2008年セブリング12時間、LMP2ポルシェの下克上にスポーツカーレースの“真の黄金時代”を見た【日本のレース通サム・コリンズの忘れられない1戦】

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2020年06月08日 17:11  AUTOSPORT web

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2008年セブリング12時間を制したペンスキーレーシングのポルシェRSスパイダー
スーパーGTを戦うJAF-GT見たさに来日してしまうほどのレース好きで数多くのレースを取材しているイギリス人モータースポーツジャーナリストのサム・コリンズが、その取材活動のなかで記憶に残ったレースを当時の思い出とともに振り返ります。

 今回も2008年のALMSアメリカン・ル・マン・シリーズ開幕戦として開催されたセブリング12時間レースについて。コリンズは2008年はスポーツカーレースの真の黄金時代だったと当時をふり返ります。

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 レースウイークが進み、右に1回だけ曲がるだけで、あとは真っ直ぐな道を進むだけのホテルとサーキットの行き帰りがますます退屈になっていった一方で、セブリング12時間初挑戦だったプジョーが常連のアウディ勢と同等の速さを秘めていることが分かってきた。12時間の決勝は接戦になると予想された。

 そして私は当時依頼されていた解説セッションのなかで、レースの勝者を予想するように頼まれたので「確信は持てないが“P”で始まる名前のマシンが衝撃をもたらすかもしれない」と話した。おそらく誰もがプジョーのことを指していると考えただろうが、それは間違いだ。私はペンスキーが持ち込んでいた2台のポルシェRSスパイダーのことを言っていたのだ。

 ペンスキーが持ち込んだポルシェRSスパイダーは、理論的にはLMP1より遅いLMP2仕様で作られていたが、それでもLMP1に匹敵するほど速かった。2007年のアメリカン・ル・マン・シリーズで、この2台のポルシェはアウディ勢とスリリングな戦いを繰り広げ、より大型のエンジンを積むマシンをテクニカルなコースでたびたび負かしていたのだ。

 ポルシェとアキュラのLMP2勢は低速コーナーではディーゼルエンジンを積むマシンよりも速く、加速も鋭かった。特にストリートサーキットの高速コーナーではLMP2勢にアドバンテージがあったが、セブリングのようなコースではLMP1ディーゼル勢のほうが速かった。アウディ勢はトップスピードがさらに速く、ミッドレンジでのトルクがはるかに優れていたのだ。

 セブリングはメディアパスを持っていれば、クラッシュバリアのすぐ裏を通ってコースをほぼ歩いて1周できる。そのため、マシンが異なるコーナーでどのような挙動を見せるのか、はっきりと目視することができた。

 ターン1は非常にバンピーだが、ロングストレートの端に来れば速くなる。ポルシェ勢がコーナーのエイペックスを通過する際にどれだけのスピードを出すかが注目すべきポイントだった。

 なかでも、もっとも際立っていたのは、アキュラを駆るマルコ・アンドレッティで、非常に速かった。当時、アンドレッティにはF1シートを掴むチャンスもあるのではという噂があったのだが、あのパフォーマンスを見る限り、その噂はまったくのでたらめとは思えなかった。

 予選中、私はターン1から少し先の場所まで徒歩で移動していると、ローラ・カーズで働いている友人から次のようなショートメッセージを受け取った。「デブリンから目を離すな。彼は飛んでいくぞ」と。

 デブリンとは、ローラのLMP2マシン(B-Kモータースポーツが走らせた8号車ローラB07/46・マツダ)をドライブしていたイギリス人ドライバーのベン・デブリンのこと。つまり、デブリンが飛ぶような速さで駆け抜けるだろうということだ。

 だから、私はマーシャルポストがあるヘアピンターン内側に移動して、セッションを見守ることにしたのだが、ここでちょっとしたアクシデントに見舞われた。突然、私は左手に焼けるような痛みを感じたのだ。驚いて左手を見るとヒアリに噛まれていた。

 アメリカ南部のフロリダ州という、私にとっては奇妙な異国で毒を持つ生物に噛まれてしまったことでかなり慌てた。マーシャルポストにいたオフィシャルは、イギリス人がヒアリに噛まれて慌てている様子を面白いと思ったようだったが、痛みはするものの命に関わるような危険はないと説明してくれた。

 こうして私は痛む手を抱えながらマシンがコーナーを通過していく様子を眺めることになった。この予選でLMP2マシンは格上のLMP1マシンよりも明らかに速かった。そしてデブリンもアウトラップで私の前を通過していったのだが、それから1分少々が経過してから赤旗が出された。

 なぜ赤旗が出されたのかが分からなかった私は、歩いてメディアセンターまで戻ることにした。そしてターン1に差し掛かったところで、その理由を目の当たりにした。ターン1にいたオフィシャルたちが、そこら中に散らばったローラのボディワーク片を拾い集めていたのだ。

 視線を移すと、バリア上部のキャッチフェンスもめちゃくちゃになっていた。デブリンが激しくクラッシュしたのだ。後に、彼のマシンが浮き上がり、反転してバリアに衝突したことを知った。マシンは完全に破壊されていたが、幸いにもデブリンは無事だった。

 ショートメッセージを寄越した友人が、プレスルームで私を見つけた途端「彼は飛ぶと言っただろう」と言ってきたのを覚えている。

 このデブリンのクラッシュによって予選は中止。時間ができた私は、コースにある“グリーンパーク”エリアを探索することにした。そこは広いパーティエリアでアルコールを楽しめる。そしてお酒を飲んでいるときはナイスアイデアだと思うようなことをして時間を過ごす場所として知られていた。

