テレ朝・弘中綾香アナの「あざとさは処世術」論に疑問! “女子アナではない会社員”が信じると「痛い目に遭う」と思うワケ

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2020年07月31日 00:13  サイゾーウーマン

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サイゾーウーマン

『あざとくて何が悪いの?』(テレビ朝日系)公式インスタグラムより

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「私的には好感度の高い人=あざとい人というイメージ」テレビ朝日アナウンサー・弘中綾香
(ウェブサイト「VoCE」7月25日)

 最近テレビで「あざとい」という言葉をよく聞く。「あざとい」の本来の意味は、小狡いとか、やり方があくどいというように、決して褒め言葉ではない。しかし、フリーアナウンサー・田中みな実とテレビ朝日・弘中綾香アナは『あざとくて何が悪いの?』(テレビ朝日系)において、あざとい言動で男性を虜にする女性について話し合いながら、「あざといことは悪いことではない」という“ニュー・あざとい論”を展開している。7月25日に放送した同番組において、田中と弘中アナは、可愛い子ぶった振り付けをふんだんに盛り込んだ“最強にあざといダンス”を披露していた。

 また、弘中アナは7月25日付のウェブサイト「VOCE」のインタビューで、「あざとさって、決してネガティブなことじゃないと思うんです。その場の雰囲気を和らげたり、そこにいる人の気分を良くしてあげられるテクニック」「最もしっくりくる表現は“処世術”かな」「私的には好感度の高い人=あざとい人というイメージ」などと答えていた。ということは、弘中アナは周囲のために気を使って、またはうまくこの世を渡っていくために、あざとく振る舞っているのかもしれない。

 売れている芸能人やアナウンサーがメディアで言っていることは「本当のこと」に聞こえるかもしれない。特に局アナは、今や芸能人と同等の存在ながら、イチ会社員としての一面も持つので、弘中アナに親近感を抱き、その処世術を真似しようとする一般の会社員もいるだろうが、果たしてうまくいくのかと思ってしまうのだ。

 芸能人のように「オファーがないと成立しない」「時代の変化に適応しなくてはならない」「勝てば官軍」というハイリスク・ハイリターンの職業の人、また局アナのように芸能人に準ずる職業の人と、基本的に社則に基づいて行動し、対価を得る一般の会社員は“違うルール”で生きており、ゆえに会社員の女性がヘタに彼女たちを真似すると、痛い目に遭うのではないかという気すらしてくる。

■弘中アナがあざとくても嫌われないワケ

 弘中アナが、確固たる信念を持って「あざとさ」を処世術としているならそれでよいけれど、そもそも、彼女が「あざとさ」で評価されているのかというと疑問である。弘中アナと言えば、『激レアさんを連れてきた。』(同)で、顔に似合わぬ毒舌でブレーク。「夢は革命家」と語り、テレ朝の社員でありながら、局の垣根を越えて『オールナイトニッポン0(ZERO)』(ニッポン放送)のメインパーソナリティーを務めたこともあるなど、局がどれほど彼女に期待をかけていたかは明らかだ。その期待に応えるように、弘中アナはオリコン主催の「好きな女性アナウンサーランキング」で、テレ朝アナとして初の首位の座を獲得した。今月末から始まるジャニーズJr.の6人組ユニット「美 少年」の初主演ドラマ『真夏の少年〜19452020』(同)で、弘中アナは“女優デビュー”することも明らかにされた。

 そんな弘中アナの入社に関しては、面白いエピソードがある。弘中アナを見いだしたのは、『アメトーーク!!』などを手掛けたテレ朝の名物プロデューサー・加地倫三氏だが、入社試験の際、「(弘中アナは)アナウンサースキルはひどかったけれど、フリートークが抜群に面白かった」と光るものを感じて採用したそうだ。

 人事部の期待に沿えない人材も多い中で、弘中アナが「好きな女性アナウンサー」でテレ朝初の1位を獲得したことは、本人の実力はもちろん、「生みの親」である加地氏の慧眼を裏付けることになるから、加地氏にとっても喜ばしいことだろう。「日刊スポーツ」は今年5月、その加地プロデューサーが昇進して役員待遇となったと報じている。つまり弘中アナはテレ朝始まって以来の偉業を成し遂げただけでなく、役員の後ろ盾も持っているわけだから、サラリーマンとしては“無双”なわけだ。

 結果を出す人に優しく、出さない人に冷たいのは世の常だけに、弘中アナは、何をやっても特に社内では好意的に解釈してもらえるだろう。そう考えると、「好感度が高い人が、あざとい」のではなく、「仕事ができる人のすることは好意的に解釈されるので、あざといことをしても嫌われない」というのが真理ではなかろうか。

 しかし、一般の会社員女性が、誰もが納得する目覚ましい結果を出さず(会社員の業績は可視化できないものも多い)、偉い人の“お墨付き”もなく、弘中の行う表面的な「あざとさ」だけを真似しても、好意的に解釈されない可能性は高い。どんなに忠実に「あざとさ」を演じても、好意的に解釈する人ばかりではないだろうから、嫌われても動じないメンタルの強さも必要になるし、「あざとさ」を演じるには、ルックスなどの生まれつきの要素や、年齢も無関係とは言えない。会社員の女性が「テレビでやってるから。女子アナが言ってるから」と信じて、オフィスで「あざとい女」を演じた結果、浮いてしまった日には目も当てられないだろう。

■弘中アナは「あざとさ」よりアナウンサー技術を磨くべき?

 弘中アナに話を戻そう。向かうところ敵なしの弘中アナだが、死角がないわけでもない。『オールナイトニッポン0』では、他人から「オンナのくせに」「アナウンサーなのに」と勝手にくくられることに対して不満を言っていた弘中アナ。だからこそ、まずは「あざとさ」を処世術にするより、アナウンサーとしての足場を固めたらどうだろう。弘中アナは原稿読みが決してうまいとは言えず、声も高くて聞きづらいという評価も多い。このまま、いろいろな仕事に手を出しながら年を重ねたら、アナウンサーとしての実力は、ほかの女性アナウンサーと差がつく一方だろうし、ただの器用貧乏で終わってしまう可能性だってある。

 そもそも本当に「あざとい人」というのは、周囲に「あざとい」と気づかせず、いつのまにか頂点に立っている人のことを指すのではないかと思う。私から見れば、弘中アナは「接客業並みの気づかいをする人」もしくは「頑張り屋さん」である。彼女はそれも「お仕事」という一面があるのかもしれないが、一般の会社員女性はそうではないはずだ。どうか、弘中アナに影響されて、自分の“本分”を見誤らないほしいと思わずにいられない。

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