すべての生命はデジタル情報で制御されている? いのちの秘密を探る“デジオーム”とは

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2020年07月02日 08:01  リアルサウンド

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『生命はデジタルでできているー情報から見た新しい生命像ー』 田口善弘 著

 自然や科学を啓蒙する名門ブルーバックスとはいえ、形態としては新書なのでタイトルは重要。なので、読者が「ん?」と手に取りたくなるような思い切った書名を付けているはずなのだが、「生命」と「デジタル」という意味をちゃんと理解していないと「へー、生命は、デジタルで出来てるんですか」で終わってしまうかもしれない。


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■誕生した瞬間から生命はデジタル情報処理系を獲得


 ここでいう「生命」とは、我々人間を含む“いのち”そのもの。そして「デジタル」とは0と1の二進法で数値化された機械的な処理法則ということだとすると、本書『生命はデジタルでできている』はタイトルの時点で「機械とは対極的にとらえられている生命体の仕組みが、デジタル的なシステムで制御されているんですよ!」と言い切っているのである。それはどういうことだ! と、慌てて手にとっていただきたい。


 本書は、生命の根源をなすゲノム科学に対する最新の知見や、ようやくわかってきたこと、そして研究者たちが、どのような方法でその仕組みを解明しようとしているのか、ということを解説してくれる一冊だ。


 著者の田口善弘氏は中央大学理工学部の教授で、機械学習などを応用したバイオインフォマティクスの研究者だという。バイオインフォマティクスとは「生命科学と情報科学の融合分野のひとつ」ということで、まさに生命とデジタル的な考え方をどちらも深く理解している方なのだろう。


 その筆致は意外にも軽やかで、専門用語が飛び交うなかで、その仕組みや考え方を身近なデジタル機器や映画作品などに例えて表現してくれる。そして、研究が進むことによって新たな知見を獲得していくカタルシスを、理知的ながらも少し興奮気味に解説してくれたりするので臨場感があるのだ。


 本書は専門的な分野も多く、とっつきにくさもあるが、基本的なDNAの知識さえ理解していれば、そんなにむずかしくない。まずは冒頭で「セントラルドグマ」と呼ばれるDNAに関する基本的なルールが説明される。


“DNAはデオキシリボ核酸の省略系であり、デオキシリボース(五炭糖)とリン酸、塩基から構成される核酸である。塩基はプリン塩基であるアデニン(A)、グアニン(G)、ピリミジン塩基であるシトシン(C)とチミン(T)の四種類しかない。驚いたことにこのDNAはなんと、一部のウイルスを覗き、すべての生物に共通である。(P14)”


いきなり専門用語が頻出で追いつかなくなりそうだが、これは高校でも習うことだ。DNAは、いわば生命の設計図といえる情報が詰まっているということだけ知ってればなんとかなる。


“この設計図を生物はどのようにして読んで実際に生物という実態を作っているか、という原理がセントラルドグマである。(P16)”


 このセントラルドグマに基づき、DNAの一部分がRNAにコピーされ、RNAが生命を形作るタンパクを生み出す。この設計図から情報をコピーする時から、その選択・結合、エラーチェックまでが、限られた塩基の「ある/なし」で制御されていることを「デジタル情報処理系」と表現し、このようにゲノムを捉える考え方を田口教授は本書で「DIGIOME(デジオーム)」と呼んでいる。


 人間がデジタル機器を手軽に扱うようになったのは、ここ百年にも満たない。しかし、そのはるか昔、“いのち”が誕生した瞬間から生命はデジタル情報処理系を獲得していたというのだ。


 本書は、この「デジオーム」という考え方を元に、さまざな最先端の研究を解説していく。


 個人的に興味深かったのは、同じように情報をデジタル的に処理していても、我々が扱う「デジタル機器」と「生命体」は、そのシステムが大きく異なっているということだ。


“間違いがなくきっちり動くが些細なミスに弱いシステムは英語でフラジャイルと呼ばれている。あえて日本語で訳すなら、脆弱というところだろうが、フラジャイルはただ弱いだけでなく、ちゃんと動けば完璧という意味も込められている。(P47)”


 クルマからコンピュータまで、機械は基本的にフラジャイルなシステムなので、パーツがひとつでも欠けたら動かない。しかし、生命は違う。


“数百から数千のアミノ酸でできているタンパクはアミノ酸が一個置き換わったくらいで機能停止するのは稀だ。ゲノム・デジタル情報処理系が採用しているのはあくまで化学反応なので、一文字間違ったくらいでシステムが止まったりはしない。こういう多少のミスには耐えるシステムをロバストと呼んでいる。(P48)”


 生物はなにかミスがあって全体が停止してしまうとまさに死活問題なので、ひとつがダメでも他のなにかでフォローする性質があるという。要するに、我々の体内には、デジタル処理するけどロバストなシステムが内蔵されているということだ。


 このように「デジオーム」という考え方を用いることで、生命科学だけでなく遺伝子工学からガン治療まで新たな捉え方ができるようになる。新型コロナウイルス禍で、否応なく身近なキーワードとなった「免疫」についても、DNAやRNAがどのような作用をしてシステムを運用しているのか、デジオーム的な考え方で解説される。


 ただし、その研究対象は膨大で、最新技術やスーパーコンピュータを用いてもなかなか解明されないという。ヒトゲノム計画完遂により人間のDNAの塩基配列はすべて解析されたが、配列が明らかになっただけで、その大部分は何を意味しているのかわかっていない。


 これは、映画で例えると、最後に流れるクレジットだけ分かっているということのようだ。そのクレジットに登場する名前が、映画のどの部分を担当して、何の役に立っているのか、ということをひとつひとつ検証・確定するのは、途方も無い作業だ。あるシーンが成り立っているのは、主演のAさんの演技によると思いがちだが、実際には脚本のBさんや照明のCさんのおかげかもしれない。それにCさんは照明としてクレジットされてるけど、そのシーンの撮影時はたまたま休みだったかもしれない。


 そんな途方もない組み合わせや意味を、わずかな痕跡から推測したり、裏返したり、逆から辿ったりして測定し、意味づけていくということが世界中で研究されているのである。要するに「生命はデジタルできている」という所までの解釈は可能だが、その回路がどうやって動いているのかはまるでわかっていない、ということのようだ。


 わかっていないということは、これは一種のミステリーだ。だからこそ、その解明の筋道はドラマティックである。本書は、その解説対象をさらに深め、マイクロRNAや新種のRNAの発見、生成されるタンパクの新たな捉え方、その代謝物(メタボローム)、それらを統合的に解釈する「マルチオミックス解析」にまで触れていく。


 こうした知見は最先端ではあるが、まだ結論には達してなく、中間報告でもある。


 本書の末尾も、


“というわけで、この本は途中打ち切りの連載漫画よろしく、こんな言葉で終わるしかない。「俺たちの戦いはまだ始まったばかりだ」(P217)”


 という言葉で締められる。


 冒険譚は、たどり着いた場所の景色よりも、探検の過程を詳細に語ってくれたほうが面白い。だからこそ本書は門外漢ほど楽しめる読書体験となるのではないだろうか。


■出洲待央
ライター、編集者。雑誌、書籍、WEBなど媒体を問わず、様々な記事制作やインタビューなどに関わる。


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