漫画のようなエピソードも! “無名校”を甲子園に導いたプロ野球選手たち

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2020年08月08日 16:05  AERA dot.

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写真渋谷高校時代の中村紀洋 (c)朝日新聞社
渋谷高校時代の中村紀洋 (c)朝日新聞社
 プロで活躍した選手の中には、無名校出身ながら、地方大会で大車輪の働きを見せ、チームを甲子園に導いた“伝説の球児”も何人かいる。

【写真】「平成で最もカッコいいバッティングフォーム」はこの選手!

 創立74年目の府立高で甲子園初出場の悲願を実現させたのが、渋谷の2年生・中村紀洋(元近鉄−ドジャース−オリックス−中日−楽天−横浜)だ。

 1990年夏の大阪大会は、センバツVの近大付と同4強の北陽の“2強”を、上宮、PL学園などの実力校が追う展開。前年の4強・渋谷もダークホース的存在ながら、私学強豪の厚い壁を破って甲子園に出場するのは、至難の業とみられていた。

 ところが、近大付が5回戦、北陽も準決勝で相次いで敗れる大波乱の結果、比較的組み合わせに恵まれた渋谷は、準決勝までの6試合中5試合までが3点差以内という接戦、また接戦を制して決勝まで勝ち上がった。相手は、2年連続の甲子園を狙う上宮。エース・宮田正直(元ダイエー)、中村豊(元日本ハム−阪神)、西浦克拓(元日本ハム)の3、4番など、後にレギュラー6人がプロ入りしており、下馬評は圧倒的に上宮有利だった。

 だが、初回、4番・中村の左越え先制2ランがチームを乗せる。追いつかれた直後の3回にも、バックスクリーンへ2打席連続弾となる特大3ランを放ち、試合の主導権をガッチリ握った。

 中村は4回から投げるほうでも堂々の主役となる。5回戦から4日連続でマウンドを守りつづけてきたエース・喜多重厚の疲労が3回終了時点でピークに達すると、「あとはオレに任せろ」とばかりに三塁からマウンドへ。

 3回戦の茨木戦で5回1/3を投げて以来、2度目の登板は、先頭の5番・久保孝之(元ダイエー)にいきなり左越えソロを浴びたが、「かえってスッキリした」と開き直る。さらに2安打を許し、2死一、三塁のピンチも、1番・市原圭(元ダイエー−中日−近鉄)を中飛に打ち取り、最少失点で切り抜けた。

 その後はカーブが面白いように決まり、5回から8回まで毎回の5奪三振。3点リードの9回も、2安打とエラーで1点を許したが、後続を三ゴロ併殺と一ゴロに打ち取り、6対4で逃げ切り。大阪の府立高では、82年の春日丘以来の夏の甲子園出場を決めた。

 長谷至康監督も「優勝したなんて、まだ信じられません」と目を白黒させた奇跡的快挙。中村自身もプロ入り後、「上宮戦でのホームランが一番思い出に残っている」と回想している。

 校名と名字が同じ“銚子の銚子”と話題になったのが、79年夏に甲子園初出場をはたした市銚子のエース、4番、主将の銚子利夫(元大洋−広島)だ。

 同年の千葉大会は、春の関東大会Vの銚子商が本命で、東海大浦安の高野光(元ヤクルト−ダイエー)、千葉日大一の長冨浩志(元広島−日本ハム−ダイエー)、千葉工の関根浩史(元大洋)、千葉商の高田博久(元日本ハム−大洋)らプロ注目の好投手が目白押しだった。

 そんな群雄割拠のなか、長い間、全国区の強豪・銚子商の陰に隠れていた市銚子は、前年秋に内野手から投手にコンバートされた銚子が、最後の夏に成長。

 4回戦で東海大浦安を1対0と完封し、準々決勝の千葉商戦では1対1の延長16回に自らサヨナラ2ランを放つなど、全6試合を一人で投げ抜き、43奪三振、失点わずか4の力投で、見事甲子園切符をゲットした。

 そして、甲子園の1回戦、高知戦でも、銚子は4回に本塁打を放ち、3対2とリードしたが、6回に打球を左アゴに受けるアクシデントで昏倒し、病院送りとなる不運……。「甲子園に出るなら、継投より大きな柱を持つチームにしないと」という監督の方針で、控え投手を用意していなかったため、急造のリリーフが打たれ、逆転負け。ワンマンチームの弱点を露呈する結果に泣いた。

 98年夏、第80回大会を記念して初めて1県2代表となった埼玉で、上位10数校が横一線の“戦国”西埼玉を制したのが、久保田智之(元阪神)が捕手、4番、リリーフエースの一人三役を務める滑川(現滑川総合)だった。

“滑川の大魔神”の異名をとる久保田は、2、3回戦でリリーフを務め、打っても2試合で6打数4安打2打点と投打にわたって勝利に貢献。準々決勝の西武台戦では、1対0の8回1死一、二塁で、左中間に勝利を決定づける2点タイムリー三塁打。準決勝の聖望学園戦でも、1回に鳥谷敬(現ロッテ)の四球を足場に1点を先行された直後、1死一、三塁のチャンスに同点犠飛を打ち上げ、2、3回の味方の大量得点につなげた。

 そして、決勝の川越商(現市立川越)戦は、息詰まる投手戦となったが、この日捕手に専念した久保田は、中学時代からバッテリーを組むエース・小柳聡をよくリードし、散発の5安打に抑える。滑川はわずか4安打ながら、3回に幸運なバントエラーで挙げた1点を守り切り、甲子園初出場の夢を実現した。

「甲子園ではぜひ盗塁を刺してアピールしたい」と捕手らしい抱負を語った久保田だったが、1回戦の境戦では、独特のトルネード投法で打者8人から4三振を奪うなど、阪神時代にジェフ・ウイリアムス、藤川球児とともに“JFK”と並び称されたリリーフエースの片鱗を見せつけている。

 ちなみに同年、東千葉代表として甲子園にやって来た八千代松陰のエース・多田野数人(元インディアンス−日本ハム)も、出場55校中最低のチーム打率1割9分6厘と打線の援護に恵まれないなか、4回戦の東京学館戦を除く決勝までの5試合を完封。自らの右腕でチームを初の夏の甲子園に導いている。(文・久保田龍雄)

●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2019」(野球文明叢書)。





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  • 成東の押尾(元燕)我孫子の荒井(元ハム)辺りは今思うと奇跡だったなぁ̸̸̸
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