海外の野球を学びたい、野球の頂点を見たい。20歳の青年の旅立ち

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2020年08月17日 19:32  ベースボールキング

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ベースボールキング

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大橋淳平さんは、立命館大学硬式野球部の2回生だったが、一念発起してアメリカの大学で野球修行をすることにした。新型コロナ禍で日米ともに厳しい状況が続く中、なぜ挑戦をすることになったのか?話を聞いた。



――野球選手としてのキャリアを教えてください。

北海道の出身です。小学校2年生でリトルリーグに入りました。ポジションはショートです。中学で、旭川道北ボーイズに入りました。このチームは創設1年目でしたが、堺ビッグボーイズさんが指導に来ておられて、いろいろ教えていただきました。
チームとしては弱かったですが、仲間の中には甲子園に出た選手も出ました。
中学時代にはロサンゼルスにも行き、現地のチームと交流しました。そんな中で海外の野球に対する関心が芽生えたんです。

――旭川道北ボーイズではどんな野球をしていましたか?

チームの方針としてバントはなし。みんなフルスイングで打っていましたし、内野手でしたが、ジャンピングスローをしたりしていました。日本野球の基本ではなくて、新しい野球を学びました。普通の少年野球とは違っていましたね。

――高校は立命館慶祥に進んだんですね。

そういう野球に理解を示してくれる学校でした。
僕が在籍中の2017年の秋季大会で、学校始まって以来初めてベスト8に進みました。駒大苫小牧に3-5で惜敗しましたが手ごたえを感じました。
でも、同時に海外でプレーをしたいという気持ちが強くて、高3の夏にドミニカ共和国に行って、MLBアカデミーのトライアウトを受けました。レイズ、ブレーブス、ドジャースのトライアウトを受けて、レイズだけは試合形式のテストまで進みました。
「1週間後にもう一度テストをする」という話だったのですが、その日に帰国予定だったので「来年来る」と言いました。

――翌年、立命館大学に進んで硬式野球部に入りましたが。

大学でも野球をしましたが、全国からすごいレベルの選手が来ていて、どうアピールしたらいいかなと思いました。
同時にドミニカ共和国のトライアウトも受けたかったので、1年生の暮れにもう一度現地に行ったのですが天候などの問題で受けることができませんでした。
僕自身、日本ではなくアメリカ、海外で野球をしたいという気持ちが強かったので、いろいろ相談をして大学を退学し、アメリカの大学に挑戦することにしたんです。立命館大学では公式戦には出ていません。
そして堺ビッグボーイズ中学部の阪長友仁監督に主にスポーツで海外に留学したい人の支援を行っているスポーツ留学専門・アスリートブランドジャパン株式会社をご紹介いただき、ミズーリバレーカレッジに入学することになりました。



――どんな大学なんですか?

野球部は、NCAA( National Collegiate Athletic Association )の下部にあたるNAIA(National Association of Intercollegiate Athletics)のディビジョン1に属しています。僕はインスタグラムでマーリンズマイナーの加藤豪将選手と連絡を取っていますが、加藤選手によればNCAAのディビジョン2のすぐ下だそうです。
ここで語学も学びながら野球を頑張れば、NCAAの大学からオファーがあるそうです。そこでテストを受けてNCAAのディビジョン1の大学に進みたいと思っています。

――選手としてNCAAからMLBを目指すのですか?

もちろん、選手として昇格できればいいですが、そうでなくてもできればMLBに関係する仕事に就ければと考えています。スタッフとしてマネジメントやマーケティングなどもできるようになりたいと思っています。
僕は立命館大で日本のトップクラスの選手も見ました。そのあとNAIA、NCAAの野球もたくさん経験して、MLBの野球にも触れることができたらいいと思っています。

――そのあとはどんな将来を考えていますか?

日本に戻って、少年野球の指導もやってみたいですね。そこで野球をしていたら「いつの間にか海外に行けちゃった」というような野球を教えたいですね。
海外に挑戦したい子どもの橋渡しをするような仕事ができればいいと思っています。

 

新型コロナウイルスの蔓延が深刻なアメリカだが、アメリカ中西部のミズーリ州は、比較的落ち着いた状況にある。そのために渡米、入学が許された。
ミズーリバレーカレッジは少人数だが日本人も学ぶ大学だ。8月中にアメリカに経ち、8月20日から始まる授業に臨む。20歳の青年が、日米野球の懸け橋になることを期待したい。(取材・写真:濱岡章文)
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