理想の高校野球」を求めて、大阪わかば高校川村大輔監督の挑戦

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2020年09月14日 12:10  ベースボールキング

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大阪府立大阪わかば高校野球部の川村大輔監督は、この春まで大阪府立門真なみはや高校の監督を務めていた。新型コロナ禍もあって、高校野球指導者は多難な状況を迎えているが、川村監督は、そんな中で「理想の高校野球像」を懸命に追い求めている。



“本当にこれでいいんですか?”
「大阪市立桜宮高校から、九州産業大とずっと野球をしてきました。卒業後は2年間講師を務めたのちに門真なみはや高校に赴任し、部長から監督になりました。8年間、野球部を指導しました」

門真なみはや高校は、2001年に門真高校と門真南高校が合併してできた。公立の中堅高だ。

「前任監督は、“目指せ甲子園”とは全く異なる指導スタンスの方でした。とにかく“子どもが辞めない野球部”にこだわりを持っておられました。そして自主性を重んじていました。初めて練習を見た時に“これでいいんですか?”と聞いたくらいです。それに、試合では相手チームが好プレーをすれば、それを讃えていました。相手のいいプレーもほめながら、お互いにいいモノを作っていこうという考えだったんですね。

これまでは“勝つ”とか“プロ、実業団”とかを目標にしていたので、衝撃的でした。

でも、僕自身、現役キャリアの晩年で怪我もして、これまでの高校野球の取り組みに疑問も抱いていたので、自分としてはすんなり受け入れることができました。

その後、ドミニカ共和国に行き、子どもたちをリスペクトする新しい野球のスタンスも学んだので、自分が目指す高校野球の考え方が固まりました。

夏の大阪府大会では、2015年に5回戦まで進出したのが最高です。このときは、日体大からヤクルトに進んだ吉田大喜投手を擁する大冠高校に負けました」

痛いときには選手から言い出せる環境に
選手の健康管理についてはどう考えているのか?

「僕は投手出身です。投げさせ過ぎないことはもちろんですが、それ以前に、痛かったり違和感があったりする時は、子どもからすぐに言い出せるような環境にするのが大事だと思います。

練習時間は、平日は放課後から6時半くらいまで。休日はアップの時間を除いて3時間。朝9時半から始まれば1時くらいには終わらせていました。ただ、その練習量で勝ちが伴わなかったこともあったので、練習の中身と時間のバランスを考え直す必要があるなとは思っていました」


野球をしたい子が選んでくれる学校に


選手への接し方はどうだったのか?

「子どもたちがうまくなりたいと思っているのが大前提ではありますが、なるべく生徒の様子を見守りつつ、一方的な指導はしないようにしていました。4、5年前までは違和感なくやっていたのですが、ここ1、2年は戦績がともなわないこともあって少し迷い始めていました。

門真なみはや高校は、2017年度から普通科総合選択制を総合学科へ改編したのですが、その頃から入部してくる生徒の質が変わったんですね。

野球がしたいから高校に来ている子だけじゃなくて、半分くらいの子が、学校に来たら野球部があったら入ったという感じになってきた。中には野球に対して多くを求めていない子も野球部に入ってきている。

中学時代、部活やボーイズなどで野球をやっていた子だけではなく、中学校の途中で野球をやめたり、他の競技に転向したり、中には中学までは手が出せなかったけどやっぱり高校では野球がやりたいと、様々な子が入部してきました。

そんな子も限られた時間で野球を好きにさせたり、うまくしたりする必要がある。

もうちょっと積極的に言ってあげないと、子どもたちもわからないことが多いのではと感じ始めたんですね。コーチングとティーチングのバランスの問題があると思うようになりました」

門真なみはや高校での指導を振り返ってどう思うか?

「年度ごとの子どもたちのレベルにもよりますが、戦績だけで言うとベスト8、ベスト16を目標に立てることが多かったです。指導でいうと、上手い・下手はおいておいて、『野球したい』と思う子が選んでくれる学校になりたいという目標を持っていました。僕が退任した時点で、新2年生は15人、新3年生は12人でしたが、もともと女子が多い学校で男子生徒は1学年80人くらいだったので、約5人に1人くらいは野球部を選んでくれたことになります」

部員2人の高校に赴任
そして4月から大阪府立大阪わかば高校に赴任した。この高校は府立勝山高校の校地に4月から開校した多部制単位制の学校で、2年、3年生は勝山高校生、今年度入学の生徒は大阪わかば高校生だ。現在の野球部員は勝山高校の2年生の2人だ。

「公務員ですから、転勤があることは予想もしていました。新型コロナ禍の最中に着任したので、再登校が始まった6月になってから初めてちゃんと話ができ、6月中旬から練習できるようになりました。

彼らはアルバイトをしています。その中で週どれくらい練習できるか、そして何を目指すのか、ゆっくり話をしました。2人しかいなければ連合チームということになりますが、彼らは来年夏の地方大会には単独チームで出たいと希望しています。2年生の中で残りの7人集めることができたらすごいとは思いますが、今のところそのめどはたっていません。

2人のうち1人は経験者でそこそこできますが、1人は高校から始めたのでキャッチボールから指導しています。グラウンドはかなり広いので、ノックやバッティングをしたりしています。

僕は3年生まで続いたら一度くらい試合というものを体験させてあげたいと思っています。そして、かき集めてでも、投げたり打ったり走ったりと試合の面白さを経験してほしい。ただ新設の大阪わかば高校には野球部は立ち上がっていないので、新設校に切り替わった時点で野球部はなくなりそうです。寂しい話ですね」


小中高で野球の未来を考える
「野球離れ」が進む野球界の、シビアな現実だといえるだろう。川村監督は、新任校に着任してから「野球離れ」について深く考えるようになった。

「いずれ、野球部がある学校に転勤するかもしれませんが、それを待っているだけでは先細りです。子どもたちが先にいなくなってしまうでしょう。それを待つだけでなく、子どもたちに働きかけて、野球を始めてもらいたいと考えています。

他校の先生方とも協力して、この12月に同志社香里中学で、小学生対象の野球体験教室を開こうと考えています、近隣の中学、高校の野球部員にも手伝ってもらって、少しでも野球が好きになる子どもを増やしたい。野球をやる環境が少ないので、広場開放みたいな形で『野球に親しむ日』みたいな感じにしたいですね。

そして、小・中・高をつなげていろんな問題点に取り組める、地域の野球連合会みたいなものを作って野球振興について取り組む必要があると感じます。

2人しか野球部員がいない高校に赴任したことも勉強だと思っています。彼らに野球の体験をさせるとともに、野球の普及活動に取り組み、今後の高校野球の指導につなげていけたらと思っています。」(取材・文・写真:濱岡章文)
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