 私は30分ほどで“グリーンパーク”に到着して、イギリス人カメラマンとビールを飲んだ。すると、牛の格好をした女性がやってきて、私に“乳搾り”をして欲しいと頼んできた。私は丁重にその申し出を断り、その場を離れた。私にとってセブリングの“グリーンパーク”は、あまりにも非現実すぎる場所だったのだ……。

■LMP2マシンによる下克上が実現した決勝


 迎えた決勝日、セブリングはいつものように晴天に恵まれたが、レースの行方は予想のつかないままだった。スタート直後、プジョー908 HDi FAPは首位を奪い、これにR10 TDIのアウディ勢とアキュラ、ポルシェのLMP2勢が続いた。

 レース序盤でアウディの1台が軽いダメージを負い、LMP2マシンの後方に順位を落とした。一方でペンスキーが走らせるポルシェの1台はオイル漏れでリタイアした。レーススタートから3時間が経ったところで、プジョーにトランスミッションの油圧システムトラブルがあり、修理のために多くの時間をロスした。

 この様子を私は解説ブースから見ていた。当時はテキーラの会社があるチームのスポンサーになっており、パドックには広いカクテルバーがあった。そして、そのバーで働く女性たちが、私たちのために氷入りのカクテルをジョッキで解説ブースに運んできてくれた。アルコール度数の高いカクテルだったが、決勝日は暑さが厳しい1日で、とても爽快な気分になったのを覚えている。

 レースに話を戻そう。この時点でプジョーが非常に速いのは明らかだったが、信頼性は十分とは言えなかった。彼らに起きたトラブルは、レースで優勝するチャンスがなくなったことを示していた。

 ピットで多くの時間を過ごしたことで、彼らにとって今回のセブリング12時間は事実上のテストになってしまったのだ。またアウディも、ライバルに対して劣勢なのは明らかだった。

 レース開始から6時間から時間が経ったころ、アウディの1台、2号車アウディR10 TDIにターボチャージャートラブルが出てしまい、修理に多くの時間を費やしたことで、優勝争いから脱落することになった。この間にピットタイミングの関係で、LMP2を戦うペンスキー・ポルシェが暫定トップに浮上する。

 その数時間後、もう1台のアウディ、1号車がフロントブレーキにトラブルを抱えてしまった。これで数周を犠牲にし、優勝するチャンスを逃したものと思われた。そして、このトラブルと時を同じくして、私が心を奪われたフォードGT-R Mk.VIIがクラッシュし、リタイアを余儀なくされた。

 セブリングに夜の帳が下りるころ、一度は勝負権を失ったと思われた1号車アウディが首位を走るペンスキーの7号車ポルシェRSスパイダーを捉えかけた。ラップペースで計算すると、アウディはわずか10秒差で逆転優勝するはずだった。

 レース終盤の激闘が期待される展開だったが、アウディはスピードではるかに勝るマシンを持っていたにもかかわらず、ピットストップのサイクルが噛み合わなかったため、ポルシェが20年ぶりにセブリング12時間で総合優勝を奪った。しかも、これほど競争の激しいレースでトップを走るように作られていないLMP2マシンでだ。

 チェッカー後、私は暗闇のなかにある優勝車をプレスルームから見下ろした。そのマシンは素晴らしく見えた。12時間を戦い抜いたことで汚れていたし、傷も負っていたが、人々の予想を裏切る結果を出したのだ。このとき、今がスポーツカーレースにおける真の黄金時代なのだと気付かされた。

 2位に同じくLMP2クラスの15号車アキュラARX-01Bが入っていたことも、私の思いを強くする要素だったのだが、その後のニュースには落胆させられた。レース後、15号車アキュラのリストリクターを迂回するエアボックスにヒビが見つかり、失格処分を受けたのだ。

 サーキットからホテルへ向かう単調で退屈な55マイル(約89キロ)の道のりも、最終日に限ってはいつもとは違った。私はもちろん、行動をともにしていた3人のカメラマンも含めた全員が話をしたくてたまらなかったのだ。

 ホテルに着いたのは1時近くで、当然バーは閉まっていた。そこで私たちはホテルのプールへ行き、取材初日にウォルマートで仕入れておいたビールを飲みながらレースの話題で盛り上がった。

 すると、警官が我々のもとを訪れ、夜中に屋外での飲酒を禁じている法律に違反していると警告してきたのだが、一緒に酒を飲んでいたオランダ人カメラマンのひとり(その時点で少しアルコールが回っていた)が立ち上がり、強い訛りのある英語でこう言い返したのを覚えている。

「それはおかしいよ。僕たちはヨーロッパ人だからいいんだよ!」

 驚いたことに、警官はこの酔っ払いの主張を受け入れたのか、そのまま立ち去ってしまった。あれ以来、なにか奇妙なことが起きて、その場にあのオランダ人カメラマンがいると、私たちは下手なモノマネをしながら、こう言うのだ。「僕たちはヨーロッパ人だからいいんだよ!」と。

 2008年セブリング12時間で行動をともにしていた私たち4人にとって、これは当時を象徴するキャッチフレーズであり、あのレースがコース内外の両方で素晴らしいものだったことを思い出させる魔法の言葉でもある。

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サム・コリンズ(Sam Collins)
F1のほかWEC世界耐久選手権、GTカーレース、学生フォーミュラなど、幅広いジャンルをカバーするイギリス出身のモータースポーツジャーナリスト。スーパーGTや全日本スーパーフォーミュラ選手権の情報にも精通しており、英語圏向け放送の解説を務めることも。近年はジャーナリストを務めるかたわら、政界にも進出している。

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