夏の甲子園に阿久悠氏を想う【白球つれづれ】

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2020年08月11日 07:14  ベースボールキング

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写真2020年甲子園高校野球交流試合の第1試合、大分商―花咲徳栄戦。試合は原則、無観客で開催され、規定人数内の控え部員や保護者、教職員らの観戦は認められた=10日午前、甲子園球場
2020年甲子園高校野球交流試合の第1試合、大分商―花咲徳栄戦。試合は原則、無観客で開催され、規定人数内の控え部員や保護者、教職員らの観戦は認められた=10日午前、甲子園球場
◆ 白球つれづれ2020〜第32回・

 花咲徳栄 3対1 大分商。

 夏の高校野球甲子園大会が10日に開幕した。と言ってもコロナ禍で、本来開催されるはずだった全国高校野球選手権大会は中止となり、それに代わる代替大会。名称は「甲子園高校野球交流試合」と銘打たれ、本来であれば春のセンバツ大会に出場予定だった32校が各1試合だけを戦う変則大会だ。

 春も夏も夢の舞台を奪われた球児(特に3年生)にとっては聖地・甲子園でプレーできることがどれほどの喜びか? まずは日本高野連を含めた関係者の情熱と努力に敬意を表したい。

 無観客、全出場校が揃うこともない開幕セレモニーで目を引いたのが開幕試合に登場する花咲徳栄・井上朋也、大分商・川瀬堅斗両主将による共同の選手宣誓だった。

 井上選手が「夢の舞台、甲子園に立つことを目指し心技体を鍛えてきました」と切り出せば、川瀬選手が「一人一人の努力は皆を救い、地域を救い、新しい日本を作ります。創造、挑戦、成功。今私たちに出来ることは全力プレーです」と応える。異例づくしの大会ならではの異例の選手宣誓が逆に新鮮だった。

 ゲームは初回からいきなり動いた。九州でも評判の好投手・川瀬の立ち上がり、いきなり味方のエラーから浮足立った大分商は3失点。今や甲子園の常連校となった花咲徳栄がそつのない野球で逃げ切った。


◆ 阿久悠さんと高校野球

 今大会は様々なコロナ感染予防の策が施されている。甲子園名物の派手な全校応援はなく、入場できるのは野球部員の家族なら1部員につき最大5人や指導者、学校職員などに限定。応援方法もブラスバンドや声援はなく、拍手に限られる。マスクやうがい、手洗いはもちろん、選手整列の時にも出来る限り「ソーシャルディスタンス」を求める。試合終了後のベンチは速やかに退出して次戦のための消毒に充てる。そのため、甲子園の土を持ち帰る行為も禁止されて後日、球場側から出場校に贈られるという。

 新たなウイルスが社会の機能をマヒさせる世界。スポーツ界だけを見ても東京五輪が延期となり、野球もサッカーも規模の縮小と変則的な興業を強いられている。ほとんどの競技で未だに感染者が出続け、いつ開催が中止になってもおかしくない状況が続く。そんな中で甲子園を目の当たりにして、名作詞家の故阿久悠さんを思い出した。

 阿久さんがスポーツニッポン紙上で「甲子園の詩」を連載したのは1979年から2006年までの27年間。「また逢う日まで」「北の宿から」「サウスポー」など数々の名曲を書き上げた稀代のヒットメーカーは、同時に無類の野球好きだった。中でも甲子園の球児たちをこよなく愛した。

 大会期間中は朝から夕方までテレビの甲子園中継を見続けて創作に没頭した。その仕事ぶりを拝見する機会があったが、阿久さんの特徴はその日の政治の動向から一般ニュースや天気らと共に各試合の模様を日記に書き記す。こうした膨大なメモの中から球児への視点を見出す。言い換えれば甲子園や球児を通じて「時代」を抜き取ってみせるのだ。

 桑田、清原のPL時代、松坂大輔の怪物性、斎藤佑樹と田中将大の死闘。甲子園を通じて時代の風や野球の本質を捉えているから、その作品は幅広い支持を集めた。今でも全国10校近くに「甲子園の詩」の記念碑が残されているのはその証である。


◆ 歴史に残る球児たち

 その阿久さんが初戦で興味を持ったとしたら大分商の川瀬投手だろう。エースで主将。選手宣誓の直後、開幕戦の初球を投じて失点を重ねる。しかし2回以降は立ち直り大器の片鱗をのぞかせた。そして最後は自らの打席でゲームセット。素朴な風貌といい、大きなお尻に豊かな将来性を感じさせる若者だ。

 阿久さんならコロナに九州を襲った豪雨被害、そして初めての交流戦にも躍動する球児たちをどう描写したのだろうか?

 本来であれば102回目を数える全国選手権大会が開催される予定だったこの日。最も不幸な球児たちは、ある意味この甲子園で最も歴史に残る球児にもなった。


文=荒川和夫(あらかわ・かずお)

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