古市憲寿が語る、小説を書き続ける理由「この時代に何があったかを残しておきたい」

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2020年08月25日 09:01  リアルサウンド

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 古市憲寿が新作小説『アスク・ミー・ホワイ』を上梓した。『平成くん、さようなら』『百の夜は跳ねて』『奈落』に続く4冊目となる本作は、4月18日から7月31日まで“ツイッター連載”という形で発表。オランダ・アムステルダムを舞台に、日本料理屋で働くヤマト、スキャンダルで芸能界を引退した俳優・港颯真の関係を、ドラッグ、セクシャリティの問題を絡めながら描いている。


 現実に起きた出来事、自身の価値観や思想を投影し、フィクションとして集約させる手法はこれまでの3作と共通しているが、主人公たちのキャラクター、ストーリー展開を含め、かなり“ポップ”な仕上がりと言えるだろう。「物語でしか描けないことがある」という古市に、『アスク・ミー・ホワイ』執筆に至ったプロセス、小説家としてのスタンスなどについて聞いた。(森朋之)


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■「この街を舞台にした小説を書きたい」


ーー新作小説『アスク・ミー・ホワイ』は、緊急事態宣言中の4月18日にツイッター連載という形でスタートしました。この小説の構想はいつ頃からあったのでしょうか?


古市:構想を思いついたのは、2018年の冬ですね。『アスク・ミー・ホワイ』の物語はアムステルダムが大寒波に襲われるシーンからはじまるんですが、僕が旅行したときもまさにそういう状況でした。友達に会うのが目的だったんですが、寒いなか、いろんな場所に行ったり、脱出ゲームをやったり(笑)。日本におけるアムステルダムのイメージはドラッグやセックスが中心かもしれないけど、実際は全然それだけではないんですよね。いろんなルーツの人が暮らしていて、新しいカルチャーやエンターテインメントが次々と生まれている。そのときに「この街を舞台にした小説を書きたい」と思ったのが最初です。ちょっとずつ書き進めて、コロナ禍のタイミングで連載をはじめました。


ーーこれまでは文芸誌で発表することが多かったですが、違うメディアで発信したいという気持ちも?


古市:そうですね。これまでの小説は初出がすべてオーセンティックな文芸誌だったんです。自分では自由に書いているつもりでしたが、今から振り返るとやはり何らかの意識はしている。そこで次は違う場所で発表したいと思ったんです。出版社もマガジンハウスだし、Twitterで連載することも含めて、いままでとは違いますね。


ーーツイッターで発信することで、読者の反応や感想もすぐにチェックできたと思いますが、それが執筆に影響を与えたところもありますか?


古市:物語の大筋は決めていたんですが、Twitterのリプライを見ながら「ここに反応してくれるんだ」とか「こういうふうに読み間違えられることもあるのか」ということもありました。それを参考にしながら、表現を変えていきました。文芸誌で発表するときは全文掲載するし、書いている時には読者の意見を聞けないので、そこはまったく違いましたね。文字数も決めてなかったし、制約もまったくないので、書いていて楽しかったです。自然と内容もこれまでの作品とは違ったものになりました。今までの3作はすべて“死”をモチーフにしていたんです。『平成くん、さようなら』は安楽死、『百の夜は跳ねて』は、死と隣り合わせの仕事がテーマで、主人公は身近な人を亡くしている。『奈落』は、死にたくても死ねないミュージシャンが主人公。


ーー『アスク・ミー・ホワイ』はむしろ、“どう生きるか”がモチーフになってますよね。


古市:誰のために書くか?ということにも繋がると思うのですが、今回はコロナのタイミングということもあって、暗い話にしたくなかったんです。現実の世界が不安に満ちていて、辛い、苦しい、明日が見えないという気分に苛まれているときに、暗い話は書きたくなかったし、読者も読みたくないんじゃないかなと思ったんです。現実が不安だからこそ、優しいストーリーというか、「こうだったらいいな」という世界を描きたかった。


ーーコロナ禍の社会の雰囲気も反映されている、と。


古市:世の中が明るいときは、みんな現実直視型の厳しい物語を読む余裕もあると思うんですが、いまはそうじゃない。せめてフィクションの世界だけでも優しく、愛情深くありたいなと思ったんです。あと、海外に行けなくなった時期だからこそ、海外を舞台にした小説を書き上げたくなったのかも。ツイッターで連載をしていたときは「うちで旅する」というハッシュタグをつけていました。


■“今”の物語を残したい


ーー『アスク・ミー・ホワイ』のストーリーは、アムステルダムの日本料理店で働くヤマト、スキャンダルが原因で芸能界を引退した俳優・港颯立を中心に展開されます。“ドラッグ、ゲイ疑惑で引退に追い込まれる”という港の設定は、誰が読んでも現実の出来事を思い浮かべると思いますが。


古市:いつかは全くのファンタジーを描くかもしれないですが、この世界と地続きの物語、“今”の物語を残したいと思っています。社会学関連の本はもちろん、平成が終わるタイミングで『平成くん〜』という小説を書いたのも同じ理由です。固有名詞を入れるのも、この時代に何があったかを残しておきたいからなんです。


ーー社会学者としての視点も入っている?


