歴史から抹消された暴動、ヒーローがマスクをする理由 『ウォッチメン』が照射する「現在」

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2020年06月07日 12:01  リアルサウンド

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 HBOのテレビシリーズ『ウォッチメン』を観る上で、ザック・スナイダー監督による2009年の映画『ウォッチメン』は物語の基本設定やキャラクターの名称の原典を参照する上で少なからず助けにはなるものの、必ずしも「絶対に観ておかなくてはいけない作品」ではない。1986年にアラン・ムーアが発表したグラフィックノベル『ウォッチメン』は、ケネディ暗殺、ベトナム戦争、アポロ11号月面着陸、ウォーターゲート事件をはじめとする主に60年代から70年代にかけてアメリカで起こった史実に、ウォッチメンと呼ばれるスーパーヒーローたちが関与してきた並行世界において、80年代当時その緊張のピークにあった東西冷戦にいかに彼らがコミットするかを描いた作品だった。2009年に公開された映画は、その原作の大筋をなぞった作品であり、映画の公開時点で20年以上前となる「過去のアメリカ」が舞台だった。


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 対して、2019年に製作されたテレビシリーズ『ウォッチメン』の舞台は、原作や映画の舞台から30年以上の年月が経った「現代のアメリカ」だ。「原作の映画化」というお題目において同時代性という点では完全に閉じた作品となっていた映画『ウォッチマン』と違って、テレビシリーズ『ウォッチメン』は膨大なレファレンスとコンテクストが張り巡らされた並行世界を描くことで同時代の社会を照射するというその手法において、原作のグラフィックノベル『ウォッチメン』におけるアラン・ムーアの批判精神を正統に引き継いだ作品であると言っていいだろう。


 そんなテレビシリーズ『ウォッチメン』の主要舞台がアメリカ南中部のオクラホマ州タルサで、物語の発端として、今から99年前の1921年5月31日に起こったタルサ暴動が描かれていることの意味は極めて重要だ。南部奴隷とその子孫のルーツを持つ黒人たちが他の地域から移住してきて、自分たちのための食料品店、衣料品店、理髪店などを自らが経営する大きなコミュニティを形成し、ブラックウォール・ストリートと呼ばれるほどの繁栄をしていたタルサのグリーンウッド地区。タルサ暴動は、そんな「自立した黒人たち」に反感を持つ、KKKを中心とする一部の白人たちによって引き起こされた。


 驚かされるのは、翌日の午後まで続いたその暴動によって300人以上が命を落とし、1200棟以上の家屋、21の教会、21軒のレストラン、二つの映画館、30軒の食料品店、病院、銀行、郵便局、図書館、学校、法律事務所などが全焼、破壊、略奪されたこのタルサ暴動が、当時の行政や報道の記録から抹消されていて、歴史の教科書などに載ったことがなかったのはもちろんのこと、その被害の当事者であったアメリカの黒人社会の間でもほとんど知られていなかったことだ。オクラホマ州議会による調査が始まったのが1996年、正式な報告書が公表されたのは、実に暴動から80年後の2001年だった。つまり、グラフィックノベル(及びその映画版)『ウォッチメン』では我々が住むこの世界の並行世界が描かれていたわけだが、テレビシリーズ『ウォッチメン』の舞台はその延長上の並行世界であるだけではなく、まるで「並行世界の出来事」かのように80年間にもわたってアメリカ史において封印されてきた「現実の出来事」が深く関わった、もう一つの並行世界となっている。


 全9エピソード、一瞬もテンションが途切れることなく次から次へと謎が提示され、折り返しとなるエピソード5以降はその謎を猛スピードで回収しながらも、まったく予測不可能なさらなる展開の果てに見事な着地をみせるテレビシリーズ『ウォッチメン』。特に終盤のエピソード6、エピソード7、エピソード8は、それぞれが1本の優れた長編映画に比するような大きなテーマと鮮やかな語り口に圧倒されるしかないのだが、中でもエピソード6「この尋常ならざる存在」は、我々が慣れ親しんできた「スーパーヒーロー作品」そのものを再定義してしまう、トラウマ級の傑作エピソードとして視聴者の記憶に永遠に残るだろう。


 テレビシリーズ『ウォッチメン』の主人公がレジーナ・キング演じるアンジェラ・エイバー/シスター・ナイトであることは間違いないが、そのシスター・ナイトを含め、そもそも本作ではシリーズを通じてスーパーヒーローがスーパーヒーローらしいアクションで敵と戦うようなシーンはほとんどない。そうしたスーパーヒーローという存在そのものへの批評的視点はアラン・ムーアの原作を引き継いだものだが、アンジェラが薬物の作用によって「過去のある人物」の体験を身をもって再体験することになるエピソード6「この尋常ならざる存在」では、「スーパーヒーローがマスクをする理由」としてこれまで我々がずっと信じ込んできた「自分の正体を隠すため」という理由の向こう側にある、もう一つの真実にまで踏み込んでいく。


 日本よりも熾烈なパンデミックの渦中にあるアメリカにおいても、多くの黒人市民はマスクをすることに躊躇している(顔を隠していると白人の警察や店主に疑われる恐れがあるため)という報道(参考:米CDBのマスク着用勧告、非白人からは抵抗感も|CNN.co.jp)がされてきた一方で、ジョージ・フロイド氏死亡事件に端を発する大規模デモに紛れ込んで、全身黒ずくめの黒いマスクをした白人たちが世界各地で暗躍している、まるでフィクションの世界に紛れ込んでしまったような2020年の初夏。突出したアート作品は時に「現在」を激しく照射する。テレビシリーズ『ウォッチメン』が描いているのは、もはやただの並行世界ではない。


(宇野維正)


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