皇族ご成婚、禁断の「初夜の営み」をひもとく! 妃殿下の母親が“寝室同伴”で……天皇にイライラ!?【日本のアウト皇室史】

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2020年08月29日 20:02  サイゾーウーマン

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サイゾーウーマン

 皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます! 前回まではこちら。

――秩父宮勢津子妃の自伝『銀のボンボニエール』(主婦と生活社)をベースに、ご成婚当初のあれこれを、これまでうかがってきました。傍目には、ひたすら優雅に行われてるように見えますが、ロイヤル・ウェディングの舞台裏はとにかく大変なのですね。

堀江宏樹氏(以下、堀江) まったくそのとおりです。秩父宮ご夫妻が御殿に戻られた後も、儀式は続いたのですよ。それこそ初夜の寝室の中にいたるまで……。

――そんな、営みの記録まで残っているものなんですか!?

堀江 とはいっても、お餅の話ですけどね(笑)。「三日夜(みかよ)の餅」って聞いたことありませんか? 辞書的には「三日の餅(みかのもちい?)」などとも書いてありますが、古文の時間に勉強した記憶がある方もおられるかもしれませんね。

 平安貴族のルールでは、3日連続で男性が女性のもとに通ってきたら結婚は成立。その3日目の夜、妻側が男性に振る舞うのが、「三日夜の餅」です。僕の推測ですが、餅は粘りがありますから、これでこの男が逃げませんように……という祈りを込め、とくに逃したくない男に向けて妻側が用意したものなのかもしれません。まさに、空を飛ぶ自由な鳥を捕まえるときに昔の人が使った「鳥餅」みたいなイメージ。

 平安時代には四種類のお餅が用意されていたようですが、詳細は不明。身分や家によって違いがありえました。『源氏物語』で光源氏がこの餅を食べている描写が登場するのは、葵の上、紫の上、女三の宮といわゆる“正妻”クラスの女性の時だけ。(実の親と縁遠い紫の上以外は)女性の実家が餅を用意したのでしょうから、「わが家の姫は、光源氏のようなステイタスの高い男性の正妻となるのにふさわしい女性である」と言い切れるケースでしょうね。逆に、「ウチの姫を捨てたりして、どうか恥をかかせないでおくれよ」という婿・光源氏へのお願いでもあったという気もします(笑)。

 また古典文学の『落窪物語』にも出てきますが、それによると、飲むようにしてまるごと3つ食べるのがお作法だったようです。

――お正月に救急車に乗るきっかけになってしまいがちな食べ方だから、自粛しろっていわれている食べ方ですね(笑)。

堀江 そうですね(笑)。『銀のボンボニエール』では、この餅の儀式が宮中ではアレンジされながらも20世紀でも行われていたことがわかります。

 勢津子妃によると、夜になっても赤坂・表町にあった秩父宮邸は提灯を手にした庶民たちにぐるっと囲まれ、彼らがバンザイ、バンザイとコールして回る、いわゆる「提灯行列」のさなかにありました。その声が聞こえる中、お二人は寝室にお入りになられ、そこで「三日夜の餅」の儀式がはじまるのですね。

――外野の野次が飛ぶ中での初夜とは刺激的ですね。

堀江 『銀のボンボニエール』によると、平安時代とはかなり様子が違います。読みは「みかよのもち」ですが、表記は「三箇夜餅」。

 「四方に奉書紙を立てたお重の中に二つ重ねの土盃(かわらけ)」が乗せられており、その上に碁石くらいの大きさの小さな餅が、勢津子妃の年の数だけ盛られているのだとか。この時、勢津子妃は19歳ですから餅も19個ですね。

 面白いのはそれを実際に食べることはせずに「食べる所作」をお二人がなさって、それが終わると3日間、お餅は寝室に飾られ続け、3日後にお重ごと宮邸の土地の「吉方」……よい方角に埋められたのだそうです。

 その後、秩父宮雍仁様から「今日はさぞ疲れたことだろう。慣れるまでは大変だと思うが、わたしもいることだし、あまり気にかけないように」とのお言葉があり、勢津子妃は「何一つ心得ない者でございますが、仰せに従ってまいりたいと存じます」と深々とお辞儀をなさる、というところで初夜についてはおしまい。翌朝の出来事が描かれる……という展開になっております(笑)。

――きれいな“朝チュン”展開ですが、サイ女的にはもっとも肝心のところが省略ですね(笑)。

堀江 やはりソコが知りたいですか。ちなみに平安時代の話であれば、いわゆるロイヤルウェディングの夜……つまり初夜に寝台の上でどういうことが行われたのか、その様子がわりと細かく書かれていたりします。

 長和5年(1016)、11歳の後一条天皇と、20歳の藤原威子(藤原道長の愛娘)が結婚しているのです。当時でも異例の年の差婚でした。男性が今でいえば小学校高学年の年齢ですし、実際、二人は幼なじみとまではいかないまでも、面識があったため、よけいに気恥ずかしかったようです。

 この頃、天皇が自分の寝台にお妃を呼ばないかぎり、お妃となる女性が彼の横に行くことは許されません。ところが11歳の天皇は恥ずかしいのか、なかなか威子を呼ばないまま時間だけが経過していくのですね。威子の隣に添い寝している道長の妻・倫子と彼女が連れてきていた侍女もイライラしながら「まだか、まだか」と待っているのです。

――いくら愛娘とはいえ、初夜の寝室に新婦の母親が来ちゃってるのは現代の感覚でいうとびっくりです! 新婚旅行に付いてきたがる母親みたいなイメージでしょうか?

堀江 現代人には衝撃ですよね。道長の妻・倫子の侍女が、威子の寝具を天皇の寝台にグイッと引いて近づけたというロコツな記述もありまして(『栄花物語』)、その結果、天皇からお呼びがかかるわけです、が、ここで新婦の母が「初夜の儀式」を完成させるべく動くのですよ。

 なんと添い寝する二人に寝具をかけてやるわけです。同時代の西洋の王侯貴族の初夜は、“実事”がなければ完遂されたとはいえなかったので、行為が行われるかどうかを周囲がジッと観察していたりします。ただ、日本はどうやら“実事”の有無に関係なく、寝具をかけてもらった時点で、二人の初夜は完遂されたということになったようですね。

――こちらの儀式は、さすがに20世紀はじめの勢津子妃の初夜には継承されていなかったということですね(笑) 。

堀江 続く伝統、続かない伝統、いろいろなんですね。

――次回は、名実ともに妃殿下となられた勢津子妃、激化する女官とのバトルに迫ります!

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