「0」の選手も意外と多い? 高校通算HRが少ないけど、プロで大砲となった男たち

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2020年09月19日 16:00  AERA dot.

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写真ソフトバンク・柳田悠岐 (c)朝日新聞社
ソフトバンク・柳田悠岐 (c)朝日新聞社
 日本ハム時代の2006年に32本塁打で本塁打王を獲得した小笠原道大は、通算378本(歴代25位)を記録しているが、暁星国際高時代は意外にも3年間本塁打ゼロだった。

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 89年、千葉西シニアの遊撃手だった小笠原は、同校のスポーツ推薦1期生として入学する。

 自著「魂のフルスイング」(KKロングセラーズ)によれば、同シニアの練習を見に来た五島卓道監督(現木更津総合監督)が、お目当ての選手がまだ2年生と知り、たまたま目についた小笠原に声をかけたという。

 小笠原自身は「大したことなさそうな選手だけど、まあ左打者だから、一応獲っておくか」程度の理由だったのでは?と想像し、五島監督も後に「どこからも声のかからない選手を頼まれた。それが小笠原道大選手です」と語っている。

 そんな事情もあって、入学後、同期生11人の中で「どう見ても一番下手くそ」と痛感させられた小笠原だったが、11人の枠に入れたことも含めて、不思議な強運に恵まれていた。

 本職のショートやサードは複数の競争相手がいたため、仕方なくセカンドに回ったところ、幸運にもポジションがダブらず、レギュラーになれた。

 そして、思いがけずめぐってきたラッキーチャンスを、人一倍の努力で実績に変え、1年夏の県大会で3番を打つまでに成長。2年夏には県大会5回戦の安房戦で5打数5安打を記録し、決勝まで勝ち進んだ。

 3年時は4番捕手で主将も務めたが、通算本塁打はゼロ。けっしてプロから注目されるような選手ではなかった。五島監督が「こいつは高校3年間でホームランを30本近く打ったんです」と色をつけて、NTT関東入社が決まったエピソードも知られている。

 社会人で素質開花した小笠原は、96年の都市対抗のヤマハ戦で決勝弾を放つなど、本塁打でもアピールし、同年のドラフトで日本ハムに3位指名された。“30本”の嘘がバレるどころか、“嘘から出たまこと”が、後の首位打者2回、通算2120安打の大打者を生み出した。

 南海時代に3度の本塁打王に輝き、歴代3位の567本を記録した門田博光も、天理高時代は4番だったのに、本塁打はゼロだった。

 自著「不惑の挑戦」(海越出版社)によれば、中学時代に身長150センチ程度だった門田は、大した実績もなかったそうだが、たまたま同校が野球を強化しはじめた時期と重なり、入学者が増えた幸運もあって合格。同期生は70人もいた。

 連日の猛練習で脱落者が相次ぐなか、真面目で忍耐強い門田は、不断の努力の末、競争を勝ち抜き、2年夏に7番ライトでレギュラー獲得。3年夏には4番センターとして甲子園出場をはたした。

 当時の門田は、169センチ、65キロと小柄で、確実なミートを身上とする中距離打者だった。甲子園出場を決めた65年の紀和大会決勝、県和歌山商戦では、初回2死三塁、一塁左に転がした緩いゴロが先制のタイムリー内野安打になるという俊足ぶりも披露している。

 甲子園の丸子実(現丸子修学館)戦では、2点を追う9回2死から右中間に三塁打を放ったが、後続が倒れ、無念の初戦敗退。0対0の8回2死二塁の先制機に打席に立ちながら、二塁走者が隠し球でアウトになり、スリーアウトチェンジという珍事も体験している。

 高校時代は本塁打ゼロに終わったが、クラレ岡山時代にプロを目指して、高校時代から続けていた筋トレと素振りに一層励んだ結果、後の“不惑の大砲”が誕生する。

 79、84年に本塁打王を獲得し、通算349本(歴代31位)の掛布雅之も、習志野高時代は、2年夏に4番打者で甲子園に出場しているにもかかわらず、3年間本塁打はゼロだった。

 2年生当時172センチ、66キロとやや小柄だった掛布は72年夏、東関東大会8試合で三塁打3本を含む11安打で9打点を記録するなど、典型的な中距離打者だった。甲子園の東洋大姫路戦でも、初回1死三塁のチャンスに、流し打ちの左前タイムリーを放ち、2点目を叩き出している。

 3年夏は捕手の阿部東司(巨人・阿部慎之助2軍監督の父)に4番を譲り、3番ショート。夏の県大会4試合で三塁打2本、二塁打2本の19打数8安打3打点を記録した。

 準々決勝の木更津中央戦(現木更津総合)では、1対0とリードの7回1死二、三塁のピンチに、強烈なショートライナーを横っ飛びに好捕し、すかさず三塁に送球。併殺でスリーアウトチェンジと思われたが、ワンバウンド捕球と判定され、同点を許す不運のあと、延長11回にサヨナラ負けを喫した。

 2年連続の甲子園は夢と消えたが、その後、甲子園を本拠とする阪神の4番“ミスター・タイガース”として高校時代に無縁だった本塁打を量産することになるのだから、人生どう転ぶか本当にわからない。

 高校通算本塁打ランキングでは、横浜高時代の多村仁(横浜−ソフトバンク−DeNA−中日)が13本、広島商時代の柳田悠岐(ソフトバンク)が11本。「意外に少ない」と思うファンも多いかもしれない。

 だが、2年夏にレギュラーに定着した多村は、翌春のセンバツまでわずか1本塁打と成長途上。柳田もベンチ入りをはたした2年秋は代打要員で出番が限られていたため、1年のときから主軸を打っていた選手に比べて本塁打が少ないのは、当然の結果と言える。

 高校最後の夏、多村は5番、柳田は3番を打ち、いずれも県大会で2試合連続本塁打を記録。“未来の大砲”を十二分に予感させている。(文・久保田龍雄)

●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球 を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2019」(野球文明叢書)






このニュースに関するつぶやき

  • 野手でなくて申し訳ないですが、「0」というと元日本ハムの<逆転のマツ>こと松浦宏明投手のイメージ。
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  • 高校時代にホームランを量産した、清宮選手(日本ハム)は、プロ野球では、まだ大した実績を出していないから、ノビシロのある人材を探して育成することは必要ですね。
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