浅田次郎が語る、物語作家としての主義 「天然の美しさを無視して小説は成立しない」

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2020年08月20日 18:31  リアルサウンド

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写真浅田次郎
浅田次郎

 万延元年(1860年)、姦通の罪を犯したという旗本・青山玄蕃に対して、奉行所は青山家の所領安堵と引き替えに切腹を言い渡すが、玄蕃は「痛えからいやだ」とこれを拒否。蝦夷松前藩への流罪判決が下り、押送人に選ばれた十九歳の見習与力・石川乙次郎とともに、奥州街道を北へ北へと歩んでゆくーー。


参考:男は女を理解しないまま愛するーー角田光代訳『源氏物語』が伝える、千年経っても変わらない恋愛模様


 浅田次郎が読売新聞朝刊にて連載した時代小説『流人道中記』が、3月9日に書籍化された。口も態度も悪いろくでなしだが、時折、武士の鑑というべき所作を見せる玄蕃と、その所作に戸惑いながらも魅せられていく石川乙次郎の道中を描いた同作に、浅田次郎はどんな心情を込めたのか。作家として円熟の時を迎える浅田次郎に、少年時代の読書体験から自身の芸術論に到るまで、大いに語ってもらった。(編集部)


■天性の嘘つき少年でした(笑)


ーー子供のころから本がお好きだったのですか?


浅田:好きでしたね。まだテレビも何もない時代だったので、子供にとって本を読むというのは、最大の娯楽だったんです。いい時代でしたよ。


ーーお気に入りの作家なども、いたのでしょうか?


浅田:作家をはっきり意識し出したのは、中学に入ってからでした。日本では谷崎潤一郎さん、川端康成さん、三島由紀夫さんの豪華3本立てですね(笑)。同時に、僕らの時代は外国の作家も並行して読む習慣がありました。今は翻訳小説の刊行は少なくなりましたが、昔は近代文学の名作が、こぞって翻訳されていた。スタンダールもバルザックもトルストイも、日本の流行作家と同じように読んだんです。そういう意味では、とても幸せな読書体験のスタートでしたね。


ーーそういう読み方をしている人は、多かったのですか?


浅田:同じ読み方をしている読書少年は、たくさんいましたよ。考えてみたら、あまり「勉強しろ」って言われなかった。これは今の子たちとの違いかもしれない。塾に行っている子なんて、いなかった。むしろ塾に行くのは、学校の成績が悪い子でした。そうじゃない子が通ったのは、そろばんか書道の塾。あれは一種の日本的教養主義っていうのかな。日本人の教養として必須なものであるという、当時の親の考え方から通わせていたんだと思います。


ーー自分でも小説が書けるという自覚は、いつごろ芽生えたのですか?


浅田:これも中学の時です。でも作文は小学生の時から好きで、嘘話を作るのが好きだった。天性の嘘つき少年でした(笑)。


ーー自衛隊やアパレルなどの職を先に経験されたのは、小説はいつでも書ける自信があったから、その前に世の中を見ておこうということだったのでしょうか?


浅田:全くそんなことはありませんでした。食うや食わずで、汗水流して働いていました。昼に仕事をして、夜に読み書きっていう苦行僧のような……。僕は酒を一滴も飲めないのですが、実はそれが原因だと思っています。恥ずかしくて「体質に合わないもので」とか、「ちょっと酒の席で間違いを起こしまして」とか、ごまかしているけれど、この時の習慣が身についてしまっている。飲んでしまったら、読み書きができなくなります。皆さん気をつけてくださいね。酒っていうのは、飲んでいる時間が1時間か2時間でも、酔っている時間はもっとあるんです。その間、何もできない。飽食終日の時間なわけです。美味そうに飲んでいる人を見ると、うらやましいと思いますがね。


ーー最新刊『流人道中記』の青山玄蕃にしても石川乙次郎にしても、酔った人間の描写が非常にリアルでしたね。


浅田:それは、僕が酔っ払いウォッチャーだからです(笑)。若い時分から、酔っ払いを数限りなく見てきました。中でも最大の酔っぱらいは、親父とお袋でした。もう、どうしようもなかったです。昨日も娘夫婦が来て酒を飲んでいたので、じっくりウォッチしてやりました。酒を飲むシーンを描くことは多いですね。自分が飲めないから、悔しくて書いているのかもしれないけど。


ーー苦行僧のような生活を送っていたとのことですが、浅田先生にいわゆる鳴かず飛ばずの時代があったというのは、我々にはちょっと信じられません。


浅田:小説家としては39歳、40歳になっても泣かず飛ばずでした。新人賞にいくつ応募したって、箸にも棒にもかからない。どこかに原稿を持ち込めば、「自費出版ならこれだけよこせ」と言われる。だから出版社には恨みつらみがありました。負けず嫌いだから「いつか全部の版元から本を出してやるぞ」と思ってましたが。


