怪異蒐集家・中山市朗が語る、“幽霊が出てこない”怪談の怖さ「みんな、どこかで身に覚えもある」

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2020年08月28日 18:41  リアルサウンド

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写真中山市朗 氏
中山市朗 氏

 『新耳袋』シリーズ(KADOKAWA)で、怪談・ オカルトファンから絶大な支持を得た怪異蒐集家・中山市朗。新刊『怪談狩り あの子はだあれ?』(KADOKAWA)には、 山道に佇む白無垢の花嫁、22階の高層マンションから落ちていく男性、ガソリン・スタンドに現われる子どもの謎、 旅館の部屋に敷き詰められた真っ赤な椿など、中山市朗が直接聞き集めた76話にも及ぶ怪談話が収録されている 。


 しかし、これはただの怪談集ではない。この本には「幽霊が出てこない」のだ。幽霊が出てこないからこそ、話のリアリティに身の毛がよだつ。だれもが、「そう言えば同じようなことがあった」、「あれはこういうことだったのかな?」と思わずにはいられない怖さがあるのだ。本作に中山氏が本書に込めたメッセージ、そして実話怪談の魅力について話を訊いた。


――本書を読んでいると、怪談的なオチがなかったり、 素人ならではの怖さを感じました。 そういう怖さは意識したんですか?


中山市朗(以下、中山):『新耳袋』 シリーズをやっていたときから、「オチ」に関しては意識していました。それまでの怪談っていうのは、やっぱりオチがあるんですよ。調べてみたら墓地だったとか、なにかの祟りだったとか。ひどいのになりますとね、その人は呪い殺されているのに、呪い殺された描写が延々とあったり。「それだれが伝えたん?」ってなるでしょ(笑)。それが怪談としてまかり通ってたんですけど、 さすがにそれは違うやろと。


――それは違いますね(笑)。 実際は不思議なまま終わることの方が多いと。


中山:恐怖ドラマとかホラー小説だったら、 霊能者に見てもらって「ここ昔、墓場でしたね」って言われたら、家を引っ越していくとなるんですよ。でも実話だと「家でこんなことあったんです」って言われて、「で、引っ越されたんですか?」って聞くと、「いや、まだそこにいてます」となる。「なんでですか?」と聞くと、「引っ越しめんどくさいし、お金かかるじゃないですか」っていうことになるんですよ(笑)。その程度のちょっとした不思議を集めただけなんだけど、それが76話も重なるから怖い。みんな、どこかで身に覚えもあるしね。


――収録されている、おじさんが傘を持って浮いている「メリーポピンズ」の話とか、怪談ぽくはないですよね。


中山:メリーポピンズね(笑)。訳わかんないでしょ? あんなもんはね、昔は怪談にならなかった。「それなに?」で終わってた話。「メリーポピンズおったんや、おっさんやんの」って(笑)。僕は落語が好きなんですけども、そういう笑えるところは通じるところがありますね。


――確かに落語にも怖い話があります。


中山:そうそう。怪談っていうのは、ちょっと笑っちゃうような話だとか、じーんとくる話だとか、ご先祖様が守ってくれたんだっていう話もあったりする中で、「やっぱり怪談は怖い」っていうのにも、ちゃんと応えてあげないといけない。怖い話はうまいタイミングで挟み込んでいって、最後は恐怖で終わらせるっていうことはします。話の最後がメリーポピンズだったら、ダメでしょ? 途中だからいいんですよ。


――年齢によっても、怪談のとらえ方が違いますよね。自分の祖母の代なんかは、祟りとかそういうものに対してすごく神経質で、 現代の人とまったく違います。


中山:年の功というかね。生活の知恵であったりだとか、神信心であったりだとか、その人のキャラなんですよ。その人の中で怪のとらえ方が違う。おばあちゃんとお孫さんが同じ怪を目撃しても、おばあちゃんが見る怪と孫が見る怪は違ったり。孫の見る怪は純粋で、おばあちゃんは「何々を大事にせえへんかったから罰が当たってんねやわ」って。それもひとつの怪なんですね。


――たしかにそれはあるかもしれないですね。おじいちゃんおばあちゃんたちって、若い子にそういう話をするんですかね?


中山:いま、核家族になってるでしょ? だからおじいちゃんおばあちゃんからそういう話を聞かないんじゃないのかな。僕も怪談のライブをやったりするじゃないですか。「怪談どうですか?」って言うと、「怪談を子どもに聞かせるのが嫌」っていう親がいるんですよ。あと怪談ライブというのを、みなさん知らない。「来てください」と呼びかけると、「怪談って怖いんですか?」っていうので「怖いです」というと、「怖いんだったら聞きたくない」って……。逆に「そんなに怖くないですよ」と言うと、「怖くないのに怪談なの!? 」とも言われるし(笑)。そこは本当に難しいですね。


――怪談のように、変わらず安定して人気があるジャンルは、他にあまりないような気がします。そこまで人を惹きつける魅力はなんだと思いますか?


