叫んだ。

「助けてッ! 助けてッ!!」

 慌てて女性が近づくと、男の胸と、一緒に歩いていた女の手が血で真っ赤に染まっていた。男は叫びながら、近くの洋服店に駆け込む。

「血まみれの男がよろめくようにして店内に入ってきたと思ったら、崩れ落ちて膝立ちになり、すぐにうつ伏せに倒れた。あとから来た女は包丁を振りかざし、血相を変えて男の上で馬乗りになった」

 アンテナのようなものは包丁だった。女はそのまま、男の背中に包丁を突き立てる。

 ザクッ、ザクッ、ザクッ……

 血しぶきが店内の洋服に飛び、男の周りにたちまち血だまりが広がり始める。洋服店店主が阿波踊りに使う棍棒を持って駆け寄り、女が持っていた包丁を叩き落とすと一転、女は放心状態になり、

「お母さんに、連絡して……」

 そして、ただ泣くのだった。

世田谷・学習院大学生刺殺事件

 渋谷典子(仮名・当時26)が、福岡則夫(仮名・当時21)さんをめった刺しにしたのは、1997年10月19日、19時15分過ぎのこと。福岡さんは近くの病院に搬送されたものの、1時間半後に息を引き取った。現場に駆けつけた警察官は典子を殺人未遂の現行犯で逮捕した。のちに彼女は殺人罪で起訴され、東京地裁で懲役10年の判決が確定している。

 二人は事件の約1年前に出会い、同棲していた。大学生の福岡さんと、風俗店勤務の典子。出会いは、福岡さんのアルバイトがきっかけだった。

 東京・江東区に生まれた福岡さんは国立お茶の水女子大学附属中学学から学習院高等科へ進学。事件が起きたとき、学習院大学文学部哲学科の4年に在学中だった。日本美術史を専攻していた彼の卒論テーマは「日本野球に関する文化論」だったという。

 高校時代から硬式野球部に所属するスポーツマンでもあった文武両道の福岡さんが、六本木のキャバクラのスカウトマンを始めたのは、典子に出会う少し前。ボーイとして働いていたキャバクラの店長から「やってみないか」と誘われるまま、いわば軽い気持ちでスカウトのバイトを始めた。ところがこれが抜群に向いていた。

「福岡は女の子の面倒見が抜群によかった。愚痴を聞いたり、プライベートな相談にものってやってました。電話がかかってきたら、昼夜関係なく出かけて行って、世話を焼くんです」(スカウト仲間)

「並のスカウトマンが月に5人だとしたら、彼は月に10人は女の子を店に連れてきた」(キャバクラ店店長)

 昼間は大学生、夜は六本木トップクラスのスカウトマンとして日々を謳歌していた福岡さんは、事件前年の暮れに、スカウト仲間から「山梨にいい娘がいる」と聞く。それが典子だった。

 典子は山梨県F市に生まれたが、幼いころに両親が別居。母親がスナックで生計を立てていたが、そのうち内縁の夫となる男性と同棲を始め、姉との4人暮らしとなる。高校を卒業後に東京の美容専門学校に進学。卒業してしばらくは、都内の美容院で見習いとして勤め、その後帰郷した。

 地元でも美容師として働いていたが、実家の居心地はよくなかった。血のつながった母と姉はともかく、義父とはうまく会話が続かない。家を出ることを考え始めた。一方で「結婚願望が強くて、男にのめり込むタイプ」(友人の証言)である典子は、地元で中学時代から親しい男友達がおり、恋愛経験が豊富だったものの、失恋も多かった。家庭の居心地の悪さや失恋の痛手を癒やすために、ときどき東京に出てきては、遊んでいたという。そんなとき、スカウトマンに声をかけられたのだ。

 スカウト仲間から典子の話を聞いた福岡さんは乗り気になった。典子が上京してきたときに会い、東京の店に勤めるよう、熱心に口説き落としたのである。そして東京で勤めることになった典子と付き合い始めた。

 もっとも、典子はキャバクラではなく新宿の風俗店に入店することになるのだが、それは典子の意志だと生前の福岡さんは語っている一方で、当の福岡さんがそう仕向けたといううわさもある。

 源氏名「クミ」として、いわゆる“性感ヘルス”と呼ばれる形態の店で働き始めた典子は店が借り上げていた新宿の寮に引っ越した。ここに福岡さんも転がり込み、同棲が始まる。

 夜の街の福岡さんを知る者は皆、彼の仕事ぶりを褒めた。

「いいヤツでしたよ。仲間もみんな彼が好きでした。仕事にも熱いヤツでした。社員と同じくらい店のことを親身になって考えてくれていた」

 彼がアルバイトしていたキャバクラ店店長は振り返る。渋谷の路上で福岡さんにスカウトされて入店したキャバクラ嬢も続ける。

「まずカッコ良かった。彼だから話を聞いてみようという気になりましたね。最初に出勤する日、渋谷まで迎えにきてくれた。初日はラストの深夜2時まで待ってくれました。『どうだった?』と親身になってくれた。2日目も迎えにきてくれて、ラストまで。『イヤなお客さんいなかった? イヤなお客がいたら、オレにいつでも言ってくれ』と、とても親切でした」

 トップスカウトマンとして月に30万円以上を稼いでいた福岡さん。一方「クミ」として性感ヘルスで働き始めた典子も、週に5、6日真面目に出勤し、客のマニアックな要求にも応えることから、すぐにナンバー3にまで駆け上がる。美容師の資格を取得していた典子は「お金を貯めて美容院を開き、彼と結婚する」という夢を持ち、多い月で250万円は稼いだ。上京直後に勤めていた府中の店をすぐに辞め、新宿に移ったのも「短期間でお金を稼ぎたい」という目標があったからだ。そんな典子の目には、福岡さんは「有名大学の学生でしっかりしている」真面目な男性そのものに見えていた。結婚相手には彼しかいない、そう思っていた。

 しかし福岡さんには、スカウトの顔とも、大学生の顔とも違う、別の顔があった。そして二人の関係も、ねじれてゆく。

――後編は明日31日公開

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