“男女の壁”を超えた戦いも…昭和の香りも残る「体育館」でのプロレス名勝負

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2020年09月15日 17:00  AERA dot.

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写真“男女の壁”を超えて神取忍と戦った天龍源一郎 (c)朝日新聞社
“男女の壁”を超えて神取忍と戦った天龍源一郎 (c)朝日新聞社
 昭和の香りを残す『体育館』。

 最新式アリーナのような快適さには欠ける。しかし熱戦が繰り返され、ファンから愛され続けているものばかりだ。

 次々と最新の新しい箱もできている。しかし昔ながらの会場には、独特の味や存在感がある。

 8月30日、大日本プロレス『LAST BUNTAI〜さようなら横浜文体』が開催。横浜文化体育館(=文体)、最後のプロレス興行だった。

 文体は62年5月11日に落成した横浜市所有の体育館。老朽化が激しく9月6日で閉鎖・建て替えられ、跡地には2024年度に横浜ユナイテッドアリーナが建設予定。文体隣接地には横浜武道館が完成している。

 JR関内駅から徒歩5分ほどの好立地。近くには、横浜スタジアムもあり港までも徒歩圏内という絶好のロケーションにあった。

 開館年からプロレスの試合で使用され、同年5月23日の日本プロレス(日プロ)のワールドリーグ戦、力道山vsブラッシー戦は有名。

 84年12月12日には全日本・世界最強タッグ決定リーグ優勝決定戦が開催。『鶴龍コンビ』ジャンボ鶴田、天龍源一郎組が初優勝を飾った。また新日本から移籍した長州力が初めて全日本で試合を行った。

 また88年8月8日の新日本『スーパー・マンデーナイト・イン・ヨコハマ』は伝説的興行。特にメインのIWGP戦、王者・藤波辰巳vs挑戦者・アントニオ猪木戦は60分時間切れ引き分けの大熱戦。中継ではテレビ朝日からフリーとなっていた古舘伊知郎が1試合のみ復帰したことも話題となった。それ以降、新日本は8月8日に文体で興行開催している。

 大日本は95年3月16日の旗揚げ興行で初使用後、ビッグマッチを継続的に開催してきた。2019年には25周年記念大会『SUPER STAR WARRIORS』も行った。

 30日の文体メインでは6人タッグマッチが組まれ、未来を担う橋本大地が勝利して締めくくった。

 当日はゲストとして88年の主役・藤波辰巳が来場、「僕にとって横浜文化体育館は一つの聖地ですね」と語った。

 また地元・横浜出身でアマレス時代から文体を使用してきたの鈴木みのるも参戦。「いつまで古い物にしがみついているんだ。なくなっちまえ、こんなもん!」と文体への想いを“らしく”吐き捨てて去って行った。

 東京で思い浮かぶのは、東京五輪を記念し65年4月に完成した旧・大田区体育館。2008年に老朽化で閉鎖解体、同地には現・大田区総合体育館ができ2012年から使用されている。

 日プロが長く使用していたが、72年3月6日の新日本旗揚げ興行が有名。メインはアントニオ猪木vsカール・ゴッチ戦でゴッチがフォール勝ちを収めた。

 89年4月18日には全日本の三冠ヘビー級王座統一戦が開催。ジャンボ鶴田vsスタン・ハンセン戦は、勝った鶴田が初代三冠王者となった。

 みちのくプロレスも東京でのビッグマッチをたびたび開催。印象的なのは94年4月29日、場外カウント無しのエニウェアルールでのヨネ原人vsウェリントン・ウィルキンスJr.戦。ヨネを会場外の噴水に落とすなどめちゃくちゃな展開で、ファンと共に会場内大移動で収拾がつかなかった。メインでは新崎人生が『拝みケブラーダ』を披露した。

 そして95年12月8日の天龍源一郎vs神取忍戦。男女の枠を超えた歴史的対戦も忘れられない。

 54年4月に完成した東京都体育館は、国立競技場に隣接する神宮の杜の一角にある。老朽化のため86年に1度閉館、90年に全面改築。呼称も現在の東京体育館となった。

 東京の聖地的『体育館』は多くの団体が使用した。中でも63年5月24日、日本プロレスでのWWA世界ヘビー級選手権での試合が有名。力道山vsザ・デストロイヤー戦は、視聴率64%を記録した。

 改築以後は興行開催は激減している。そんな中、90年5月14日の全日本で大事件が発生。2代目タイガーマスクが試合中にマスクを脱ぎ捨て、素顔の三沢光晴になった。

 千葉では56年1月開場の千葉公園体育館(千葉)が馴染み深い。老朽化が激しく、2023年前後をメドに新体育館に生まれ変わる予定だ。しかし築50年以上経つ歴史の中では多くの名勝負があった。

 90年6月5日、全日本の三冠ヘビー級選手権での番狂わせには驚いた。テリー・ゴディが王者・ジャンボ鶴田を破り、外国人初の三冠王者となった。

 また鶴田は92年1月28日、挑戦者・スタン・ハンセンに敗れ三冠王者を失っている。“怪物”鶴田にとって、鬼門の地とも言える。

 また同じ千葉県内の松戸市運動公園体育館(74年開場)も隠れた名『体育館』。

 全日本・三冠ヘビー級選手権では、90年7月27日の三沢光晴vsハンセンの新王者決定戦(勝者・ハンセン)。そして92年7月31日のハンセンvs田上明(勝者・ハンセン)が開催された。

 また新日本やUWF、FMWなど多くの団体が使用している。

 首都圏だけではない。愛知県体育館(現ドルフィンズアリーナ/64年9月)、福岡市民体育館(72年1月)など、全国にはプロレスで現役稼働しているところは多い。

 そして忘れてならないのが岩手県・矢巾町民総合体育館(78年11月)。93年3月16日、みちのくプロレス団体旗揚げ戦が開催された生誕地である。(数字は竣工、開場年)

 日本プロレス界を支え、名勝負を演出してきた昔ながらの『体育館』。古くなり無くなってしまったものも多いが、栄光の場所はファン、関係者の心に残り続ける。

 新しいアリーナは快適である。空調も効き、ビジョン設置などで演出も華々しい。エンタメとしては満足度が格段に上がった。しかし多くの名勝負とともに、オールドスタイル『体育館』の良さもファンには刷り込まれている。

「記憶には勝てない」という武藤敬司の言葉は、ここにも当てはまる。(文・山岡則夫)

●プロフィール
山岡則夫/1972年島根県出身。千葉大学卒業後、アパレル会社勤務などを経て01年にInnings,Co.を設立、雑誌『Ballpark Time!』を発刊。現在はBallparkレーベルとして様々な書籍、雑誌を企画、編集・製作するほか、多くの雑誌、書籍、ホームページ等に寄稿している。Ballpark Time!公式ページ、facebook(Ballpark Time)に取材日記を不定期更新中。現在の肩書きはスポーツスペクテイター。







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  • “男女の壁"は超えてない。それぐらいに神取忍は漢なり。
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