中山:平安時代に書かれた『今昔物語』は、作者不詳となっていますが、おそらく全国行脚するお坊さんが聞いて書き連ねたものだと思うんです。あれも不思議で、いまでいう怪談のような話がいっぱい出てきます。おそらく、元来そういうものに人間は惹かれるんだと思うんですよ。自然にあるもの、山にあるもの、海にあるもの。そういう自然のものを畏怖するっていうのは、怖がりながらもどこか尊ぶ気持ちが日本人にはあって、それが恐怖を含めた自然信仰としてあったんだと思います。


――だからこそ、ずっと受け継がれていくのだと。


中山:そうそう。それと神様仏様の話というのは、たとえばキリスト教の聖書は神様の言葉なので、一言一句変えてはならない。でも、日本だと神道にはそういうのもないし、仏教も割と自由。そこでちょっと教養のあるお坊さんが、村の人に聞きかじりの今昔物語を、我が村のことのように言いながら、「こういうことをしちゃいかんのじゃ、これは戒めである」とか、自由に言えたっていうのが日本の語り。現に落語のルーツは説法だっていう説もあるんですよね。


――話を集めている中で、 まったく違う地域なのに、似たような話はあったりしますか?


中山:同じような現象っていうのはあるんですけども、逆に地域の特色みたいのはあって、たとえば妖怪でも半分牛で半分人間なのは関西とかね。なぜかあんまり、関東では聞かないんですね。カッパの話は全国にはあるんですけども、地方によって呼び方も違いますね。大阪は「ガタロ」って言ってたんですよ。


――同じ妖怪でも地域性があると。水木しげる先生が、アフリカの民族に妖怪の絵を見せたら、「 こんなのうちにもいるぞ」と言われたという話がありました。


中山:昔のことですが、よく知り合いが3人で夜の10時に石神井公園に行ったら、向こうのほうがモヤってるんですって。そのモヤからポツッとおばあさんが出てきて、歩いてくる。そのおばあさん、異様で粉のようなものを振ったように真っ白なんですって。着ているものも、髪の毛も、顔も手も。すれ違って、ふっと見たら霧の中におばあさんが入っていって、消えた。白粉つけたようなばあさんだったから「オシロイばばあ」って勝手に名付けたそうなんです。で、ある日、水木しげる妖怪図鑑を見たら、白粉のばばあが載っていて、名前が「白粉婆」だった(笑)。そういう話は結構ありますね。


――同じ妖怪がいたと(笑)。今回聞いた中で、先生がとくに怖かった話はどれですか?


中山:最後のほうに載せた、神様の話ですね。最近ライブで、「触らぬ神に祟りなし」っていう話をよくするんですよ。べつに神信心が悪いという話じゃないんだけども、やたら神様に拝んだりだとかしないほうがいいよ、と。いまの人たちって、神様っていったらイエスキリストみたいなのを思い浮かべて、神様にお祈りしたらいいんだと思っているけど、いやいや日本の神道の神様ってそんなよい神様ばかりちゃうで、と。荒ぶる神もいれば、祟り神もいる。だからあんまり神様に触らないほうがいいよ、と。


――先生はプライベート怪談会をやってらっしゃるんですよね。


中山: 本を書こうとなると、ある程度のネタを抽出しなければならないんです。そこでブログで呼びかけて、プライベート怪談会をやっています。「怪談を語る楽しみ」を味わっていただきたいという思いもあるし、僕の怪談収集の場でもある。やっぱり一期一会というか、 そこでしか聞けない怪談があったりするんですよ。まぁ一晩やって、何もいい話がないときもありますが(笑)。


――最後に読者の方にメッセージを。


中山:今回敢えて、幽霊が出ない怪談を集めてみたんです。怪談って、必ず幽霊が出るじゃないですか。排除したらどうなるんだろうって、ものすごい大きな勇気で、ヒィヒィ言いながらネタを集めた。ひょっとしたら幽霊かもしれないけど、幽霊って断言するのもちょっとねっていう話ばっかりを書いていったら、妖怪系統の話が増えちゃったんです。妖怪もね、 あんまり集まらなくなってきてるんですよ。人のライフスタイルが都会的になったっていうのもあるし、あんまり神様と関係も持たなくなって、信心をする人も少なくなった。山も開発されちゃって。妖怪ってそういうところで遭遇するものなんですけども、それがなくなってきて、妖怪の住む場所がなくなってきちゃったのかなと。その辺りを意識してもらえたら、おもしろく読んでいただけるんじゃないかと思います。
(取材=佐々木康晴/文・構成=尾崎ムギ子)


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