ーーデビュー前に、かなりの苦労時代があったのですね。


浅田:それにはひとつの理由があります。今の人は、みなさん執筆はパソコンでしょう。僕らが20代、30代のころは全員、手書きなんです。その大きな違いは、実は字を書くことの適性、というものがあるんです。つまり字をたくさん書くことのできる人間と、できない人間、という本質的な問題がある。そこをクリアできる人間でなければ、小説家になる資格がなかった。これは相当な重労働ですから。ところが、ワープロになった時に小説家志望者がたくさん増えて、パソコンになると、さらにたくさん増えました。僕は若い作家にいまだに言いますよ。手で書いてみろ、って。全然文章が違いますから。もしこの『流人道中記』をパソコンで書いたら、倍の長さにはなってしまうはずです。ワープロやパソコンでの作業は積み上げていく作業ですが、手書きの執筆は削っていく作業です。頭の中で選別して削っていかなければ、体が持たない。そうやって20代、30代に下積みをして40代でデビューできれば上出来でしょう。


■創作ノートの類いは作らない


ーー浅田先生は現代小説と時代小説、両方のジャンルを発表していますが、ご自身にとってこの二つは、車の両輪みたいなものなのでしょうか?


浅田:あんまり深く考えていない(笑)。子供のころからずっと、嘘話ばっかり考えているというだけ。嘘つき少年だったから、先生に嫌われてたなあ。そういうわけで、小説家にでもなるしかなかったんですよ。嘘をついて出世できる仕事なんて、ほかにないから。ただし、嘘をつくための責任は取るというのが、僕の主義。特に時代小説においては史実に責任を持つ。だから、こと細かに資料を調べるし、できる限り現場を歩いて取材します。


ーー浅田先生の時代小説は、史実と違っている場合もあるのですか?


浅田:土台は本物だけれども、その上に乗っかっているものは作り物という感じかな。作家には、フィクション作家とノンフィクション作家がいますけれども、資質はちがいます。ノンフィクションは、いかに忠実に誠実に書くかでしょう。僕はノンフィクションは書きたくない。事実の枠の中だけで書くということができないんです。だから、戦争物を書く時などは、徹底的に事実を調べなければならなので、その狭間で悩みます。『終わらざる夏』のような大作を書く時には、軍人たちには実在の人間を使うしかない。架空の部隊は使えません。だけれども、その中で繰り広げられるドラマやキャラクターは全て、作った物。


ーー浅田先生の場合、いわゆる構想というのは、どの段階までのものを指すのですか?


浅田:僕は基本、創作ノートの類いは作らない。作ると、物語がその枠の中から出られなくなるんです。小さく縮まってしまう。でも作家になった初期は、相当綿密に考えていました。『地下鉄に乗って』を書いた時は、新宿の闇市のジオラマまで作りました。あのころはまだ生の取材ができたから、闇市で商売していた人を訪ね歩いて、精巧な地図を作ってその中で物語を作ろうとしたんです。確かにリアルです。ただ、読み終わった時に「窮屈な小説だな」と思った。次が予想できるようにしか、なって行かない。それをリアルと言う人もいるかもしれないけれども、窮屈だと思う人もいる。『プリズンホテル』ですら、これなら創作ノートを作ってる間に書けちゃうだろ、っていうぐらい綿密に書いた。でもどこかから、自分の表現の命は想像力なんだろうなって思うようになって、そこから自由に書くようになりましたね。『壬生義士伝』のころには、かなり自由ですよ。自分で思いついたストーリーを、途中で継ぎ足したり。話を野放図に転がしちゃいけないから、そこは考えなきゃいけないけれど。


ーーその想像力というのはいつも頭の中にアイディアが飛び交っていて、それをキャッチするような作業なのですか?


浅田:考えようとするとダメですね。これは天から降ってくるようなものですから。だから、それを受け止められるテンションに、自分を保っておくことが大切。いつ来るかわからないから。僕は枕元にメモ帳を置いてあるんです。夢に見たことをすぐメモできるように。『黒書院の六兵衛』のアイデアは夢でした。なぜか江戸城の中で、鬼ごっこしてる夢。寝てても油断できないんです。忘れちゃうのもある。すごくいい夢を見たなっていう記憶はあるけど、中身が残ってない。これは神様が僕にくれたものを、受け止め損ねたんだと思っています。


■美しいものを描こうとするのが芸術


ーー作品中の主人公の生き方というのは、ご自身の理想の生き方に通じているのでしょうか? 今回の『流人道中記』で言うなら、たとえば仇討ちをしないこととか。


浅田:『流人道中記』では、江戸時代が続いた260年の平和な時代がもたらした難しい問題を、3つの大きなエピソードとしてまとめてあります。それを青山玄蕃が裁いていく。僕は青山玄蕃は求道者だと思っていた。石川乙次郎はその弟子。これは釈迦と弟子、キリストと弟子でもいい。疑問をもっている弟子が、いろいろと質問しながら、私には理解できませんって言いながら、師匠と歩いていく。それが最終的には師匠に帰依する。師匠にしても、真理がわかっているわけではなくて、彼自身も求道者である。そういうイメージを書きたかった。それを成長物語として読むのもいいし、他の読まれ方をしてもいい。


