清原和博に松井秀喜、村上宗隆も…“高1で4番”打ったスラッガーたちの「甲子園伝説」

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2020年08月11日 07:14  ベースボールキング

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写真いくつもの伝説を打ち立てた、清原・桑田のKKコンビ (C) Kyodo News
いくつもの伝説を打ち立てた、清原・桑田のKKコンビ (C) Kyodo News
◆ 今年は“異例の夏”…

 新型コロナウイルスの影響から、「夏の甲子園」も中止を余儀なくされた2020年。そんな“異例の夏”も、高校野球は止まらない。

 各地で独自の代替大会が行われているほか、10日からは『2020年甲子園 高校野球交流試合』が開幕。夏の選手権と同じく、残念ながら中止となってしまった「春のセンバツ」の救済措置の一環として、出場を決めていた32校が聖地・甲子園で1試合限りの夢の戦いに挑む。


 ということで、今回は甲子園にまつわるエピソード。『プロ野球B級ニュース事件簿』シリーズ(日刊スポーツ出版)の著者としてもお馴染み、ライターの久保田龍雄氏に、「1年生ながら甲子園で4番を打った選手」の伝説をまとめていただいた。


◆ 清原は入学直後から“不動の4番”

 1年生の夏に4番打者として甲子園に出場したばかりでなく、全国制覇も成し遂げて見せたのが、PL学園時代の清原和博である。

 入学後の1983年5月に行われた変則ダブル第1試合の興南戦。7回に代打で登場した清原は、プロ注目の左腕・仲田幸司から右中間への二塁打を放つ。1年生とは思えない堂々たるバッティングを目の当たりにした中村順司監督は、第2試合の村野工戦で清原を「4番・一塁」に抜擢したところ、この試合でも二塁打を記録。それ以来、男は名門の“不動の4番”となった。


 夏の大阪府大会、4回戦・吹田戦。この試合で左翼席中段に公式戦初本塁打となる先制アーチを叩き込むと、5回戦の泉州戦でも2試合連続弾。4番の仕事をきっちりこなし、チームを5年ぶりに夏の甲子園へと導く。

 だが、甲子園入り後は神経性の下痢に悩まされ、3回戦まで11打数2安打とバットが湿っていた。準々決勝の高知商戦では三塁打1本、二塁打2本の4打数3安打・3打点と復調をアピールしたものの、準決勝の池田戦では優勝候補相手に7−0の快勝にもかかわらず、相手エース・水野雄仁に4打数4三振と完璧に抑え込まれてしまう。それでも、中村監督は三振を恐れずに振りに行った積極さを買い、翌日の決勝・横浜商戦でも4番から外さなかった。

 その信頼に、清原は応える。0−0の2回、2ボール・2ストライクと追い込まれながらも、1球ファウルで粘ったあとの6球目、三浦将明のフォークが高めにすっぽ抜けるところを見逃さず、右翼ラッキーゾーンへ先制のソロ。4番の一発で流れをつかんだPLは3−0で勝利を収め、5年ぶり2度目の夏制覇を果たした。


 しかしながら、同じ1年生の桑田真澄が優勝投手として全日本メンバーに選ばれたのに対し、清原はメンバーから落選してしまう。

 「あれがショックでした。もっと練習せなあかんと思いました」

 この悔しさと後の努力が実を結び、翌年、そして翌々年と、甲子園で新たな“清原伝説”を生み出すことになる。


◆ どんどんスケールアップした松井の愛称

 1990年、星稜に入学してすぐに行われた石川県大会、北信越大会でいきなりの5本塁打を記録。その圧倒的な打撃で1年ながら4番の座を射止めたのが、あの松井秀喜。当時は“北陸の怪童”と呼ばれていた。

 夏の県大会でも、準々決勝の輪島実戦で右翼席上段にライナーで叩き込む特大弾。準決勝の北陸大谷戦では、犠飛で3−2と逆転した直後の9回、「僕が打つから返してください」と次打者・村松有人に告げて、有言実行の三塁打。3年生の村松も4点目のタイムリーで続き、約束を果たしたというエピソードもある。

 そして、決勝の金沢戦。2回に飛び出した松井の左越え先制ソロがチームを勢いづけ、4−0と快勝。2年連続の甲子園出場を決めた。


 だが、甲子園では初戦で日大鶴ケ丘に3−7で逆転負け。松井も3回二死二塁のチャンスで二ゴロ、7回も二死二塁で遊飛に倒れるなど、3打数無安打・1四球に終わり、「打ち気にはやってしまった。先輩に申し訳ない」と悔やんだ。

 「甲子園は思ったより狭かった。またきっと来ます」

 そう出直しを誓った松井は、翌91年夏、2度目の甲子園で2本塁打を放ち、“狭い”発言がダテではなかったことを証明する。ニックネームも「北陸の怪童」から「怪獣」、そして「ゴジラ」へとスケールアップしていった。


◆ “肥後のベーブ・ルース”と呼ばれた村上

 「1年生の4番」として臨んだ公式戦初戦で、ビックリ仰天のド派手なデビューを飾ったのが、九州学院時代の村上宗隆だ。

 2015年夏の熊本県大会の1回戦・東陵戦。初回、無死満塁のチャンスで初打席に立った村上は、2ボール・2ストライクから重永晃希が投じた6球目の直球をコンパクトに振り抜き、藤崎台球場のバックスクリーン左に推定飛距離120メートル超の先制満塁弾。

 さらに、第3打席でもライナーで右翼フェンスを直撃する三塁打を放てば、第4打席も中前安打を記録。あと二塁打が出ればサイクル達成という豪打ぶりに、“肥後のベーブ・ルース”と報じたスポーツ紙もあった。

 だが、本人は「そういうのは、まだまだです。(4番について)4番目の打者という感じで、特に意識はしていない」と、あくまで控えめだった。


 その後も、決勝までの6試合で打率.409(22−9)、8打点という文句なしの成績を残し、3年生のエース・伊勢大夢とともに、春夏連続の甲子園出場に大きく貢献。

 甲子園の初戦・遊学館戦では、3回のチャンスに三ゴロに倒れるなど、4打数無安打で2失策と精彩を欠き、無念の逆転負けも、「緊張感よりも楽しさのほうが大きかった。自分のスイングはできた」と前向きなコメント。

 また、同学年の早稲田実・清宮幸太郎については「意識はしますけど、向こうのほうが凄い」と遠慮がちにライバル視していたが、直接対決が実現しないまま、2年夏・3年夏ともに県大会決勝で秀岳館に敗戦。これが最初で最後の甲子園となった。


◆ 脅威の「打率.615」を誇った吉田正尚

 170センチ・67キロ(※当時)と小柄ながら、コンパクトなスイングで長打を連発。入学早々に敦賀気比の4番に座ったのが、2009年の吉田正尚である。

 夏の福井県大会、2回戦・鯖江戦。三塁打を含む4打数2安打・1打点と好スタートを切ると、決勝までの4試合をいずれもマルチ安打の打率.615(13−8)。特にチームが得点した全12イニングでは、8打数7安打と無類の勝負強さだった。

 しかし、甲子園ではエース・山田修義が力んで原口文仁らを擁する帝京打線につかまり、序盤に5失点。そんな劣勢のなか、吉田は8回に二死二塁のチャンスで甲子園初安打となる左前タイムリーを放ち、チーム唯一の得点を挙げた。

 「全国レベルの投手に打ち負けないよう猛練習したい」と、初戦敗退の雪辱を胸に、翌年春も甲子園に連続出場。見事に8強入りを果たしている。


文=久保田龍雄(くぼた・たつお)

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