「突然大声を上げて怒り出す」要介護4の父と生活保護の兄……30代女性が背負った“家族”と“介護”の現実

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2020年07月05日 21:02  サイゾーウーマン

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サイゾーウーマン

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。

 多くの親が「ヨロヨロ・ドタリ期」に入るのは、この超高齢化社会においては80代から90代となっている。もちろんそれに合わせて、介護する子どもも60代、ときには70代となっていく。「老老介護」だ。

 その一方で、若いうちから親の介護に直面する子どももいる。今回ご紹介するのは、中村万里江さん(仮名)。35歳という若さだ。中村さんの両親もまだ60代。介護の話を聞くのが申し訳なく思えるほどだが、中村さんは思いのほか快活な女性だった。

 介護をしているから暗い、というのは偏見であることはじゅうぶん承知している。それでも、もし自分が中村さんの立場に置かれたら、とてもこんなに明るくはふるまえないだろうと思う。

父のパニック症状に戸惑う

 コトのはじまりは、2016年。中村さんの父、博之さん(仮名・当時64)がくも膜下出血で倒れたのだ。

 「頭が痛い」と訴える博之さんに、母の晃子さん(仮名・当時64)はすぐに救急車を呼んだ。搬送された病院で手術、2カ月ほど入院したのちにリハビリ病院に移り、3カ月機能訓練を受けた。

 自宅に戻った博之さんは、左半身のマヒと、高次脳機能障害で要介護4と認定された。入浴介助はヘルパーが必要だったが、トイレや食事は自分でできていたというので、身体状況はそれほど深刻ではなかったといえるだろう。

「ただ、失語と半側空間無視(※1)がありました。発することのできる言葉は『はい』くらい。でも数字と曜日だけには強いんです。不思議ですよね。母と私は、父がときどき起こす“感情失禁”(※2)といわれるパニック症状にとまどいました。もともと声が大きい人だったこともあり、何かに対して気に入らなかったり、イライラしたりすると、突然大声を上げて怒り出すんです」

※1 視力に問題がないのに、目にしている空間の半分に気が付きにくくなる障害
※2 ちょっとしたことで突然泣いたり、怒ったり、笑ったりするなど、場に応じて感情を抑制することができず、人前で表出してしまう状況

 中村さんはずっと海外で働いていたのだが、博之さんが倒れた頃は仕事を辞めて帰国、実家に戻っていた。晃子さんとともに博之さんの介護に当たることができたのは、晃子さんにとっては幸運だったといえるだろう。二人で試行錯誤しながら、博之さんへの対応の方法を編み出していった。

「感情的になったらいったんその場を離れる。それから父に何が言いたいのか聞いても、答えられないので、質問するときには『はい』『いいえ』で答えられるようにしました。ただ、何でも『はい』なんです(笑)。なので『はい』の言い方で、答えを推測することができるようになっていきましたね」

 とはいえ、中村さんにとって、常に博之さんのそばにいるのは楽なことではなかった。再就職した中村さんは、博之さんが倒れて2年後、実家から自転車で5分の場所で一人暮らしをはじめる。こうして、晃子さんをサポートしつつ、博之さんを介護する体制が整っていった。

 そんなとき、中村さんのもとに兄(43)が事故を起こしたという連絡が入った。

「兄は就職氷河期世代で、大学卒業後、就職がうまくいかず引きこもっていました。親が就職させようとしたのですが、それもダメ。借金をつくって親が肩代わりしたこともあります。兄の問題で家族会議をしても、父は怒る、母は兄をかばう。私が冷静に場を仕切る、というような関係だったんですが、その後、私は海外に行ったこともあり、兄とは距離を置いていました。日本に戻ってきたときには、兄は関西にいて、生活保護を受けながら、自分のように生きづらさを抱えている人にカウンセリングのようなことをしたりして生活していたようです。自分が生きづらさを抱えている当人なんですけどね(苦笑)。それでも生活保護を受けながら、なんとか自立して暮らせてはいたんです」

 そんな兄を心配した晃子さんが、家に戻したいと言ったこともある。中村さんは、そうなると晃子さんが兄を支援しすぎてまたダメにしてしまうだけのような気がして、「兄を戻すのなら、もう私は二度とかかわらない」と言って反対したという。

「そういうわけで、兄は関西で暮らしていたんですが、警察から『兄が事故で入院している』という連絡が来たんです。自転車による自損事故だったようです。駆けつけてみると、かなりカルチャーショックを受けました。警察の方によると、兄が暮らしている場所は関西のなかでも特に治安の悪い地区だということでした。私が働いていた国も、先進国とは言えませんが、そういう世界ともまた違う。そんな場所で兄は暮らしていたんです。おまけに、事故によって外傷性クモ膜下出血を発症していました。幸い、そう重症ではなく、リハビリをして退院することができました。本人は昔より記憶力がなくなったと言っていますが」

 兄よりも8歳も年下ながら、しっかりした妹だ。しっかりせざるを得なかったというべきか。ともかく、兄の問題はこうしてなんとか落ち着いた。と思う間もなく、今度は母・晃子さんの体調が悪くなる。博之さんが倒れて3年後、昨年の頭のことだった。

――続きは、7月12日(日)更新

 

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