ーー最後の場面の「存外なことに苦労は人は磨かぬぞえ」の言葉には、はっとさせられました。


浅田:あると思いませんか、そういうこと。苦労は忘れたほうがいい。誰にだって口に出せない苦労はあるし、人に愚痴れる苦労なんて、たかが知れています。たいしたもんじゃない。本当の苦労っていうのは、言えないんですよ。その繰り返しが人生なんだから、誰だって口に出せないものがいっぱいあるはず。苦労はしない方がいいし、苦労は忘れたほうがいいっていうのが僕の考えです。本当に苦労した人は、頭で忘れても、体が覚えている。それで大丈夫です。自転車に10年ぶりに乗っても、必ず乗れる。だからどん底の苦労をしても、どんな貧乏をしても、忘れちゃっていい。将来の自分のためにならないから。忘れちゃっても体が覚えていれば、ここ一番っていう時に、乗り越える力が出るから。


ーーなるほど。まさに目から鱗です。


浅田:それにものを表現する芸術の世界ってのは特に、苦労してないやつにはかなわない。苦労っていうのは、汚れだから。だから自分でも、すごく恥ずるところはあります。「こういう表現は、三島は使わないだろうなあ」とか。三島由紀夫は僕にとって、世界一好きで世界一嫌いな人間です。官僚の倅に生まれて、学習院から東大に行って、大蔵省に入って、いろんな学問を修めたエリート。頭の良さとか知識の量ということではなくて、汚れてないというところで、どうしてもかなわない。「この一行は書けないな」「こういう目でものごとを見るのか」と。それに気づかされたときは、作家として絶望すら感じます。


ーー主人公の器量の大きさや、心の美しさを描くことの中には、現代人への警鐘やメッセージも含まれているのでしょうか?


浅田:僕は、美しいものを描こうとするのが芸術だと思う。美しいものとは何かといったら、天然の姿のほかにはないんです。神様の創った景色に勝る造形なんてありえない。それに迫ろうとするのが芸術だと思います。でもこれが時として、神を超えることがあるんです。実物より美しいのではないかと思わせることがある。「願わくは 花の下にて春死なん その如月の望月のころ」という西行の歌があるけれど、その桜の賛美は、人間にしかありえない感情です。これが芸術だと思うんですよ。世の中は先人たちが作った素晴らしいものに満ちています。だから、常に美しいものを忘れずに、という気持ちで、小説を書いている。花鳥風月を愛でるシーンが多く出てくるのも、そのためです。今の小説には季節すらないものが多いですが、僕はそれには反対です。古いと言われようが、天然の美しさを無視して小説は成立しない。若い人にも、読んでそういうものを感じ取ってもらえたらいいなと思います。人間が人間らしく生きることを考えた時に、一番必要なものはやっぱりきれいなものでしょう。


ーー浅田先生の時代小説のマジックだと思うのが、歴史的な背景や、歴史用語がわからなくても、なんなら漢字が読めなくても、ストーリーが掴めて最後はちゃんと感動できることです。なぜそれが可能になると、ご自身では思われますか?


浅田:そこは、センスだな(笑)。僕がけっしてやらないことに、カッコ説明というのがあります。『流人道中記』の冒頭に「万延元年庚申夏、糠雨の降る夜更亥の下刻である」とある。これにカッコをつけて「万延元年(1860年)、糠雨の降る夜更亥の下刻(23時頃)」みたいにしたら、のっけから興をそぐでしょう? そんなの、はっきりわからなくていい。「だいたい昔の話だよ」と。でも司馬遼太郎さんの小説には、「今でいうと中央公論社のある場所である」とか堂々と書いてある。あの人は、それを芸にした。すごいと思う。作家として一番難しいところ。どうやってわからせればいいだろうっていうのを、あの人は開き直って、「今はこの場所」って書いてしまう。しかも読んでいて抵抗感を持たせない。あれこそマジックだと思う。でも司馬さんは一番偉大な時代作家だから、後発の作家がマネするんです。これはもうダメ。僕は司馬さんの愛読者でありましたが、この人の芸にかなうわけがないし、同じ手を使ったらダメだと思ったから、余分な説明なしでどうすればいいかを考えました。結論としては、「だいたいわかればいい」(笑)。


ーー最後に、ご自身にとってフィクションとは何かをお聞かせください。


浅田:「物語」です。僕は自分を、物語作家だと思っています。僕の読書遍歴というのはすごく王道で、グリム童話から始まって、神話、民話、伝説の類いがとても好きでした。民話や伝説って、いろんな地方の話が重複しているので同じストーリーが多いのですが、あの土俗性が好きだったんです。民話というのは、庶民の生活レベルに合わせた物語。大所高所から見るのではない物語が、自分の小説の原形だと思います。それが僕の芸風で、小説とは、そういうものだと思っています。(取材・文=鈴木宏和/写真=林直幸)


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