傷を抱えた中年男性と猫、辿りついた「幸せの形」とはーー涙なしには読めない『おじさまと猫』

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2020年07月11日 09:01  リアルサウンド

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 何年たっても癒えない心の傷は、人間相手には言いにくい。言葉で伝えられることなど限られているから、抱えてきた傷が深くて大きいほど、誰とも共有したくない・できないと思い、偽りの自分で生き続けてしまう。けれど、その傷が“動物”という小さな家族によって癒され、真新しい自分で明日を迎えられるようになることもあるのかもしれない。


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 『おじさまと猫』(桜井海/スクウェア・エニックス)は、そんな思いがこみ上げてくる温かい猫コミックエッセイだ。Twitterで話題となり書籍化された本作は現在、第5巻まで発刊されており、最近では「みんなが選ぶTSUTAYAコミック大賞」にて2位を受賞した。


 数ある猫コミックエッセイの中でも、これほどまでに本作が人気を集める理由……。それは桜井氏が「かわいい」の裏に隠された、動物を取り巻く現状をしっかりと描いた上で、そんな中でも人間を信じる動物や、ペットとしてではなく家族として動物と向き合う人間がいることを伝えているからだ。


■心に傷を負った2人が辿りついた「なにげない幸せ」に感涙


 おじさまと愛猫ふくまるの出会いは、何度読んでも号泣してしまう。1歳になるエキゾチックショートヘアのふくまるはペットショップで売れ残っており、自分がいるショーケースの前を素通りされることに慣れてしまっていた。私のことなんて、誰も欲しがらない……。絶望交じりの諦めを抱きながら、代わり映えしない日常を送っていたのだ。


 そんな時に出会ったのが、おじさま。自分を抱き、「この猫をください」というおじさまに対して初め、ふくまるは期待などさせないでほしいと願う。自分には愛される価値、愛でられる価値がないと思っていたからだ。


 繰り返し経験した絶望により、ガチガチに凍ってしまった心。それを溶かしたのは、家族へのプレゼントかと尋ねる店員に向けおじさまが発した温かい言葉。


〈「私が欲しくなったのです とても可愛くて 可愛くて」〉


 ふくまるを迎えたおじさまは、愛情のこもった名前を贈る。


〈「ふくまる お前の名前はふくまるだ お前に出会えたことが幸福だから ふくまるだよ」〉


 これまで猫と暮らしたことがなかったおじさまは、ふくまるの一挙一動を愛おしく思い、大の猫好きに。ふくまるも自分に対して惜しみない愛情を注いてくれるおじさまのことを“パパさん”だと思うようになり、2人はなにげない日常を通して、絆を育んでいく。ショーケース越しで、ずっと捕まえられないと思っていた「人間の指」にやっと触れられ、その温かさを知ることができたふくまるは、どれほど嬉しかっただろうか。


 人間に助けられた、1匹の猫の物語――。初めは、そんな印象を受けるかもしれないが、実は心を救われたのはおじさまのほうなのかもしれない。おじさまはかつて天才ピアニストとして活躍していたが、コンサート中に最愛の妻を亡くしてから表舞台に立てなくなり、温厚な笑顔の下で、ずっと泣き続けてきた。


 そんな日々を変えてくれたのが、ふくまる。人間相手に本音や弱音をさらけ出せなかったおじさまは動物という小さな家族との交流によって、人に頼ることの大切さを学び、傷を打ち明ける勇気も得ていく。


 迷い、悩みながらも前に進もうとするおじさまの姿。そこに自分を重ね合わせる人もきっと多いはず。似たような孤独を抱えてきた2人が共に「今日」という日を楽しみ、「明日」を待ちわびる様子に、読者の涙腺は崩壊してしまうのだ。


■「かわいい」に隠された動物の現状がここに


 本作はハートフルなストーリー展開だからこそ、時折描かれる動物を取り巻く悲しい現状が胸に響く。例えば、生後間もなく母猫であるママさんやきょうだい猫たちと引き離されたふくまるの涙を見ると、動物の心よりも利益を優先する今のペット業界の在り方に疑問を抱く。また、ペット禁止のマンションに引っ越すから愛猫がいらなくなったと簡単に命を破棄しようとする人間の冷たさには強い憤りを感じる。


 これは決してフィクションではなく、日本のどこかで今この瞬間にも起こっていること。本作はただ感動を与えるだけでなく、動物の命を守ることや最期まで共に生きることの大切さも訴えかけているからこそ、これほどまでに熱い支持を得る作品となっているのだ。


 なお、最新刊ではふくまるが外へ出てしまい、迷子に……!家に帰る道を探すふくまると、必死に愛猫を探すおじさまの姿に感動すると共に、室内飼いの猫が外で生き抜くことの難しさを痛感させられ、自分にできる命の守り方を改めて考えたくなる。


 綺麗ごとだけでは語れない「動物を取り巻く世界」を丁寧に描きつつ、人間と動物は言葉がなくても繋がり合えることができると教えてくれる本作。これは、猫好きの桜井氏だからこそ描けた“心の処方箋本”でもある。


(文=古川諭香)


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