古市:たぶん、そうだと思います。今回の作品でいえば、たまたま自分の身近に有名人・芸能人も多いので、彼らのことを描きたいという思いもありました。画面の向こうにいる芸能人は華やかだし、多くの人が手にしにくい幸せを手にしているように見えるかもしれない。だけど一方で、多くの人にとっては当たり前の幸せを享受できないことも多い。ふらっとカフェやレストランに入るだけでニュースになっちゃう人もいますからね。


ーー物語のなかに、セクシャリティの要素が含まれているのも、『アスク・ミー・ホワイ』の読みどころだと思います。繊細なテーマですが、港、ヤマトの関係を通してセクシャリティの問題を描くにあたり、どういうことを意識していましたか?


古市:たとえば “男か女か”“ゲイかストレートか”って二分法で考えがちですよね。でも実際はスペクトラムというか、グラデーションだと思うんです。『アスク・ミー・ホワイ』でも、セクシャリティは大事なテーマですが、港くんとヤマトの関係をあまり特別なものとしては描いていません。セクシャリティを繊細なテーマとして扱いすぎることに疑問もあるんです。たとえば味覚って、自分で変えることは難しいけど、いつの間にか変わることもあるじゃないですか。セクシャリティもそれと似た部分がある気がします。たとえば女性が好きな男性は、たまたま今「男性」をしていて、「異性愛者」をしているだけとも言える。学問的にはパフォーマティビティと言ったりもしますけど。


ーーヤマトのセクシャリティが、物語のなかで少しずつ変化していくのも印象的でした。


古市:その人のアイデンティティに関する多くのことがらは、属性ではなく、状態だと思うんです。たとえば“サラリーマン”“社会学者”“コメンテーター”といった職種は、生まれ持った属性ではなく、たまたまその状態にあるだけと考えられますよね。セクシャリティも似たように考えていいと思うんです。今回の小説を書きながら意識していたのは、“好き”という感情の在り方ですね。アムステルダムで有名人の港くんと知り合ったヤマトは、「この人と仲良くなりたい」と思う。有名人だからそう思ったのか、それとも彼自身に惹かれているのか。つまり“好き”という感情もきっちりは分けられない。それは僕たちの日常にもよくあることですよね。誰かに好意を持った時、本当にそこに利害はないのか。実際は “仕事ができる”“才能がある”“顔が好み”など、いろいろな理由が混然一体となって好きという感情が生まれることも多い。この小説は、そういう感情のグラデーションに戸惑っているヤマトの話でもあるんです。


■多彩な活動は「ずっとフィールドワークを続けているイメージ」


ーー日本は属性に対する意識が強いし、『アスク・ミー・ホワイ』は自分のアイデンティティを見つめ直すきっかけになるかも。


古市:確かに日本は属性や出自を重視する社会だと思います。有名人に対してもそうで、ジャニーズ出身、宝塚出身など、「どこから出てきた人間なのか」をとても気にする。政治家なんて、特にそうですよね。“政界のサラブレッド”という言い方がありますけど、馬じゃないんだから(笑)。政治家としての才能があるかどうかわからないのに、その家に生まれたという血統だけで能力を測られてしまう。そういう社会って、安定はしてるけど窮屈ですよね。そこから逃れるという意味でも、海外を舞台にしたところもありますね。


ーーヤマトは港との出会いによって変化し、“状態”も変わっていきますね。


古市:ええ。解釈の仕方だけで世界が変わることって、現実にありますからね。本人が「自分は臆病だ」と思っていても、見方を変えればそれは優しさかもしれない。そういう風に、港くんは人のいいところを見つけるのが上手いキャラクターなんです。仮に本人が「つまらない人生だ」とあきらめていても、それは遠くの世界に住む他人からすれば、憧れの生き方なのかもしれない。もちろん、ただ解釈や見方だけを変えても、現実は少しも変わらない。だけど人は自信を持てば、一歩踏み出すことができる。結果的に、解釈を変えることが、人を変え、それが社会を変えるきっかけになることだってあり得ると思います。


