在日コリアン4世代の激動の人生描く『パチンコ』 不寛容な社会で我々はどう生きるか?

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2020年09月22日 09:01  リアルサウンド

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 凄い本を読んだ。ここには、人生の全て、人間の全てが描かれている。そして、マイノリティに対してどこまでも不寛容な社会において、理不尽な差別を受け続ける登場人物たちがそれらにどう対峙しようとしたのか。その逞しく、懸命な生き様と、放たれる真摯な言葉の数々に心打たれずにはいられない。


 『パチンコ』は、ソフトカバー上下巻、700ページ超にも及ぶ超大作だ。韓国系アメリカ人である著者ミン・ジン・リーは、30年近くもの間、構想を重ね、運命に翻弄されながらも、朝鮮半島、釜山沖の影島から始まり大阪、東京、横浜、長野、ニューヨークと居場所を模索しながら生きていく在日コリアン4世代の1910年から1989年に渡る激動の生き様を描いた。


 2017年に発表されたこの本は、全米図書賞の最終候補に選出され、バラク・オバマ前大統領が「2019年のフェイバリット・ブックス」として推薦するなど全米ベストセラーとなった。Apple TVでドラマ化も決定している。


 そして今年7月末にようやく日本版が、池田真紀子の翻訳により刊行され、我々の手の元に届いたのである。「パチンコ」という何より日本人にとって馴染みのある名称のタイトルで、物語の大半が日本を舞台に展開される、この異色の外国文学が。


 『パチンコ』には、戦後から現代に至るまで根深く続く、在日コリアンに対する差別問題をはじめ、日本人からすれば居心地の悪くなるような事実も多く描かれている。登場人物たちの「日本」に対して思う言葉の数々に、胸が突かれる思いがすることも多い。


 だが、「日本での取材を含む綿密なリサーチを行い、いったん書きあがった草稿を捨てて一から書き直し」たと著者自身が言及しているように、登場人物たちにとっての「日本人=敵」という「十把一絡げの結論」を出すのではなく、この世にはびこるあらゆる差別に対して、全ての「善良な人」の内にある意識の問題にまで突き詰め、向き合おうとする作品自体の真摯さに、全幅の信頼を置かざるを得ない。


 下宿屋を営む夫婦の元に生まれた生真面目な娘・ソンジャは、日本との貿易を生業とする男、コ・ハンスと恋に落ち、やがて妊娠する。だがハンスには妻子がいた。苦悩するソンジャに手を差し伸べた病弱だが優しい牧師イサクと結婚し、ソンジャはイサクの兄夫婦が住む大阪に渡る。フニとその妻ヤンジン、2人の娘であるこの物語の軸を担う人物・ソンジャ、そしてソンジャの2人の息子であるノアとモーザス、さらにはモーザスの息子ソロモンという一族の物語を中心に、彼らを取り巻く人々の人生の機微をも見事に掬い上げた傑作だ。


 魅力的なのは、登場人物たちの人生を彩る様々な恋愛模様のドラマチックさであり、女性たちの強さである。まるで大河ドラマや朝ドラを見ているかのような気分で、魅力的な登場人物たちで溢れた波乱万丈な物語の中に瞬く間に引きずり込まれ、ページをめくる手が止まらなくなる。


 そしてもう一つ、繰り返し描かれるのは、人は過ちを犯す生き物だということである。どんなに「善良な人」にも、過ちはある。家族を思うがゆえ、自身のプライドの高さゆえに行った自身の過去の行動・言動を、死を前に悔み続けるヨセプや、自身の若い頃の弱さゆえに、実の子供たちに憎まれている、モーザスの愛人・悦子。そして美貌ゆえに哀しい末路を辿る、悦子の娘・花。


 人生にはどんなに願ってもやり直しがきかないことがある。不寛容な社会において、一度犯してしまった過ちは、どこまでも彼らを追い詰める。この物語は、在日コリアンのみならず障害者、同性愛者、外国人等それぞれのコミュニティにおけるマイノリティの葛藤を描くと共に、一度道を踏み外した人間に対する世間の容赦ないバッシングも描いた。


 それでも年老いたソンジャは、妻子ある男・ハンスとの「過ち」で生まれた子供ノアのことで、ハンスの全てを断罪することはできないと感じる。なぜなら、その過ちがなければ、ノアは生まれず、イサクと結婚し大阪に渡りモーザスを生むこともなかったからだ。また、一生に渡ってソンジャとその家族に陰ながら援助を続けたハンスがいなければ、彼女たちの人生はもっと過酷なものになっていた。ヒロイン自身の人生自体が過ちから始まっている。だからこそ、過ちを含めた人生の肯定、時に彼らを苦しめた他者の人生の肯定が可能なのである。


 これは「差別をなくそう、世界を変えよう」という物語ではない。どんな手段をとっても結局のところ同じ「パチンコ店経営」という日本社会におけるグレーゾーンに行き着いてしまう彼らは、どこまでも差別がなくならない社会に対して諦めを抱かずにはいられない。「世間があたしたちを受け入れるなんてことは絶対にない、いつまで待ったってこの国は何一つ変わらない(下巻,p.326)」のだから。


 それでも彼らの行き着く先は、絶望ではない。変わらない世界を前に、人々はどう生きるのか。どうすれば抗えるのか。


 「人が何者であるかを決めるのは血だけではない(下巻,p.334)」。大切なのは、血や過去を憎むのではなく、今、目の前にいる善良な一人の人を見つめ、信じることだ。そして、自分自身が、何があろうと常に真っ当に、正直に生きようとすることなのだ。これは、この不寛容な時代を生きる人々全てに送られた、渾身のメッセージなのである。


■藤原奈緒
1992年生まれ。大分県在住。学生時代の寺山修司研究がきっかけで、休日はテレビドラマに映画、本に溺れ、ライター業に勤しむ。日中は書店員。「映画芸術」などに寄稿。


■書籍情報
『パチンコ上・下』
著者:ミン・ジン・リー
翻訳:池田真紀子
出版社:文藝春秋
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163912257


このニュースに関するつぶやき

  • 事実に基づかない事で被害者面しながら日本に居座ってて恥ずかしくないのか?あ!そもそも支那朝鮮人には恥という概念がないんだったなwww
    • イイネ!14
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