Netflixドラマ原作『保健室のアン・ウニョン先生』 BB弾とおもちゃの剣で対峙する”邪悪なものたち”

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2020年06月02日 10:02  リアルサウンド

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 記憶のなかの保健室は白くてあたたかい。たいていは校舎のなかでも特に日当たりのいい一角を与えられている。1階の奥、リノリウムの床を鳴らして向かう先にあらわれた白いドアを開けると、開け放たれた窓から吹き込む風が勢いよく頬を撫でて駆け抜けていく。


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 冬になると部屋の中央にはストーブが置かれ、湯の張られた鍋から上がる蒸気が、乾燥した空気を湿らせる。頭痛、腹痛、寝不足、倦怠感。思いつく限りの不調の理由を並べ、堂々と授業をサボるための免罪符を得ようと画策する生徒たちは、どの学年にも必ずといっていいほどいた。


 物語の舞台である私立高校の保健室も、そこに集まる生徒たちと保健室の先生とのやりとりも、一見するとそんなどこにでもある光景のように見える。首の後ろにチクッとした違和感を覚え、保健室を訪れた生徒。ピンセットを使い、養護教諭によって抜かれたその棘はしかし、得体のしれない「霊的な」動物の体の一部(爪やうろこ、骨など)だった。


 この養護教諭が物語の主人公、アン・ウニョンだ。彼女には生まれつき、見えないものを見る力がある。彼女の鞄にはいつも、BB弾の銃とレインボーカラーのおもちゃの剣が忍ばせてある。見えないもののうち「気持ちの悪いもの」を、自分のエネルギーを込めたそれらを使って倒すためだ。保健室を飛び出すときは、白衣の下に隠して向かう。


 倒すといっても、彼女が相手にするのは単純に「悪」と分類してしまえるような、残忍冷酷な存在ではない。思いが叶わなかったり、報われなかったり、道半ばで諦めざるを得なかったり。なんらかの理由で自分の力だけでは消化できない、強い思いが残ってしまった(もしくは現在進行形で思いを抱えている)ものたちだ。


 優しい言葉をかけてくれた英語教師への強い恋心により体が「増殖」してしまった、見た目にコンプレックスを持つ生徒。人より費用が高くつくからと、ろくに検査もされず使われていたクレーン車の下敷きになり亡くなった同級生。普通の人間として寿命を全うしたいと夢見ながらも「ムシ捕り」という役目を背負わされ、短い一生を繰り返し生き続けている生徒……。アン・ウニョン自身も、その特異な性質を周囲に不気味がられ、孤立した子ども時代を過ごした。彼女が彼らに差し出す手は、自分の力ではどうしようもない問題によって、ままならない人生を歩んできた彼女自身が求めていたものなのかもしれない。


 とはいえ、彼女の差し出す手は決してスマートではない。なんといっても、武器はおもちゃの銃と剣だ。新しい敵にエンカウントするたび、試行錯誤を繰り返しながらギリギリで切り抜けていく。そんなウニョンを助けながら、ともに問題を解決しようと奮闘する同僚の漢文教師ホン・インピョも加わると、ドタバタ劇にさらに拍車がかかっていく。


 ふたりのもとに次から次へと舞い込む問題の裏に潜む、学園の秘密とはいったい何なのか。10の事件に挑む彼らの、意外なほど鮮やかな手腕に驚かされる。


 救急法教育の授業で、生徒たちに人工呼吸や胸骨圧迫心臓マッサージを教えながら、ウニョンは思う。「たとえほとんどの子が忘れてしまって覚えているのは一部だけだとしても、そのうちの一人がいつか誰かを助けることになるかもしれない。」


 BB弾の代わりに詰めた霊的パワーをぶっ放して、虹色の剣でぶった切っていくアン・ウニョンの姿は可笑しくも勇ましい。しかし、彼女がその一発で、そのひと振りで邪悪なものたちと対峙しながら見ているのは、「いつか誰かを」と遠くにあるかすかな可能性を想像しながら手渡し続けた先にある、今よりほんのちょっと快適で過ごしやすい未来なのかもしれない。


 担当クラスを持たない養護教諭は、特定の生徒たちと深くかかわる機会は少ない。けれど、保健室はいつでも、休息を必要とするすべての生徒たちに向けて、ときには人間ではないものたちにも開かれている。日々、少しずつメンバーを入れ替えながらも、必要なときにいつもそこにあるもの。旅の途中に疲れた羽を休めるための、止まり木のような連作短編集だ。


 『保健室のアン・ウニョン先生』は、これまでも精力的に韓国の文学を翻訳、出版してきた亜紀書房の、新しい文学シリーズの1作目である。「チョン・セランの本」と、作家自身の名が冠されたこのシリーズは6月末に『屋上で会いましょう』(すんみ訳)、2021年1月に『地球でハナだけ』(すんみ訳)の出版が予定されている。


 悪いものたちと対峙するためにウニョンがおもちゃの銃と剣を手にしたように、チョン・セランの生み出す物語を選びとっていきたい。遠くにあるかすかな可能性を、私もまた信じたいのだ。


(文=岩渕宏美)


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