前代未聞!公式戦初出場が甲子園。加藤学園1年は「忍者」に似ていた

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2020年08月13日 07:12  webスポルティーバ

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◆「史上最悪の大誤審」。当事者が明かす大荒れ試合の記憶>>

 想像してみてほしい。もしあなたが高校に入学して、野球部に入って最初に出場する公式戦が甲子園だったら......。

 今夏の2020年甲子園交流試合に出場した32校のうち、ひとりだけ1年生で1ケタの背番号をつけた選手がいる。それが加藤学園(静岡)の太田圭哉である。




 身長169センチ、体重67キロ。標準的な高校球児よりも小柄な体で、太田は背番号6をつけて甲子園にやってきた。6番は従来、内野の要であるショートの選手がつける番号だ。

「メンバーを外れて補助をしっかりやってくれている先輩の分もやらないといけない。1年生らしいプレーをしないと......と思っていました」

 1番・ショートで先発出場した太田は「1年生らしい」どころか、「1年生らしからぬ」大暴れを見せた。打っては3打数2安打1四球。走っては盗塁を決めるなど2得点。守っては好守を連発。鹿児島城西(鹿児島)に3対1で勝利したチームに、走攻守にわたって大きく貢献した。

 それでも、太田が殊勝に語るのも無理もない。もし、今春3月開幕予定だった選抜高校野球大会(センバツ)が開催されていれば、入学前の太田に出場資格はなかったのだ。イレギュラーな交流試合だからこそ、太田は背番号6をつけ、甲子園の土を踏めたのだった。

 昨秋、加藤学園は静岡県大会で準優勝の好成績を収め、さらに東海大会でもベスト4に進出している。例年、東海地区のセンバツ出場枠は2のため、決勝進出を逃した加藤学園の選出は絶望的と見られた。だが、秋の明治神宮大会で東海地区代表の中京大中京(愛知)が優勝。東海地区に明治神宮枠が増枠され、加藤学園に初の甲子園出場という僥倖(ぎょうこう)が舞い込んだ。

 当時中学3年生だった太田が、進学先を加藤学園に決めたのはちょうどその頃のタイミングだったという。

「大きい理由は、米山(学)監督がもともとショートですごい選手だったと聞いて、そんな人から学んで自分も一流になりたいと思ったからです」

 3月にはコロナ禍を受けてセンバツが中止になった。太田たち1年生が入学する時期には緊急事態宣言が発令され、野球どころではない日々を過ごした。

 太田が初めて野球部の練習に参加したのは、5月中旬のことだという。そのとき、初めて先輩と顔を合わせた。

「最初は加藤学園の野球を何も知らなかったので、同じショートだった大村(善将)さんに二遊間の連係やサインプレーを教えてもらいました。自分からも積極的に聞いて、学びました。中学でやっていたこととは違って、加藤学園ではグラブを地面に着けておくとか、捕ったら『1、2』とかけ声をかけて素早く送球するとか、レベルが高くて驚きました」

 例年よりも1カ月半も遅く始まった高校生活。本来なら、ゆっくりと野球部に慣れていけばよかったのかもしれない。だが、状況が大きく変わったのは7月12日。静岡の独自大会初戦に臨んだ加藤学園は、飛龍に2対3で敗戦。甲子園交流試合に出場するチームのなかで、もっとも早く独自大会で敗退してしまった。

 この敗戦に危機感を覚えた3年生たちは、「勝ちにこだわりたい」と米山監督に訴えたという。その結果、本来はショートを守りながら失策数の多かった大村をセカンドにコンバートし、1年生の太田がショートに入った。

 交流試合に1番・ショートで起用されることは試合当日に知ったが、大会前から10試合以上も起用されており、太田に心の準備はできていた。

「緊張していたんですけど、監督から『思いきっていってこい』と言われてラクになりました。(キャプテンの)勝又(友則)さんには『エラーしてもいいから楽しんでやれ』と言ってもらえました」

 だが、試合開始直後から太田を試練が待っていた。

 1回表の守備中、一死一塁の場面で鹿児島城西の3番・板敷政吾の放った打球は、ショートの太田の前に転がった。ゴロを抑えた太田だが、ベースカバーに入るセカンドの大村との呼吸がわずかに合わない。「硬くなってしまった」という太田の送球が逸れ、本来なら併殺でチェンジになるはずが、一死一、二塁とピンチが広がった。オーロラビジョンには、太田のエラーであることを示す「6E」の表示が灯った。

 大舞台でのいきなりのミス。太田は「正直言って、すぐには気分の切り替えはできてませんでした」と明かす。だが、そこで加藤学園の掲げるテーマを思い出した。

「『来た球に気持ちを込めて』というチームのテーマがあったので、それを意識してちょっとでも切り替えました」

 その直後、4番・八方悠介(やかた・ゆうすけ)の放った打球は三遊間に飛んだ。ショートにとっては二塁走者が目の前をさえぎり、通り過ぎた後に打球が視界に入ってくる非常に難しいプレー。だが、太田はゴロをガッチリと抑え、二塁ベースカバーに入った大村へスナップスロー。大村が一塁に転送して、ダブルプレーが完成した。

 試合後に「打球は見えていたのですか?」と聞くと、太田は「見づらかったんですけど」と言って、こう続けた。

「野球の神様が自分に味方してくれたのかなと思います」

 太田は幸運だったと振り返るが、シートノックの時点で能力の片鱗を見せていた。第2試合で多少荒れた足場にもかかわらず、太田はどんなに難しいバウンドでも、とにかくボールをこぼさなかった。この捕球能力と執着心があるからこそ、背番号6を託されたのだろう。

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 その後は、何をやってもうまくいった。打撃では鹿児島城西の注目右腕・八方に対して、1打席目から四球、三塁打、二塁打。打球が強風に流されたり、外野手が後逸したりする幸運にも恵まれた。8回裏一死三塁のチャンスで回ってきた4打席目はサードゴロに倒れ、三塁ランナーが本塁で憤死。それでも、直後に太田が二塁への盗塁に成功。続く2番・杉山尊(たける)のランニング本塁打で生還した。

 守備では8回表に三塁線の小飛球を好捕し、そのまま回転レシーブのように転がった。いつしか、太田のユニホームは胸の「KATOH」のロゴが見えなくなるほど甲子園の土で汚れていた。

 なんてエネルギッシュに、楽しそうにプレーする選手なのだろう。そんな印象を本人に伝えると、こんな答えが返ってきた。

「楽しむしかなくて......。そう決めていましたし、みんな楽しんでやれと監督さんから言われて、悔いのないようにやりました」

 この選手、誰かに似ている......。ふと頭によぎったのが、3年前の夏の甲子園で「忍者」と呼ばれた東海大菅生の田中幹也(現・亜細亜大2年)だった。ぴょんぴょんと跳ねるようにプレーするフィールディングや、顔つきもどことなく似ているような気がする。

 今後の目標を聞かれた太田はこう答えた。

「太田がエラーしたらしょうがない、打てなかったらしょうがない......という信頼を持ってもらえる選手になりたいです」

 今年は頼れる先輩たちに連れてきてもらった甲子園だった。今度は自分が加藤学園を甲子園に連れていきたい。

 公式戦初出場が甲子園という前代未聞の1年生は、力強く前を向いている。

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  • へぇ。これ公式戦だったのか。知らんかった。
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