『君は月夜に光り輝く』著者・佐野徹夜が語る、純文学と娯楽大作のあわい 「今の自分に戸惑っている」

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2020年06月21日 10:01  リアルサウンド

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 映画化もされた小説『君は月夜に光り輝く』の著者・佐野徹夜の最新刊『さよなら世界の終わり』が新潮文庫nexから発売された。死にかけると未来が見える主人公が、死にかけると幽霊が見える少女、死にかけると他人が洗脳できる少年とともに、くそったれな現実をなんとか生きていく様を描いた、ずっしり来る小説だ。


 本作は最新刊ながら、これまで発表された作品のなかでもっとも古い、デビュー以前の投稿作品(はじめて書き上げた作品)を改稿したものだという。『君月』の印象から「泣ける恋愛小説」の書き手とみなされやすい佐野徹夜に、その原点たる本作に込めたものを訊いた。(飯田一史)


■「これでライトノベルの賞が獲れる」と信じていた


――8年前に書いたバージョンと今回世に出たものでは大きく違うのでしょうか?


佐野:最初書いたときは、自分が好きなちょっと変わったライトノベルの文脈――講談社の『ファウスト』に参加していた西尾維新さん、佐藤友哉さん、舞城王太郎さん、滝本竜彦さん、乙一さん、上遠野浩平さん――を意識して書いていました。ただ、その後、実際に僕がデビューしたのは一般文芸とライトノベルのあいだとも言われる「ライト文芸」という文脈です。新潮文庫nexさんのカラーも踏まえつつ、そこにニュアンスを少し寄せていったところはあります。


――ライト文芸というカテゴリーの作品だと意識して書いている?


佐野:実はデビューするまでは全然知りませんでした。全く不勉強で、僕がデビューしたメディアワークス文庫のことも、なんとなく「『ビブリア古書堂の事件手帖』が出版されているレーベル」としてしか知らなくて。ライト文芸の読者には女性が多いことや、各レーベルの特徴などは、後から知りました。デビュー前の僕は「この作品でライトノベルの賞が獲れる」と信じてあちこちに送ったのですが落ちまくり、電撃文庫だけがいいところまで選考が進み、フィードバックを受けられた。その後、別の作品で電撃大賞を受賞しデビューします。作風を一般文芸に近づけていったのはデビュー後2作目からで、徐々に意識して書くようになっていきました。


 レーベルが変わり、これまで書いてきたものと差別化しようと意識したわけではありませんが、今回の改稿ではストーリーがより過激になったかもしれません。死にかけると他人を洗脳できる力を持つ天ヶ瀬は、初期の原稿よりもどんどん人を殺していくようになりました。


――死にかけたら特別な力が使える登場人物たち。ギリギリまで追い込まれたらふんばれる、あるいは、死んだと思えばなんでもできる的なことの象徴かなと思ったのですが。


佐野:最初書いていたときの考えとしては「主人公が首吊ってるシーンから始めよう」と。『新世紀エヴァンゲリオン』の旧劇場版は、シンジくんがある行為をしているところから始まります。ああいう衝撃的でアンモラルなことから始めたかった。それを書いたあとで「こいつは何か理由があって首を吊っていることにしよう」と。ライトノベルだと超能力が使えるキャラクターは当たり前でしたから、そこで能力の設定を考えました。  


――佐野作品では発光病、人のポイントが見える、死にかけると特殊能力が発動する……と、ひとつだけ現実離れしたギミックが入っていることが多いです。


佐野:僕はエンタメが楽しみポイントでないエンタメが好きというか……たとえば『エヴァ』はフックの部分ではロボットアクション萌えアニメの要素がありますが、それだけを楽しむものかというと違う気がして。僕は、純文学やアート作品ではないし、かといって純然たるエンタメでもないものが書きたいんです。そういう作品を書こうとしたとき、僕としては、少しだけ非現実的要素を入れるというバランスが書きやすかったんだと思います。


■売れるものを求められることから逃れられないが、もとはそういう人間ではなかった


――佐野作品では、生きていくのはしんどくて、邪魔してくるものが無数にあるけど、やりたいようにやる、生きたいように生きる、ということに至るまでの話が描かれています。一方、YouTuberをはじめとする現代のインフルエンサーが書いた本を読むとだいたい「批判なんか気にしない。私は私」的なことが書いてあります。毎日動画の再生回数や登録チャンネル数を気にして生きているはずの人たちが「他人に人生を委ねるな。生きたいように生きろ」と言っている。佐野さんはご自身の作品に流れている価値観と、いま活躍しているインフルエンサーの生き方に相通じるものがあると感じますか?


