恋愛指南本でも自己啓発本でもない? 続々と書籍化する「Twitter/インスタポエム」の特徴

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2020年08月28日 18:11  リアルサウンド

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「お金が無くて安いごはんしか行けなかったけど「一緒に食べたら何でもごちそうだもん(笑顔)と言われて泣きたい」(蒼井ブルー)


参考:『逃げ恥』海野つなみ先生が語る、“ざっくり”な愛情論 「もっとゆるい感じで繋がっていていい」


 写真家の蒼井ブルーが2015年3月に刊行した『僕の隣で勝手に幸せになってください』(KADOKAWA/中経出版)のヒット以来、TwitterやInstagram上にポエムともエッセイともつかない恋愛や人間関係に関する独白を連ねた人気アカウントに書籍化オファーが相次ぎ、今では蒼井の本で確立されたと思われる「短文つぶやきやエッセイ+写真やイラスト」というフォーマットで構成された書籍が一大ジャンルを形成、一部は書き手が小説家デビューするなどの展開を見せている。


 いわゆる文化系界隈で認知されているのは新潮社から『ボクたちはみんな大人になれなかった』(新潮文庫)を出した燃え殻くらいだろうが、実は5万部、10万部、時にはそれ以上売る書き手が複数いる。


 こうした書き手は、本名を明かさず、どころか何歳でどこに住んで何の仕事をしているといった経歴、バックグラウンドをぼんやりとしか明かさない。恋愛に関する独白や人生相談が人気を博していても、本人がどのくらい恋愛巧者なのかわからないことも少なくない。何者なのかよくわからない人間の言葉が、十万人、数十万人のフォロワーを得るほど刺さっているというのは、不思議な現象ではないだろうか? ここではその潮流を少し紹介したい。


 ただ「ジャンルを形成」とは言ったものの、決まった呼び方はないようで、筆者は「Twitter/インスタポエム」と呼んでいる。「ポエム」「ポエマー」なる呼称は侮蔑的なニュアンスを含むことがあるため、この界隈の書き手の中にはそう呼ばれることをイヤがっている人間もいる。しかし、ただ「つぶやき」と言ってしまうとその独特のエモさ、叙情性が伝わらないため、とりあえずTwitter/インスタポエムと呼ぼうと思う。


■「自己啓発」ではない


 未読者からは誤解されがちだが、この界隈から発される言葉は「自己啓発」的ではない。もっとも、書き手は無数にいるため、自己啓発的なことを語る者も一部いるが、基本的には「目標を立てて努力しよう」的な世界観とは無縁である。そうではなく、あるがままを慰撫ないし鼓舞するか、感傷するか、あるいは願望を漏らすのが特徴だ。「好きな漫画を貸し借りし合っている内に気が付いたら結婚してたい」(蒼井ブルー)といった具合に。


 蒼井ブルーは2016年2月刊の『NAKUNA』(KADOKAWA)で本人が語っているとおり、カメラマンという職業柄、人を褒めまくることに慣れており、いいところを見つけて気持ちよくさせる技術があったのだろう。彼のことばは日常のありのままの自分たちのちょっとしたおもしろさや楽しさ、愛しさを肯定するものだ。説教や批判、否定がなく、徹底して(とくに「褒められる側」にいる女性にとって)居心地がよい世界になっている。


 蒼井は「同僚女子」や「モデルさん」など自分の身近にいる人たちを褒め、ねぎらう。イヤなことや負けたこと、不安や別れをポジティブに転じるための作法を語る(「じゃあね」じゃなくて「またね」って言ってほしい、など)。そして「抱きしめたい」「あたたかい」「頑張れる」「やさしい」「ありがとう」「○○な人、すき」「かわいい」「いい感じ」「最高」といった語を頻出させるのだ。


 「まだ告ってないのにフラれたみたいになるやつがあったので今日はよくない日だった。今後はせめて告ろうと思う。頑張る」といった言葉に典型だが、そこには被害者意識がない。「こうすると疲れるからこうしよう」「こうするとネガティブな状態になるから、こうしてポジティブな状態(または気持ち)にしよう」という言い回しなのだ。だから読んでいてイヤな気持ちにならず、少しだけ前向きな気持ちになれる。


■具体性を捨象することで、誰でも共感できるようにする


 2015年に『だから、そばにいて』(ワニブックス)で書籍化デビューしたカフカは明確に「「恋愛指南本」でも「自己啓発本」でもありません。そこにあるのはただの言葉達です」と語っている。「本当は前向きでいたい、でも無理矢理ポジティブになる必要はない」(『だから、そばにいて』)と。


 カフカもTwitter/インスタポエムならではの技巧を持つ書き手である。際立った特徴として、具体性・身体性の捨象がある。「言葉だけでは繋ぎとめられないと分かっているから/心で繋がっていたい」といった具合で、カフカの文章には性描写、肉体に関する記述がほぼまったく出てこない。ばかりか、自分や相手が何歳でどんなことをしている人間なのかといった情報もオミットされている。


 「友達の関係で良かったのにそれ以上を望んでしまった。心苦しくて苦しくて本当の気持ちを隠すことで精一杯だった」(『ただそれだけで、恋しくて。』ワニブックス)といったように、「どこの誰か」という情報を消し去り、やや抽象化された状況と切なさなどの感情だけを記述する。これにより、たとえば「あの人は金持ちだからそうするんだよ」などの“自分とは関係ない人間である”という切り離しも、「なんであんなやつだけが」といった嫉妬の喚起も起こりづらく、「人」ではなく「感情」にフォーカスして共感しやすい文章になっている。たとえば「心から好きなものがあれば、それだけで生きていける」(『いつか想いあふれても』セブン&アイ出版)というのは、年齢も性別も収入も関係なく、誰もが少なくとも一度は思ったことがある言葉のはずだ。


 カフカをはじめ、Twitter/インスタポエムの書き手には、文章に表す情報や感情をコントロールし、あえて絞ることで読者の想像と共感を促すことに長けている者が多い。他にもFや0号室、ニャン等々、注目すべき書き手はたくさんいる。機会があればまた文脈込みで論じてみたい。(飯田一史)


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