ーー幸せの在り方は人それぞれというか、多様性が担保できる社会に近づくと。


古市:多様性は大事ですよね。自由の基盤ですから。ただ自由であることに耐えられない人も多い。そんなときに大事なのは “勇気”ですよね。小説の後半にも“勇気”という言葉を出しましたけど、勇気を持つだけで人生はがらりと変わり得る。「みんなが勇気を持たなくちゃいけない」とは思わないし、同じ場所で淡々と仕事を続ける人がいてもいいけど、少しでも現状に不満がある人は、もっと勇気を持っていいと思います。『アスク・ミー・ホワイ』は登場人物が勇気を持つことで、自由を獲得していく話とも言えるかもしれません。


ーー古市さん自身も、一つの場所にとどまらず、活動の場所を広げ続けていますよね。


古市:僕の場合は、ずっとフィールドワークを続けているイメージですね。わからないこと、知りたいことがたくさんあるんです。テレビに出るのもそうで、その場所でしか知り得ないことがあるかもしれない。そうやって世界の見取り図を自分で書き続けている感じですね。


ーー『アスク・ミー・ホワイ』のもう一つの軸になっているのは、“悲しい誤解”というフレーズ。


古市:同じ出来事を経験しても、立場や性格、経験などによって、まったく異なる解釈が生まれる。それが誤解という現象ですよね。でも世の中には、解ける誤解もたくさんあると思うんです。「みんなはこう言うけど、こうも言えるよね」のひとことで、気が楽になる人がいるかもしれない。小説を書くときも、社会学者としても、コメンテーターとしてテレビに出るときも、いつも頭の片隅で考えていることです。


■無から新しい作品を作れたと思い込んでいる人はただの無知


ーー様々なフィールドで活動を続けるなかで、「小説だからできること」も感じていますか?


古市:そうですね。評論やエッセイの場合、事実であっても書けないことがたくさんある。むしろ嘘という建前のある物語のほうが本当のことが書けたりしますね。「本」というフォーマットがいつまであるかわからないですが、物語は文字のない時代からずっと存在してきました。これからも小説に限らず、物語を作ることは続けていきたいです。


ーー現実に起きている出来事、社会学者としての観点、古市さん自身の価値観などが混ざり合っているのも、古市さんの小説の特徴だと思います。フィクションとノンフィクションの差異をあえて曖昧にしているというか。


古市:社会学者の上野千鶴子さんが「オリジナリティは情報の真空地帯には発生しない」と言っているんですが、どんな作家やクリエイターも、無から世界を作り上げることはできない。音楽も文学もそうですが、先行作品の影響なしに何かを生み出すことは不可能です。もちろん僕自身もそうで、これまでに数え切れない本を読んできたし、たくさんの人たちの考えに触れながら物語を作っている。『奈落』のなかで、〈初めて聴いたはずなのに懐かしいと感じる旋律は、神話に属している〉という一節を書きました。既存の言語を使用している限り、おそらく神話から自由になることはできない。無から全く新しい作品を作れたと思い込んでいる人は、ただの無知です。だから必ず小説の巻末には参考文献を明示しています。


ーー小説のなかで主人公たちが聴いている音楽のセレクトも良かったです。


古市:ありがとうございます(笑)。オランダが舞台なのでEDMが多くなってしまいました。


ーータイトルの『アスク・ミー・ホワイ』はビートルズの曲目。


古市:ビートルズの曲のタイトルを一通り見て、これがいちばん小説のテーマに合っていたんですよね。歌詞も直球のラブソングだし、これがいいかなって。たまたま“ア”から始まったから、もし続編を書くとしたら、タイトルは『イエス・イット・イズ』かな(笑)。


ーー(笑)次作の構想は?


古市:ありますよ。書きたいテーマはまだまだあるし、いつも同時進行で、いくつかの小説を準備しているので。


ーー2018年に『平成くん〜』を出してから、既に4冊目。作家としてのキャリアも順調ですね。


古市:いや、“作家として”もそうですが、“として”って発想自体、あんまりないんですよね。社会学者もコメンテーターも作家も、どれも本業という意識がない。9月には『絶対挫折しない日本史』という本を出すんですが、もちろん歴史も本業ではない。だけど、本業ではないから書けるものってあると思うんです。そもそも著者の肩書きで本を読む読者ってあまりいないですよね。『平成くん〜』を読んだ人から、「初めて小説を読みました」「小説って面白いですね」といった感想をもらったことがあります。それだけで本を書いた意味があったのかなと思いました。


(文・取材=森朋之/写真:鷲尾太郎)


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