佐野:YouTuberの方がアクセス数を気にされているのかもしれないことに関連して言えば、作家も「売れる」ということ、数字の問題を、まったく意識せずにはいられない。同世代の作家同士で話しても数字を気にしていない人は少ないですね。最低でも採算分岐点は超えないといけないという義務感はあります。昔、ユーリ・ノルシュテインというアートアニメの作家が「ソ連時代は思想的検閲があったが、今は市場の検閲の方が厳しい、と言う作家もいる」とインタビューで答えていたのを覚えているのですが、いまクリエイターとして生きるにはそういった意味の検閲をクリアしないといけない、と感じています。


――でも『アオハル・ポイント』の主題は「ポイント(数字)なんか気にしないで生きる」ということでしたよね? 商業的な制約はまったく気にしないでやっていい、と言われたら何か変わりますか?


佐野:実際に、なんの縛りもないところで書けと言われると、それはそれで悩むことが多くなりそうですね。ただ、それだけがクローズアップされる現状はダルい、とは思います。


■累計50万部を突破した『君は月夜に光り輝く』


――デビュー作『君は月夜に光り輝く』が50万部も売れて映画化もされたとなると、おそらく他の多くの作家よりは数字のハードルは上がりますよね?


佐野:売れたことに対して「プレッシャーですよね」とよく言われるのですが、それは全く感じていません。運が良くて、実力以上に売れさせてもらった、という気持ちです。ただ、売れているときはどうしても方向性を変えたくないという力学が働くのか、出版社からは同じテイストの作品を求められる。売れることを最初に求められる作家になってしまう。でも、もともと僕自身は売れることに憧れがあったわけではなくて、もっとマイナーなもの、アングラなものが好きだったし、「今の自分に戸惑っている」というのが正直なところです。


――今回の『さよなら世界の終わり』についてTwitterで「『君月』が嫌いな人に読んでほしい」的なことを書かれていましたよね。


佐野:読者としての僕は「泣ける恋愛小説」にあまり興味はありませんでした。僕はメジャーな作品に触れても自分の居場所を見つけられない人間だったから、そういう人たちに読まれる小説家になりたかった。でも予期せぬ売れ方をしてしまった。だから本当は『君月』と違う読者層、変なものが好きな若い人にも届いてほしいという気持ちを込めてこの本を出しました。


 ビジネスのことだけ考えると、僕はこのタイミングで文庫書き下ろしではなく単行本を出す作家になっていくのがステップアップの道筋としては正解でした。でも『さよなら世界の終わり』は単行本では出せないかもしれないタイプの作品です。僕はこの作品を、ライトノベルに近い文脈で、今、どうしても出しておきたかった。数字の問題とやりたいことの間で少し悩みましたが、ビジネスとして正解かどうかより、作家として何が大切かを優先したかった。


■自分が影響を受けたような、10代の生きづらさを描いた作品を書きたい


――佐野さんはこれまで10代の登場人物を主人公に作品を書いてきましたが、この年代にフォーカスする理由はありますか?


佐野:僕自身が若いときに変わったタイプの青春小説が好きだったからです。僕は中高時代、人と全然うまく話せずクラスメイトや教師にはいじめられ、学校ではずっと本ばかり読み、家に帰るとインターネットで自分のサイトやブログを更新して朝方眠りにつき、たまにオフ会をして、学校には遅刻していくという普通の青春を謳歌出来ない薄暗いタイプの人間でした。そんなとき、10代の生きづらさを描いた作品に影響を受けたので、自分もそういう作品を書きたいと考えるようになりました。


――佐野作品では、息苦しさから脱出することと恋愛が成就することがパラレルに着地します。たとえば友情や家族が救いになってもいいかもしれないのに、なぜ恋愛なんでしょう。


佐野:友情でも家族が救いになってもいいし、そういう作品を書いていきたいとも思っています。ただ、僕自身が個人的に友情や家族にロマンチックなものを感じることができないから、現状書けていないのかもしれません。


