ミイラ化した全裸死体ーー離婚した女二人の同居生活、消えた女と庭の遺体【藤沢つづら詰め殺人事件:前編】

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2020年07月24日 22:02  サイゾーウーマン

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サイゾーウーマン

世間を戦慄させた事件の犯人は女だった――。平凡に暮らす姿からは想像できない、ひとりの女による犯行。自己愛、欲望、嫉妬、劣等感――罪に飲み込まれた闇をあぶり出す。

 戦後の湘南。東海道線藤沢駅の南口から、賑わいのある橘通り商店街を10分ほど進んだところにある花沢町は当時、サラリーマンの小住宅や別荘がぎっしりと並ぶ住宅地だった。このど真ん中に位置する、高い生垣で囲まれた民家に、神奈川県警本部の刑事部長や捜査一課長、横浜地検刑事部長らが集まったのは1956年7月12日、もうすぐ正午になろうとする頃だ。荒れ果てた庭にダリヤが咲き誇る。何事かと周辺の住民やマスコミも、民家の外からその様子を伺っていた。

 縁側から続く便所の角に植えられた木の下に、係官らがシャベルを突っ込む。掘れども掘れども土ばかり。いつしか穴の深さは180センチほどにまで達した。いよいよ係官も掘り進める手を止めようとしたその一瞬、シャベルが「ガチッ」と硬い音を立てた。注意深くシャベルで土をよけると地中には、約60センチ四方、朱色の麻縄が十文字にかけられた、つづら(木箱)が埋まっている。

 地上に持ち上げたつづらをゆっくりと開けると、捜査員らの目に飛び込んできたのは、全裸で足を折り曲げ横向きに押し込まれている女性の遺体。白蠟のごとくミイラ化しており、その首元には、なおも細紐がくいついていた。

藤沢つづら詰め殺人事件

 つづらが掘り起こされたその民家については、前年の2月ごろから、近隣住民の間で“幽霊屋敷”としてうわさになっていた。

「雨の降る夜になると庭先から青白いリンのような光が、ぼーっと立つそうだよ。あれはきっと幽霊に違いないんだって。そういえば、あの家には誰も住んでいないのに、真夜中になると雨戸をコソコソと叩く音もするんだそうだ……」

 尋ねる人影もなく、庭は夏草が生い茂り、つるバラが這うにまかせて荒れ放題。風で窓がガタガタと揺れ、誰かが中にいるかのような気味の悪さがあった。しかし、その“幽霊屋敷”には、かつて頻繁に人の出入りがあったのだ。

「ここには檜山逸子さんという奥さんが住んでいましたが、昨年の2月、突然姿を消したまま行方不明になったんです。工学博士の弟さんが警察へ捜索願いを出したり、秘密探偵を頼んだりして一生懸命捜したけれど、わからないそうです。同居していた女が姿を消していますが、もしかするとこの女に殺されているんじゃないか、という話もあるんですがね……」(近隣住民の証言)

 こうしたうわさが流れる中、つづらの中から遺体で見つかったのは、やはり檜山逸子さん(45=当時)だった。姿を消した前年2月、弟は捜索願いを出し、以降、行方探しに奔走していた。幾度となく警察に掛け合うが、姉の居所は知れぬまま。独自に秘密探偵に依頼し、調査を行い、失踪から1年後、「逸子は殺されたのだ」という疑念を強く持つようになった。

 弟の熱意もあり、藤沢署は“幽霊屋敷”の捜索や、2度にわたる庭の掘り起こしを行うも、逸子さんに繋がる手がかりは得られず月日は過ぎる。いよいよ半ば諦めた弟が、この家を売りに出したところ、新しい買い手がついた。神奈川県警本部と藤沢署はそこで最後の調査を行うことになり、3度目の庭堀りを始めたところ、つづらが発見されたのだった。

 首を絞められて殺害されたのちに、つづらに押し込まれ、庭に埋められていた逸子さんは、もともとこの家に一人で暮らしていた。1947年に東京都の公務員と協議離婚し、1953年に家を購入。離婚の際、約300万円の財産を分けてもらい、株券の配当や預金の利子でつつましく暮らしていたのだという。母は彼女の性格をこう評する。

「逸子は子供の頃から静かでおとなしい子でした。友達もあまりなく、離婚してからは誰も知らない遠くで暮らしたいと言っていた。藤沢市に移り住んでからは、身体も肥えて、元気そうに過ごしていた」

 隣家の住民も同様に、物静かな逸子さんを記憶していた。

「綺麗好きで几帳面で無口な人でした。良家の育ちらしく、世間知らずの人でした」

 離婚後の穏やかな生活が一変したのは、藤沢に移り住んでから1年がたったころ。「四間もある家で一人でいるのはもったいない」と、不動産仲介業者を介して知り合った一人の女と、同居を始めたことがきっかけだった。

――後編はこちら

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