菅野の『振り逃げ3ラン』に、中田の『完全試合』…スター選手たちの“高校時代の珍記録”

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2020年07月14日 07:22  ベースボールキング

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写真いまや巨人のエース・菅野智之の高校時代の珍プレーとは? (C)KYODO NEWS
いまや巨人のエース・菅野智之の高校時代の珍プレーとは? (C)KYODO NEWS
◆ スター選手の高校時代、こんなことありました

 新型コロナウイルスの影響により、春・夏の甲子園大会が中止となってしまった2020年。それでも、春のセンバツ出場予定だったチームは聖地で交流試合を戦うことが決まり、夏も都道府県独自の代替大会が開催される運びとなった。

 なかには、すでに代替大会が開幕している地域もあり、例年以上に“地方大会”がクローズアップされている。地方大会といえば、1998年に東奥義塾(青森)が記録した史上最多の「122得点」に代表されるように、甲子園以上に思いがけない珍プレーや珍記録が目白押し。

 そんな球史に残る数々の“伝説”の中から、今回は現在プロで活躍するスター選手たちが高校球児時代に夏の地方大会で繰り広げた、思わずビックリの珍プレーや珍記録をピックアップしてみた。


◆ 菅野智之の『振り逃げ3ラン』

 地方大会の珍プレーで真っ先に思い浮かぶもののひとつに、巨人のエース・菅野智之が東海大相模高時代に演じた『振り逃げ3ラン』がある。

 2007年・夏の神奈川県大会準決勝、相手は名門・横浜高校だ。4回に3点を先制した東海大相模は、なおも二死一・三塁のチャンスに、打席には9番の菅野。フルカウントからワンバウンドになるスライダーに中途半端にバットを出すと、球審が一塁塁審に確認を求め、これがスイングの判定で三振となった。

 通常ならば、これでスリーアウトチェンジ…なのだが、捕手がボールをワンバウンドで捕球している以上、菅野にタッチするか、一塁に送球しなければ、スリーアウト目は成立しない。

 ところが、横浜の捕手は三振と判定された時点でアウトと勘違い。ボールをサード・筒香嘉智(現・レイズ)に転送すると、そのままベンチへ。守っていた野手たちも、続々とベンチに引き揚げてしまった。

 直後、ノータッチに気づいた門馬敬治監督は、ベンチに戻りかけた菅野に大声で「走れ!」と指示。走者3人が慌ててダイヤモンドを一周し、これがまさかの『振り逃げ3ラン』に。この3点がモノを言って、東海大相模は6−4で勝利を収めた。

 ただし、ツイていたのはここまで。決勝では桐光学園に8−10で敗れ、菅野はチームメートの田中広輔(現・広島)とともに、2年連続で甲子園まで“あと1勝”に泣いた。


◆ 中村剛也『59−0』の大勝

 西武の主砲・中村剛也は大阪桐蔭高時代の2001年夏、2回戦の柴島戦で『59−0』というラグビー並みのスコアで大勝。大阪大会史上最多、全国5位(※当時)の記録を作っている。

 大阪桐蔭は1回裏、2番・西岡剛の左越え二塁打を皮切りに打者10人の猛攻で6点を先制。その後も、「全力を出さないと、相手に失礼になる」という西谷浩一監督の檄に応え、2回にも打者22人で19点を追加する。

 3回には二死二塁から、この日6打席目の中村が左翼ポール際に高校通算80号を記録するなど、打者23人で19点。4回も打者19人で15点とダメ押しに次ぐダメ押しで5回コールド勝ちを収めた。

 終わってみれば先発全員がマルチ以上で、1・2番は9打席回ってくるという爆勝。しかし、決勝戦では上宮太子高に延長戦の末、5−6で敗戦。補欠校に回ったセンバツと同様、あと一歩のところで甲子園出場を逃している。


◆ 投手・中田翔の『完全試合』

 大阪桐蔭で中村の後輩にあたる日本ハム・中田翔も、2007年夏の府大会3回戦・交野戦で、5回参考記録ながら完全試合を達成している。

 初回を3者連続三振に打ち取った中田は、「打たせる気はなかった」と気合満点の投球を披露。5回を12奪三振、内野ゴロ2、左飛1とパーフェクトに抑え、10−0とコールド勝ち。「ノーヒットノーランを含めて、人生初体験」という快挙を実現した。

 その後、2年の春に右肘を痛め、150キロ台の速球が投げられなくなったことがキッカケとなり、「将来は野手で」と決断した中田。もし故障さえなければ、大谷翔平(現・エンゼルス)よりも早く“二刀流”のスターが誕生していたかもしれない?

 ちなみに、地方大会での完全試合といえば、成城工2年時の野茂英雄も、1985年夏の府大会2回戦・生野戦で達成。当時は背番号10の控え投手ながら、10奪三振の快投で快挙を成し遂げた。


◆ 坂口智隆の股間にボールが…

 一方、完封まで「あと2人」というところから、まさかのアクシデントで負傷降板する羽目になったのが、神戸国際大付2年時の坂口智隆(現・ヤクルト)だ。

 2001年夏の兵庫県大会2回戦・村野工戦。先発した坂口は切れのあるスライダーを内外角に投げ分け、計11奪三振の快投。4−0とリードした9回も一死一塁と、完封勝利は目前だった。

 ところが、4番・中西恵三のライナーが股間を直撃したからたまらない。痛みをこらえて一塁に送球したものの、タッチの差で内野安打に…。直後、ガックリとマウンドに崩れ落ち、無念の降板となった。

 その後はリリーフが2点差まで詰め寄られる冷や汗タラタラの展開も、何とか逃げ切って勝利。フィールディングには自信がある坂口も、「あんな速い打球は捕れません」と苦笑いだった。


◆ T-岡田の『伝説の一打』

 最後に、オリックスのT-岡田は履正社高時代に通算55本塁打を記録して“浪速のゴジラ”の異名をとったが、ホームラン以外でも、大阪府大会史に残る“伝説の打球”を放っている。

 2005年夏の1回戦・西野田工戦。4回一死満塁のチャンスでこの日3度目の打席に立った岡田は、思い切りスイングした直後、なんと、バットが捕手・山本隆也のミットに当たり、ボールと一緒に弾き飛ばしてしまった。

 通常なら打撃妨害となるところだが、打球が中前への2点適時打になったことから、野球規則によりこちらが優先される珍事に。

 なお、元祖“ゴジラ”・松井秀喜も、星稜時代の1992年夏の石川県大会で内野手のグラブを弾き飛ばすというスーパーな打球を放っており、13年の月日を経て、新旧ゴジラの一打が並び称されることになった。


文=久保田龍雄(くぼた・たつお)

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