――佐野作品は同性同士の友情が微妙な話が多い印象があります。異性間の友情が成立するしない論争はよく聞きますが、こんなに同性同士の友情がギクシャクする話ばかり書いている人はあまり思いつきません。


佐野:そうですか? ただ、ベタベタした友情は好きではなく、どこか緊張感のある関係性を書きたいとはいつも思っています。でも一方で、僕は本当は「友情はただただ楽しい」という話が書きたいんですけどね。『稻中』のようなダメな奴らの集まりを描いた小説も書きたいんですけど……。


――そうなんですか?(笑)


佐野:ただ、部分的にダメ人間を入れるくらいだとギリギリ編集者に許してもらえるんですが、全面的にダメ人間を出そうとすると、これまではボツにされていたんですよね。


――天ヶ瀬は「自分が死んだあとも世界が終わらないのが嫌だ」と言いますよね。『この世界にiをこめて』の吉野は自分が書いた小説が「百年後に読まれるかにしか興味ない」と言います。ふたりは自分が死んだあとのことを気にしている点で似ています。佐野さんは、今作品が読まれることと、自分が死んだあとも読まれることどちらをより望んでいますか?


佐野:難しいとは思いつつも、死んだあとも読まれるような作品を書きたいという願望はあります。自分の人生が自分だけで終わってしまうのが虚しいという感覚がどこかあって、それが故に小説を書いているところがあるからです。ずっと読み継がれないとしても、自分の作品がミームとして何かしら人に影響を与え、続いていくとしたら、救いになるな、という感覚はあります。


純文学にも娯楽大作にも居場所を見つけられない人たちへ
――次は単行本を書かれるそうですが、さわりだけでも「こんなものになるかもしれない」ということを教えていただけないでしょうか。


佐野:SFというほどではないですが、少し近未来を舞台にテクノロジーに振り回される思春期の少年少女の話を考えています。


――SFも好きですか?


佐野:実は全然詳しくないのですが、ヴォネガットやディック、イーガンやテッドチャン、飛浩隆さん、最近の作品だと小川哲さんの『ゲームの王国』が好きです。話題の『三体』も面白かったです。SFではないかもしれませんが、ウェルベックの『素粒子』やカズオイシグロ『わたしを離さないで』のような作品も好きです。


――以前、河出書房新社の文芸誌『文藝』に短編を書いていましたが、純文学的な作品も書きたいという気持ちはありますか?


佐野:書きたいですね。でも今は実力が追いついていないので、もっと勉強しないと、という気持ちが強いです。ただ、チャンスがあればやりたいと常に思っています。


 このままだと売上の多寡だけで評価される作家になってしまうという恐怖があり、それはすごくしんどい。何かの賞にノミネートされるとか……数字以外の評価もされるところに行きたいですね。


――参照されるトラックレコードが数字しかないと息苦しい、定性的な評価もしてほしい、という気持ちは非常によくわかります。loundrawさん主宰のアニメスタジオFLAT STUDIO所属になって、執筆環境は変わりましたか?


佐野:物理的な執筆環境は変化なく、今まで通り、僕は自宅で一人、地味に原稿を書いています。ただ、小説以外の作品に取り組んでいるなど、仕事の幅は広がり、刺激を受けています。今、FLAT STUDIOでやっていることが作品として世に出るのは何年か後だと思いますが、楽しんでいただけるものを作るべく、がんばっています。


――最後に『さよなら世界の終わり』未読の方に向けてひとことお願いします。


佐野:よく「純文学」と「エンターテインメント」という分け方がされますが、個人的には「エンターテインメント」という言葉は娯楽感があまりにも強くて、しっくりきません。僕はそこまで「エンターテインメント」だと思って小説を書いていないし、受け手としても娯楽色の強い作品は楽しめなかった。でも一方で15歳の時の僕は、ある種の純文学を読んでも理解できなかった。教養がなかったからです。『さよなら世界の終わり』は、そんなふうに純然たる芸術にも娯楽にも居場所を見つけられずに生きづらさを抱えている15歳の人に向けて書いた作品です。だから、そういう人に読んでもらえたら嬉しいです。


(取材・文=飯田一史)


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