春一番さん命日に「1・2・3・ダァーッ!」の本家・アントニオ猪木氏が献杯

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2020年07月05日 13:42  Techinsight Japan

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病床の春一番さんに気合を入れていたアントニオ猪木氏
プロレスラーのレジェンド“燃える闘魂・アントニオ猪木”のモノマネを得意としたお笑いタレントの春一番さんが2014年7月3日に47歳で亡くなってから6年が経った。春一番さんは猪木氏がリングでマイクアピールする時の「1・2・3・ダァーッ!」などのセリフをモノマネして一躍人気となった。その命日に本家・アントニオ猪木氏がTwitterで追悼した。

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春一番さんは、芸人を夢見て1985年に片岡鶴太郎に弟子入りして太田プロダクションに所属。芸名「春一番」は師匠の片岡が付けた。後に事務所を離れる爆笑問題(太田光・田中裕二)は、太田プロの同期である。

太田光は太田プロの合同コントの打ち合わせをきっかけに同じ事務所のタレント・太田光代(現・タイタン社長)と懇意になり同棲から結婚に発展したことで知られるが、実はその合同コントを提案したのが春一番さんだった。

2018年10月26日放送のTBS系『爆報!THE フライデー』によると、春一番さんは過度の酒好きでビートたけしが心配して酒を止めるよう勧めたこともあったが、それでも飲み続けて素行不良が重なり1994年に太田プロを解雇されたという。

1997年に3歳年下の女性と結婚し、2000年頃からアントニオ猪木氏の活躍が注目を集めると、春一番さんにもオファーが増えて忙しくなった。そんななか2005年8月に腎不全で倒れて入院するとICU(集中治療室)で危険な状態となり、懇意にしていた猪木氏に妻が連絡した。

病院に駆けつけたアントニオ猪木氏がICUに入り「元気ですかっ! 元気があればなんでもできる!」と呼びかけたところ、重篤なはずの春一番さんが起き上がったので間髪入れずにビンタで気合を入れた。するとそれから病状が回復したというエピソードがある。


その後はテレビや営業の仕事に励んでいた春一番さんだったが大好きな酒は止められず、2014年7月3日に自宅で彼の体が冷たくなっていることに妻が気づき、緊急搬送されて午前7時頃に死亡が確認された。死因は肝硬変だった。

アントニオ猪木氏は春一番さんの酒好きを知っているだけに、Twitterで2020年7月3日に「今日は春一番くんの命日です」とシャンパングラスを前に置いて並ぶ思い出の1枚を投稿。「あっちできっと大好きな酒をしこたま飲んでると思います。献杯」と追悼した。

猪木氏のツイートには「生涯、猪木さんのモノマネ1本だったんですものね、猪木さんが忘れないでいてくださる事が何よりの供養でしょうね」、「猪木さんに命日を覚えておいてもらって、彼にとっては本望でしょうね」、「春一番最高だー 猪木さんも最高だー」、「天国から元気ですかー!」などの反響が寄せられている。

画像3枚目は『アントニオ猪木 2020年7月3日付Twitter「今日は春一番くんの命日です。」』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)
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