医者になるための中学受験で挫折! 大学受験“全滅”、専門学校へ進んだ「開業医の息子」の反抗

6

2020年06月14日 19:02  サイゾーウーマン

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

サイゾーウーマン

 “親子の受験”といわれる中学受験。思春期に差し掛かった子どもと親が二人三脚で挑む受験は、さまざまなすったもんだもあり、一筋縄ではいかないらしい。中学受験から見えてくる親子関係を、『偏差値30からの中学受験シリーズ』(学研)などの著書で知られ、長年中学受験を取材し続けてきた鳥居りんこ氏がつづる。

 どの親も、我が子には幸せになってほしいし、我が子の自立を願っていると思うが、もしかしたら、我が子に中学受験を経験させようという親の中には、その思いが強すぎる人もいるように感じる。

 そういった親は、例えば、前年度の東大合格実績を参考にして、子どもの受験校を決めるといった行動に出やすい。我が子の大学進学は当然のことと捉え、少しでも世間で名が通っている大学に行かせるほうが、子どもの人生に有利に働くという計算が成り立つからだと思われる。このように、中学校選びの基準が、難関大学への合格実績に左右されていることはまぎれもない事実なのだ。

 一方で、就職までを考えて、我が子に中学受験をさせる親は少ない。これは、有名大学のパスポートを手にさえすれば、我が子の望む道に近づくだろうという胸算用があるからで、就職先は子どもが自分が選ぶもの、もっと言うと、大学卒業後の道は子ども自身が切り拓くものだという意識があるのだろう。逆に言えば、親の仕事は「大学受験まで」と捉えている人たちが多いのだ。

 ただし、例外の職業がある。それは医者だ。我が子を医者にさせたいと親が願っている場合、大学卒業後も見据えて、「医学部に強い中高一貫校」を選択するケースはとても多い。もちろん、子どもが12歳の時に描く「将来の夢」と18歳の時に描く「将来の夢」は違って当たり前だが、こういう親はとりあえず我が子を「医者のレール」に乗せておこうとするのだ。

 斗真君(仮名)の場合もそうだった。斗真君の家は、東北地方で祖父の代から開業医を営んでいる家庭。斗真君は長男であったため、幼い頃より、親族全員から「大きくなったらお医者さん」という期待を背負って成長した。

 やがて、中学受験を考える年齢に差し掛かると、当然のように週4日、家庭教師が来る生活になり、志望校も父親が決めたという。すなわち、全国の中でも医学部に強いと定評のある中高一貫校順に、志望校のラインナップを組んでいたのだ。

 斗真君は、その中にあった東京の私立中高一貫校に入学したが、自宅からは通えないため、母親と一緒に上京し、学校近くの賃貸マンションに暮らし始めた。つまり、父親とは別居という、逆単身赴任のような状態で通学するようになったのだ。

 それなりに学校生活は楽しかったらしいが、難関校の厳しさとも言うべきか、やがて斗真君いわく「落ちこぼれ」になってしまったそうだ。その学校では、落ちこぼれた者への救済措置として、補講が行われているものの、放課後に実施されるため、楽しみにしていた部活には、事実上行けなくなってしまったらしい。

 さらに、焦った母親によって、またしても家庭教師が付けられ、斗真君の生活はほとんどが「勉強時間」になったという。

 やがて、高1の秋を迎え、文理選択をすることになった。当然、斗真君の親は「理系」を推すのだが、肝心の斗真君は「文系」にしたいと言い出したため、親子の間に亀裂が入ったのだ。

 「数学が苦手なので、理系は嫌だ!」という斗真君と、「何がなんでも医者に!」という父親との言い争いは、文理選択〆切日を大幅に過ぎても終わらなかったそうだ。すると、父親は最終手段として、斗真君に「理系を選ばなければ、生活費と授業料を止める。お前は中卒として生きていくんだな」と告げたらしい。

 そこで、やむなく斗真君は理系選択をしたという。

 そして、2年が過ぎ、大学受験が行われた。多くのクラスメイトが順調に医学部合格を果たす中、斗真君は全滅。医学部どころか、受験校全てが不合格になってしまったそうだ。

 斗真君の父親は「医学部は3浪くらいまでなら、ゴロゴロいる! 斗真ももう1年、頑張れば絶対に医学部に行ける!」と言ったらしい。

 今度は医学部受験に強いという予備校に入るのだが、母親が祖父の介護で実家に帰ってしまったこともあり、結局、その予備校にはほとんど通わなかったそうだ。

 そして、また受験シーズンがやって来たが、斗真君はどこの大学も受けなかったという。激怒する父親とは顔を合わせたくはなかったらしいが、祖父が「顔を見せてくれ」と言ってきたため、久しぶりに帰省したそうだ。

 その際、祖父が「斗真、そう言えば、お前は小さい時から、何になりたいとかいう夢を言ったことがなかったな……。言ったことがないのではなく、じいちゃんたちが言わせなかったんだな。悪かったな……。斗真、お前は何になりたいんだ?」と語りかけてくれたので、斗真君は「料理人になりたい」と生まれて初めて、自分の夢を口にしたという。

 父親とは、そのまま疎遠になってしまったそうだが、祖父母の援助で、斗真君は料理の専門学校を卒業。尊敬する料理長がいる洋食屋さんで修行の日々を送っている。

 先日、斗真君は体が弱ってしまった祖父のためにコンソメスープを作って、病院に持って行ったらしいが、祖父母がとても喜んでくれたという。

 斗真君は当時のことを次のように振り返る。

「もし、あの時、おじいちゃんが『何になりたいのか?』と聞いてくれなかったら、僕は今頃、引きこもりになっていたかもしれません。どうせ、何を言っても、この家では通用しないって思っていたんですよ。でも、今になってみれば、自分が勝手にそう思い込んで、殻に閉じこもって反抗してただけかもしれません」

 そばにいた斗真君のお母さんがこんな話を教えてくれた。

「あのポットに入ったコンソメスープね、実はお父さんにも飲ませたの。そしたら、お父さん、『意外とうまいな』ですって。よかったわね、斗真」

 斗真君の戸惑ったような、はにかんだような笑顔が印象的だった。

このニュースに関するつぶやき

  • 三代目が身上を潰すと,昔から言います。世襲の多い医者や政治家は特に注意。本人の適性に合った職業選択の自由を,自他共に認めることが大事。
    • イイネ!1
    • コメント 0件

つぶやき一覧へ(3件)

前日のランキングへ

ニュース設定