たった6試合で帰国したルイゾンの言い分。「まっちゃん、元気かな」

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2020年07月29日 11:22  webスポルティーバ

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第8回ルイゾン(後編)>>前編を読む

 2005年、当時名古屋グランパスの監督を務めていたネルシーニョ(現・柏レイソル監督)の誘いで日本に来たルイゾン。8月半ばのヴィッセル神戸戦でデビュー、11番をつけてプレーした。徐々にチームに馴染んでいき、9月に入ると横浜F・マリノス戦、続いて柏レイソル戦で連続得点をマークした。

 ところが、ここでまた予期せぬことが起こる。日本に呼んだネルシーニョが、成績不振を理由に解任されてしまったのだ。

 結局、ルイゾンも6試合でプレーしただけで、ブラジルに帰ってしまった。ネルシーニョの後を追うようにサントスへ移籍した。

 実際に何があったのか、私は知りたかった。そこで久しぶりにルイゾンに電話をした。彼とは2002年W杯で友人となり、優勝した帰りの飛行機では一緒に酒を飲んだ仲である。ルイゾンは12時間酒を飲みっぱなしで、アメリカでトランジットする時はほとんど意識がなかったのを覚えている。

 電話の向こうのルイゾンは、今日も酒を飲んでいるようであり、相変わらずの絶好調で当時の話をしてくれた。

「俺がグランパスから出て行った理由は、いくつかの要因が重なったからだ。でも、一番はネルシーニョがいなくなったことかな。その後に監督になった人物は、もう名前も覚えちゃいないが、何もわかっていなかった。俺は2試合で4ゴール決めてたっていうのに、彼が言った言葉がなんだと思う? 『もっとがんばりなさい。もっと練習しなさい』だぜ」

 どうやら後任の中田仁司監督と、彼はうまく意思の疎通ができていなかったようだ。

「俺が頑張ってなかったとでもいうのか? 黄色いチーム、そうレイソルだ。あの試合では俺のすべてのキャリアの中でも最高の部類に入るパフォーマンスをしたと思う。俺のゴールはテレビでベストゴールにも選ばれたはずだ。それなのに、何を考えてるんだと思ったね」

 もうひとつの原因はピッチの外にあった。

「当時うちには2歳半と生後10カ月の小さな子供がいた。長年働いてくれていたベビーシッターとハウスキーパーの2人の女性を日本に連れていきたかったから、俺はチームにビザを出してくれと頼んだんだ。彼女らの旅費も、給料も俺持ちでいい。だから日本にいられるようにしてくれとね。

 しかしチームの答えは『No』だった。おかげで俺と妻はずっと家にいて子供の世話をしなくちゃいけなかった。日本に滞在中、外に食事に行った回数は数えるほど。俺は練習場と家の往復だけで、こんなの人生じゃないと思ったね。かといって、小さな子供を見知らぬ人間に預けることはできない。本当に辛かった」

 話をする彼の後ろでは賑やかな音楽が鳴っていた。そう、彼の人生は華やかなフェスタがなければ成り立たない。音楽に、酒に、友人との陽気なおしゃべり、それが彼のパワーの源だ。

「エメルソンはサルを連れて練習に」はこちら>>

「おまけに俺は、約束された金額も受けとれなかった。チームのせいなのか、それとも間に入った誰かがだましたのかはわからないが、そんなこんなでチームに不信感を抱いてしまったんだ」

 そんな時、彼にサントスからのオファーが来た。サントスはサンパウロが払わなかったグランパスへの違約金も肩代わりしてくれるという。

「俺は1分も考えず、即OKした。そして荷造りもそこそこに、ほとんどのものを残してブラジルに戻ってきてしまった」

 ほんの少しの日本だったが、それ以外の思い出はすばらしいとルイゾンは言う。

「特にサポーターは本当にすばらしかった。名古屋の人は俺を愛してくれて、スタジアムはいつも満杯だったし、ほぼ毎日誰かからプレゼントをもらっていた。あんな去り方をしてしまったのに、空港まで見送りに来てくれたサポーターもいて、涙が出そうになった。だからぜひここで伝えておきたい。日本は大好きだ。日本人は大好きだ。グランパスのサポーターありがとう」

 チームメイトやスタッフとの関係も良好だったようだ。

「そういえばこんなことがあった。ある時、俺は胃が痛くなって、コンビニに薬を買いに行った。しかし売っているものが何なのかさっぱりわからない。そこで目に留まったのが『タフマン』だった。一時期ペレがCMをしていたんで、唯一見覚えのあるものだった。しかしそれを持って練習に行ったら、なぜかチームメイトにめちゃくちゃ笑われた。胃の薬じゃなくて、エナジードリンクだってわかってからは、俺も一緒に大爆笑したよ」

 当時覚えている選手はいるかと問うと、こんな答えが返ってきた。

「みんな優秀だったけど、GK(楢正剛)はうまかったね。それからまだほんの少年だった本田圭佑もいた。若かったけど、何か光るものを持っていた。まさか彼がボタフォゴでプレーするようになるなんて、当時は想像もしてなかったけどね」

 そして、彼がどうしても感謝したい人がひとりいるという。

「ホペイロをしていた”まっちゃん”だ、彼は本当にいい人で、すごくお世話になった。もしこれが日本のメディアに載るなら、この場を借りてお礼をしたいね」

 ブラジル人は国を出ると、故郷にどうしようもないサウダージ(郷愁)を感じるものだが、ルイゾンは今、その逆を感じているという。

「俺は日本に対して時にサウダージを感じる。ほんの少ししかいなかったけど、日本のことはいつも頭の片隅にあるよ」

 2010年に選手を引退した後、彼はデコと一緒に選手に関連するエージェントをしている。多くのスター選手が引退後、苦境に立っているのを尻目に、なかなか羽振りがよさそうだ。抜け目のない世渡り上手な性格は、今でも健在のようである。

ルイゾン
本名ルイス・カルロス・ボンボナート・グラール。1975年11月14日生まれ。グアラニ、パルメイラス、ヘルタ・ベルリン(ドイツ)、サンパウロなどを経て、2005年、名古屋グランパス入り。その後サントスなどを経て2006年に現役を引退。ブラジル代表では2002年W杯で2試合に出場している。

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