「自分たちのサッカー」を披露。彼らは「史上最強」の日本代表になった

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2020年06月06日 06:32  webスポルティーバ

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サッカー日本代表・心を揺さぶられたベストゲーム
第6回:
2011年8月10日 キリンチャレンジカップ2011
日本3−0韓国

見る者の想いを背負い、世界トップクラスを目指して走りつづけてきたサッカー日本代表。その長い戦いのなかで、歴史を大きく動かした名勝負がある。このシリーズでは、各筆者がそれぞれの時代のベストゲームを紹介していく。

◆ ◆ ◆

 あなたの考える日本代表のベストゲームは?

 実に簡単な質問だ。言うまでもない。まだ記憶に新しい2018年ワールドカップ・ロシア大会、決勝トーナメント1回戦のベルギー戦である。

 結果的に2−3と敗れはしたものの、優勝候補の一角と目されたベルギーを相手に一時は2点のリードを奪った。最後は地力の差を思い知らされることにはなったが、気持ちのいい負けっぷりだった。少なくともワールドカップに限れば、あれほど見ていて楽しかった日本代表の試合はない。

 しかしながら、負けたら終わりの真剣勝負は、見ているときの気持ちの入り方も違う。つまり、純粋な試合内容以上に、どうしても印象に残りやすくなる。ワールドカップのような最高の舞台、しかも直近の大会ともなれば、なおさらのことだ。

 そこで、対象をアジアカップなどの他の大会や、親善試合にまで広げて記憶をさかのぼり、できるだけフラットに試合の内容や展開を思い返してみる。

 すると、ひとつの試合にたどり着いた。

 2011年8月に札幌ドームで行なわれた韓国戦。親善試合とはいえ、過去に何度も煮え湯を飲まされてきた宿敵を3−0で叩きのめした一戦である。

 当時の状況を簡単におさらいしておこう。

 2010年のワールドカップ・南アフリカ大会が終わり、新たにアルベルト・ザッケローニ監督が就任した日本代表は、初陣でいきなり強豪アルゼンチンに勝利。翌2011年1月には、カタールで開かれたアジアカップで優勝を果たしている。

 ところが、同年3月に東日本を襲った未曾有の大震災が発生。Jリーグが中断を余儀なくされるなか、日本代表も7月のコパ・アメリカを出場辞退せざるを得なくなった。

 9月にはワールドカップ予選(アジア3次予選)が始まるというのに、震災後に日本代表が行なった試合は、チャリティーマッチを除けば、6月のキリンカップ(ペルー、チェコと対戦し、いずれも0−0)のみ。ザックの十八番であった3−4−3に初挑戦した2試合は、試行錯誤の連続でスッキリしない内容に終わっていた。

 そして迎えたのが、この韓国戦である。

 この試合、再び4−2−3−1に戻した日本は、「相手の脅威になるパス回しができた」とDF今野泰幸が話していたように、CBの今野とDF吉田麻也から効果的な縦パスが、中盤、あるいは前線へと次々に打ち込まれ、日本はチャンスを作り出した。

 劣勢に立たされた韓国は、前半10分を過ぎたあたりから試合の流れを察知し、明らかなカウンター狙いに転じたが、それでも日本は、韓国守備網の切れ目を見逃さず、有効な縦パスを何本も通した。

 単に、ボール保持率で優勢だった、というのではない。縦パスを打ち込んで中央突破。そこで相手が食いついてくれば、サイド攻撃。じれったい横パスは少なく、ボールは気持ちよく韓国ゴールへ向かって進んでいった。

 先制点が生まれたのは35分。FW李忠成の絶妙な落としをMF香川真司が冷静にゴールへ流し込んだものだったが、試合の流れを考えれば、遅すぎるくらいの得点だった。

 過去の日韓戦を振り返れば、前半はおとなしかった韓国がハーフタイムを境に目を覚ます。そんな展開も珍しくはない。だが、この試合は違った。

 後半、さらにギアアップした日本は韓国ゴールに襲い掛かり、52、54分に追加点。1トップの李が深さを作り、その1列下で香川やMF本田圭佑がボールを受けて前を向く。そんな縦のコンビネーションも抜群だった。

「自分たちのサッカーはこれだ、というのを見せられた」(FW岡崎慎司)

「韓国よりも、チームとして戦えた。個の能力でも上回っていたし、周りも使うことができていた」(MF長谷部誠)

 ザックは就任以来、3−4−3、4−2−3−1とシステムこそ使い分けながらも、攻撃時は常に縦方向へのスピードアップを意識させていた。それが痛快なまでに形となったのが、この韓国戦だった。

 それからおよそ1カ月後に始まった3次予選では、それなりに苦労した日本代表だったが、韓国戦で見られたスタイルを徐々に確立。翌年の最終予選では第1戦でオマーンに3−0、第2戦でヨルダンに6−0と圧勝すると、第3戦ではオーストラリアを、アウェーゲームにもかかわらず圧倒した。不可解な判定でPKを取られ、結果は1−1の引き分けだったが、内容的にはアジアのライバルを寄せつけなかった。

 当時、マンチェスター・ユナイテッド移籍が決まり、一躍時の人となっていた香川も、「勝ち切る強さをもっと求めていかないといけない」と注文をつけつつ、「今日はホント楽しい90分だったし、もちろんタフな相手だったけど、やりがいがあるサッカーもできていたと思う」と話している。

 日本代表がこれだけの強さを身につける引き金となったのが、札幌ドームでの韓国戦だったと言っていいだろう。「史上最強」――。当時の日本代表には、そんな呼び声すらあったほどだ。

 ところが、ザック率いる日本代表は結局、2014年ワールドカップ・ブラジル大会でグループリーグ敗退。しかも、最後のコロンビア戦では1−4の惨敗に終わったことで、逆に”史上最強と持ち上げられていた”ことを揶揄されてしまう。選手たちがよく口にしていた「自分たちのサッカー」という言葉も勝手にひとり歩きし、批判の的にさえなった。

 とはいえ、2011年夏から2012年夏あたりにかけての日本代表には、確かに「自分たちのサッカー」があり、「史上最強」にふさわしい力があった。中心選手個々の成長のタイミングもうまく重なり、当時の日本代表はワクワクするほど強かった。

 ただ、ワールドカップを最終目標とするにしては、チームとしてひとつの完成形に至るのが少しばかり早すぎた。それゆえ、日本代表は強い自分たちに飽き足らなくなり、さらに上を目指そうとした。だが、その結果、迷走状態に入ってしまった感は否めない。

 強かったはずの日本代表が、強かったからこそ、下降曲線を描いてしまったことは、あまりに皮肉な結末だった。

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